3話 戦略

 戦は朝日が昇ると同時に再開した。


 まずは歩兵の小競り合い。川をはさんで陣を組んでいた両軍は、水しぶきを散らしながら川へ踏み込み、衝突した。

 神宮は惜しげもなく、騎兵を飛田陣にぶつけた。指揮しているのは支月だ。飛田の兵は彼らを包み込もうとが動くが、支月はうまく前線を攪乱していた。その上、別の騎馬を率いた緋華の隊が、その脇を突いた。

 陣形を乱され、陣の奥から、緋華を迎え撃つために、飛田の騎兵が出てくる。先日頑として動かなかった飛田が、力を投入してくる。


 飛田の勢いに、神宮は徐々に押され始めた。支月は川のこちら側に押し戻され、神宮は陣を払い、幕屋も竹矢来も打ち捨てて、緋華も騎兵とともに駆ける。

 神宮は確実に飛田を、本陣ごとじりじりと移動させていた。戦場は川沿いから陸地に上がり、始めにぶつかった場から離れつつあった。

 やがて、戦況に変化が起こる。


「散開しろっ!」

 命じる声。次いで合図の法螺貝の音が、喧騒の上に遠く鳴り響く。

 途端、あらかじめの指示通り、神宮の兵は小隊ごとに散開した。突然ばらばらの方面に逃げ出した神宮の兵に、飛田は戸惑った。だがそれでも、大将のいる隊を目指し、追い討ちをかけてくる。


 ちょうどその場は、山の麓。しかも、ほとんど崖に近い斜面がそびえるところだった。大将の居る隊を追った飛田の兵はその前を通りかかる。

 そこに、轟音。何事かと将兵が振り仰げば、土石が、中に土を詰めた俵が、転がり落ちてくる。同時に上から浴びせられる弓の雨。神宮の別働隊、工作兵としても動く鷲見しゅみ隊だ。


 追ってきていた飛田の兵の、ほとんどが押しつぶされる。そしてまぬがれた飛田の後方の陣は、切り立った崖を背に、引き返してきた神宮の兵に囲まれていた。



 陣の後方で前線を伺っていた緋華は、包囲した飛田の軍の中に、ひときわ大きな白い旗を見つけた。正方形のそれに、『白龍』の文字。昨日見ようと思ってかなわなかった馬印。

 今はその下に、人影も見てとれる。一人の白い人が見える。

 飛田晟青は、申し訳程度の黒金造りの防具のついた、白い衣を纏っているのだと聞いたことがある。それはまるで、参戦するつもりはないとでも言うような衣装だと。

 顔やはっきりとした姿形は分からない。だけど、白に赤みのかかった月毛に、黒い厚総あつふさをつけた馬に騎乗して、結い上げられた長い黒髪が、風にゆらいでいるのが分かる。


 そこだけ、空気が違った。

 黒い鎧の軍の中に、ひとり、白を纏っていて、清さを感じさせる。死骸の山と血煙の向こうにいて、妙に涼しげだった。

 彼ほど血に汚れた人もいないというのに。まるで彼だけが別の世界にいるようだった。

 禍つ祓いの力に秀でる、と言われるそれが、目に見える形としてあるようだった。

 何故あれほどにまで、周囲を切り離したようでいられるのか。


 瞳を険しくして、戦場を睨みつけている緋華に、碧輝が丁寧に声をかける。

「御大将。いかがいたしますか」

 このまま続けるか。降伏を呼びかけるか。緋華は普段なら後者を選ぶ。だが、飛田当主その人が、それを受けるだろうか。

 それ以前に、緋華には気にかかることがあった。


「緋華様?」

 応えない緋華を碧輝はそっと呼んだ。どうかしましたかと、再び問いかけてくる。碧輝の方は見ずに、前を見たまま、緋華はつぶやく。

「おかしくないか」

「……あっさり片がついたこと?」

 どこか観念したように、碧輝が言った。まさに、緋華の思っていたことだった。


 あまりにも簡単に片がつきすぎる。

 罠を用意していた、それにかかってくれた。それに問題などない。

 だが、こちらに引きずり出すのには、もっと手こずると思っていた。昨日の様子では、うまくいかないこともあり得ると思っていた。飛田は、援軍の到着に慢心したのかもしれないが、それにしても。


「あまり考えない方がいいでしょう。行動を起こすなら早い方がいい。停戦なさるのなら、使者を立てて、御大将は鴻城へ」

 唐突に、城へ退けと言われて緋華は驚く。

「もし、敵が受けなかったら」

「その時は、このまま攻めるまで。勝敗は決しているから、兵の士気は十分に高い。大将がここに留まる必要はありません。……予想はしていました」

「でも……」

 やはり、碧輝の様子がおかしい。碧輝の言うことを聞いておけば間違いがないはずだが、すんなり頷けない。少し強引な碧輝の態度が、緋華の違和感を肯定していた。何より――飛田の副将はどこに。



「御大将!」

 緋華の傍近く、馬廻りの一人が声を上げた。声のほうに顔を向けると、馬廻り衆の頭を勤める中原秋緑と目があう。

 彼は、戦場の向こう、山の合間を見るようにと目線で促してきた。


 連なった山の向こう、枯れ木が霞のように連なる中に、煙の筋が見えた。狼煙だ。

 神宮配下の鴻山の城から、火急を知らせる煙が上がっている。一瞬どきりとしたが、あの煙の上がり方は、城が攻められたという知らせではない。

 あの山城は高台にあり、下界のほとんどを広く見下ろせる。何かを知らせてきている。


「報知の矢を!」

 山を見上げたまま叫んだ。

「鷲見隊に合図を送れ、山上から何か見えないか!」

 緋華の声に答えて、間髪入れずに矢がつがえられる。特殊な煙をあげるよう細工された弓矢が一つ、二つ、喧騒の上を流れていった。


 まさか、また飛田の援軍か。否や、昨日援軍が到着して、この時機にまた来るのなら、これは別の隊ではない。同じものだ。わざと到着を遅らせてあったに違いない。神宮が川に細工するのを警戒していたのだろうか。

 頭上から音が降って来る。法螺貝の太い音。


「緋華様!」

 支月が叫んだ。緋華はそれを黙殺し、控えていた使い番の兵に向けて叫ぶ。

「方円に陣を改めよ!」

 飛田と接しているのは前線、先手にあたる隊のみで、後詰や右軍、左軍は隊列を組み、自分たちの出番を待っている。

 緋華の声を受けて、伝令の兵が大声で叫びながら彼らの間を駆け抜けていく。その後ろに続いて、騎馬隊が動き出した。

 連なり、大きな円を描き、騎馬が駆ける。丸く、四方に備えるために。


 声を荒げ刃を交える人々の喧騒に混じって、規則正しい物音が聞こえ始める。神宮の陣の後方、地面を踏み鳴らす人馬の足の音。打ち鳴らされる陣太鼓が。


「緋華様!」

 碧輝が怒鳴る。こんなこと、めったにない。それだけでも、この事態の異常さが分かるのだが。

「聞かない!」

 支月も碧輝も、先刻から緋華をせかす。彼らが何を言いたいのか分かっていて、碧輝の顔も見ずに言い捨てる。浮足立つ馬をなんとか御しながら、怒鳴った。


「弓!」

 緋華の声に弾かれたように、弓を持った兵が、後陣の前線に並ぶ。矢をつがえた。

 今はもう、敵の騎馬隊の姿が見えていた。黒い旗と黒い鎧。土煙の中、突き進んでくる。翻る白い旗指物。先頭の武将は――


「碧輝、あれは飛田の副将か!」

 緋華は飛田副将の日下部銀夜を見たことがない。でもこの距離なら、顔は見えなくとも姿形は分かる。先の戦で飛田副将と相対した碧輝なら。

「間違いありません! 副将と鋼牙こうが衆です!」

 やはり。このままで終わることなど、あり得なかったのだ。東の鬼が来て、こんなにあっさり片が付くなど、おかしかった。彼の副将がそばにいないことは、おかしかったのだ。


「構え!」

 太刀を抜き、振りかざした緋華の声に、居並ぶ兵達が全員弓を引き絞る。「放て」の合図で、矢が放たれる。飛田の軍に向かって飛んでいく。だが、勢いに乗った騎馬隊に、そんなものが利くわけもない。

 大地を揺らしながら、騎馬隊は神宮の陣へと突っ込んできた。神宮の騎馬が駆け出して、それを迎え撃つ。馬が刃が激突する音が響いた。


「緋華様! ここは俺が抑えます。鴻城が気づいているのなら、援軍が来るはずだ。合流してください」

 自分を置いていけという碧輝に、反発して怒鳴った。

「援軍が来るのなら、ここでこらえても同じだろう!」

「同じではありません。囲まれたら終わりです」

 これは神宮が、飛田を川の向こうから引きずり出そうとしたのと同じだ。罠にはまったように見せかけて、神宮が油断したところを別働隊と包み討ちにする。

 ――こんな、真っ向からの戦略。

 飛田晟青の、奇抜な行動のみに気をとられていた。これは誰の策だ。まさか、彼なのか。

「来るぞ!」

 支月が、周囲に向かって叫ぶ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る