4話 不遜の将

 飛田副将の率いる騎馬隊は、神宮の騎馬を、弓隊を蹴散らし、並み居る歩兵をも蹴散らして駆けていた。

 黒の揃いの鎧に、白い旗指物をたなびかせた騎兵が一丸になって突き進んでくる。白く細長い旗にただ「牙」の黒字。真っ直ぐに緋華の方へ。


 その一群の先頭に、黒駒に乗った長身の男がいた。他よりも大きく太い槍を軽々と片手で操り、陣笠の歩兵を薙ぎ払いながらこちらに駆けてくる。

 頭には鉢金を着け、栗色のやわらかな髪をゆるく束ねた、美丈夫。黒金の詰め襟がついた着物をまとい、黒金の胴鎧に、手甲と臑当てをつけただけの、身軽な格好をしていた。

 報奨のため戦働きで目立つことを、少しも考えていない。兜首としてはあまりにも身軽で、実利だけを考えたその姿。


 緋華の周りに控えていた神宮の騎兵が、緋華の壁になるために並ぶ。だがそれも長くは保たなかった。

 飛田副将は、兵をいとも簡単に蹴散らすと、目前にまで駆けてくる。そうして茶色の瞳をなごませて、楽しげに笑った。手綱を操り、緋華の前で止まる。


「やあ、直にお会いするのは初めてですね」

 どこか間延びして聞こえる声は、喧騒の中でもしっかりと緋華の耳に届いた。

「飛田副将の日下部くさかべ銀夜ぎんやです。どうぞ、お見知りおきを」

 にこりと屈託無く笑う。

 それはこの時代、乱世の中においてでも、当代一の誉れ高い猛将。飛田晟青が今まで生き長らえてきたのは、彼がそばにいるからだと、誰もが認める腹心の名。


「緋華様、下がって!」

 碧輝は怒鳴ると同時、茫然としていた緋華の馬を押しのけるようにして、前に出た。

 冷たい金属音が響く。飛田副将の振るった槍を、碧輝の太刀が受け止める。

「緋華様、行ってください! 殿軍しんがりは俺が守ります!」

「嫌だ!」

 碧輝の背に向かって、怒鳴り返す。

 どうするつもりだ。飛田副将と切り結んで、ここでとどまって時間稼ぎをして、どうするつもりだ。

 すぐに囲まれてしまう。飛田晟青と副将を相手取って、勝ち目はあるのか。

 けれども、太刀を構える緋華に、碧輝は怒鳴る。


「しっかりしろ。御大将だろう!」

 叱るような言葉に、ハッとする。

 緋華が動かなければ、誰も動けない。無為に死んでいくものが増えるだけだ。君主たる者、何よりも自分の命を優先しなければならない。生き延びなければならない。


 そのとき、あちらこちらから鏑矢の音が響いた。妖が現われたことを知らせる合図だ。――遅いくらいだった。皇家の血を継ぐ者がふたりも戦場にいたからか。

 逃げなければならない。誰もが、皇家の血を守るために、犠牲になる。戦で死んではならない。

「緋華様がここを離れる間だけ時間を稼ぎます。少しすれば、山上に構えていた別働隊が合流するし、僅かでも持ちこたえられれば、何とかなる。すぐに追いつける」

 黙ってしまった緋華に、碧輝は続けた。

「大丈夫。死ぬわけありません。あなたを残して」

 こんな状況なのに、碧輝はいつも通りに穏やかな声で言う。


 ――泣きそうだ。

 うながす声に、緋華は手綱を引いた。

 本当は、行きたくない。戦場において、彼が何と言おうとも、それは絶対とはなりえないことを、緋華は知っている。

 でも、そんなわがままが許されないことも、知っている。

 碧輝が、何より緋華の無事を願ってくれていることも。緋華が大将でなくても、皇家の血でなくても、碧輝はきっとこうする。いつだって緋華のために、微笑んで道を示してくれる。

 そして何より、緋華が動かないことには、碧輝も動けない。


「離脱する! 後詰めの隊はわたしに続け!」

 喧騒の渦の中、法螺貝の音が鳴り響いた。

 足並みをそろえつつあった神宮の兵は、合図の音に応じて動き出す。支月が後詰めの二部隊を率い、向かってくるのが分かる。大将の警護である馬廻うままわり衆がついてくる。

「追いついてこないと、許さないから!」

 響きわたる怒号に負けないよう、後ろへ向かって声を張り上げながらも、振り返らなかった。返答も、彼の笑顔も、容易に想像できる。見たらこらえられなくなりそうだった。


 進む道の先に、黒い煙のようなものがあらわれる。あちらこちらに、空気の染みのようなものが増えていく。

 ゆらりゆらりと、煙に手足を生やしたような妖が歩いてくる。神宮も飛田もなく、兵が襲われていた。怒号が悲鳴に変わっていく。

「鏑矢を!」

 馬を駆けさせながら、馬廻りに命じる。混乱の中でもすぐに応えがあり、横から矢が差し出される。

 緋華は背負っていた弓を手に、馬上で矢をつがえた。まずは陣の東、日のある空へ。キリキリと音を立てて矢を引き絞り狙いを定める。

 天伝う、空の光へ。ひょう、と鋭い音を立てて矢が飛んでいく。音が、淀み始めた空気を蹴散らした。黒い煙がかき消える。


 ――妖を知らせる合図に鏑矢が使われるのは、禍つ祓いに用いられるからだ。皇の血の者でなければ、場を祓い清めることはできないが、皆少しでもそれがかなえばと、願うからだ。

 民を、兵を見捨てて、死ぬわけにはいかない。

 緋華は続けざまに、陣の四方へ向けて矢を放つ。神宮の兵を襲う妖は、少しでも数を減らしたはずだ。


 そして再び、飛田を振り返った。

 飛田の陣にも妖が出ているはずだ。あちらは飛田晟青がいるのだから、彼が祓うはずだ。彼の禍つ祓いの力は、かつてないほどだと言われているのだから。

 でも馬印が動く様子はない。何か手を打っているのかも知れないが、あちらの陣は、おりがたまるように、空気が黒く濁って行くのが、一目でわかった。

 このまま飛田の兵が妖に襲われれば、戦は神宮に有利になる。だがそれは皇の血として、神宮の者として、喜んではならない手段だった。飛田がどうであろうとも。


 緋華は馬廻りから差し出された矢をもうひとつ、つがえる。思い切り弓を引き絞り、飛田の陣へ向けて放った。細く長く、空気を裂く音が響き渡る。

 それきり、振り返らなかった。

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