9話 少女が国を継いだわけ

 黒髪を高く結い、武士の礼服である直垂を身につけ、腰に太刀を帯びる。詮議が繰り返される場所に、真正面から乗り込んだ。


 緋華が現れたときの、家臣たちの顔は忘れられない。それまでも緋華は男装で走り回っていたものだが、それとは訳が違う。

 戯れを言っていられる状況でないのは、緋華もよく知っていた。何より、そんな心境ではない。

 分かり切っているから、一堂に会した家臣たちは驚き、困惑した。

 その彼らを尻目に、緋華は迷わず上段の間に足を踏み入れる。

 神居の剣が祀られた上座。神宮の当主は代々、これを背に負い、ここに座ってきた。

 そして緋華も、上座に腰をおろす。皆を鷹揚に見まわし、言ったのだ。

 ――「大儀である」と。


「鎮守将軍の二代目はわたしが継ぐ」

 誰を跡継ぎにするかもめていた人々は、唖然として少女を見た。

 泣きわめいて神居の剣を持ちだしたときとは違う、断固とした緋華の態度に、大人たちは何の反応もできずにいた。

 言葉をなくした人々の中で、支月が誰よりも先に、緋華への礼をとって頭を下げた。


「御意に」

 重々しく言う、その言葉に、どれほどの思いがこめられていたのだろう。当主の死を悲しみ、緋華の決断を悲しみ、受け入れた忠臣の決意は、どれほどのものだったか。

 そして家臣たちは彼に従い、頭を下げたのだ。緋華を認めた証拠に。


 その後すぐに、軍備を整え、碧輝と国の境へ発った。目的はほとんど、神宮の代替わりを飛田に見せるためで、それが初陣だった。


 両親を一度に失ったからと言って、好き勝手な振る舞いをしていいはずがない。嘆き悲しんで立ち止まっていいはずがない。

 身近な人を失っているのは、自分自身だけではないのだから。そして父も母も、戦場で、その手で人を殺して、人に人を殺させて、そうして死んでいったのだから。

 分かっていたはずだ、自分自身も同じように倒れることを。

 でも、悲しい。

 例え自分の所業が降りかかってきただけのことでも、残された者が悲しいと思うことは、否定されることじゃないと思う。

 悲しくて苦しくて、ただ彼らを悼んでいたい。


 父は、とても明るい人だった。

 怒ったところを見たことがない。陽気で明るくて、いつも笑っているあたたかな人だった。苦しみも痛みも決して人に見せず、笑顔を絶やしたことのない人だった。

 君主の責務だからそうしなければならないというのではなく。そういう人だった。

 支月が言っていたように、無邪気で、考えなしかと思われるくらいヤンチャな人だった。

 だけども、いつも言っていた。どうしたら、もっとみんなが住みやすくなるだろうと、そればかりを。どうしたら、妖を消し去り、戦を終わらせることができるだろう、と。


 武家の争いは、農地の奪い合いだ。より豊かな場所を求め、それを自分の手に入れようと奪い戦いあう。そして同時に、家の覇を争うような、虚栄心や競争心の表れでもある。

 名誉を重んじ、名声のために、ただ意地のために、軍を道連れにすることすらある。

 結局はそうした私欲の果てに国を手中に収めたいと願う。……今まで幾度かあった政変は、そうしたものの結果だと聞いている。だから簡単に人のものを奪える。

 だからこういう世にあって、父も神宮も特殊なのだとは分かっている。


 母は、父とは対照的に、とても物静かな人だった。淡々としていて感情の表し方を知らないような人ではあったけれども、女ながらに武芸に秀でた人で、その最期の瞬間も、戦場で父に殉じた。

 その母に緋華は聞いたことがある。どうしていつも、父の戦について行くのかと。


「放っておけないから」

 静かに笑みを浮かべながら、教えてくれたものだった。誰もが敬愛する神宮の当主のことを、まるで子供のことのように言って。

「父上はいつも、戦の後、敵でも味方でも、兵士がたくさん死んでいるのを見ると、隠れてひとりで泣くの。もう大人なのに、昔と変わらず泣くの。こんなところで死んでいい人達じゃなかったのに、待つ人がいるのに。どうして自分を守って死んだんだろう。妖から国と民を守るのが自分の役目のはずなのに、どうして彼らを戦に連れてきたのだろうって、泣くのよ」

 そのときは、母が言っていることがよく分からなかった。父の重責も分からなかった。


 けれど、いつも元気な人が泣いている話を聞くと、悲しかった。馬鹿にされても諌められてもいつも笑ってばかりだから、何も考えていないのでは、と言う人すらいるくらいだったのに。

 考え込んで、自分も泣きそうな顔になった緋華を見て、母はまた少し笑った。緋華を抱き寄せながら、続けて言った。

「そして言うの。絶対に、みんなが残してきた人を、ちゃんと守ってみせるからって。だから、ごめんって。そして、父上の仕事を見届けるのがわたしの役目。あの人のそばにいて、あの人を支えて、あの人とともに死ぬのがわたしの望みだから、あの人と行くの」

 母は、それはそれは愛おしそうな表情で、大切そうに言ったのだった。


 父も母もいなくなって、緋華自身も少し年を重ねて、当主の座についてようやく、ようやく少し、父の思いが分かってきた気がする。

 戯れを言って笑って、楽しそうなところばかりを思い出すけれど、何も考えていないからそうだったわけじゃない。

 父は滅多にないほど優しい人だった。自分の気持ちよりも、人の感情を思いやる人だった。

 自分がつらくても、人の痛みばかりを感じて、大丈夫だよと言って相手を励まして笑う。臣や城下の人間が、悲痛な思いを抱いたりしなくていいように。

 優しいから笑っている人だった。

 だから、泣くのだ。

 禍つ祓いの力は、そういう心根にこそ宿るのではないかと、思わせられる。


 今では情景の美しさで称えられる桜花だが、土地の名はこの桜にちなんだものではない。

 飛田に追われ、神宮の初代が逃げ込んだ土地の一つでしかなく、かつてここに住まっていた貴族の家に、見事な桜があっただけだった。

 没落した宮家筋の屋敷で、人々はその家を桜屋敷と呼んで親しんでいた。


 その桜の屋敷には美しい姫君がいて、彼女の名が桜花姫といった。神宮の初代は彼女に出会い、恋をした。しかし初代は追われる身で、彼らの道は決して静穏なものではなかったはずだ。

 姫の死後、神宮の初代はこの土地に彼女の名をつけ、桜を植えさせた。


 だから神宮の血は、恋をしているようなものなのだろう。

 この土地に、この桜に、この国の人たちに。

 無様な姿は見せられないとあくせく働いて、平穏に過ごして欲しいと願って、そして一緒に笑いあっていたいと祈る。この戦乱の世にいくら甘いと言われようとも、それが誓いだから。

 緋華にとっては、父と母が残した願いでもある。

 かなえたいと思う、それは決して民のためを思うからだけではない。そうしている間は、そばにいられるような気がするから。


 ――どうして、当主を継いだのだろう。

 多分、正当な理由など何もない。胸を張って言える理由など、どこにもない。

 民を見捨てられなかった。

 皆の混乱を、争うのを見ていられなかった。

 崩壊していくのが恐ろしかった。

 妖から民を守らなければならなかった。

 そんな思いも、確かにあった。

 でも、それが一番の理由じゃない。

 ただ、置いていかれたことが悔しくて。

 他の人がその座に座ることが許せなくて。父がいるべきところを奪われるようで、本当にその存在を消されてしまうようで、拗ねていただけだ。

 思い通りにならないことに腹を立てて駄々をこねて。


 そしてただ――とにかく、悲しかっただけ。

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