11話 生きるべきか、殺すべきか

 ひとつ、大きく息をつくと、晟青の手から太刀が落ちる。膝が畳の上に落ちて、そのままうつぶせに倒れ込んだ。

 さっきまで平然と立って、太刀をふるっていたとは思えないほど荒い息をしていた。畳に手をついて、肘をついて身を起こし、起き上がろうとして、うまくいかずにあおむけに倒れた。


 緋華は思わず駆け寄った。

 晟青の側に膝をついて、けれど、どうしようというのか。緋華は男の顔を見下ろして、身動きとれずにいた。

 煙と、火の熱と圧が迫ってくる。息苦しく、降り注ぐ火の粉が熱い。


 今なら、殺せる。仇を討てる。

 手を下す必要もない。見捨てるだけでいい。

 ただ、逃げて、自分の命を守ることだけを考えればいい。なのに、体が動かない。


 戦の折り、政略結婚の申し出を受けた時、飛田晟青が暗愚であり続けるのなら、緋華の手で彼を殺すべきだと思っていた。

 どうしたらいいのか、わからない。


 晟青は、静かな眼差しで緋華を見上げた。

「まさか、この日が、今来るとはな」

 思わずのように言った。自嘲の笑みを浮かべて。

「どういうこと」

「飛田家を滅ぼす。そのために、臣の力を削いで、飛田家への不審をあおって、最後に俺が殺される。それで終わりのつもりだった」

 碧輝は、飛田晟青は計画的に自分の力を削いでいるのではないかと言っていた。それと同じことを晟青は言った。

「俺がただ死んでも、飛田の臣が残る。戦乱は終わらない。いずれ神宮が国を統べるときのために、飛田を滅ぼそうと思っていた。これが一番手っ取り早く、戦を終わらせる道だと思っていた」

 碧輝が言った時は、緋華には、私利私欲で国を乱しているようにしか思えなかった。けれど堀内に、同盟を結実させてみせると言った彼は、決して嘘を言っているように見えなかった。

「道を変えるには、今更、遅かったのか。この同盟が、最後の一押しになるとは」

 力無く彼は笑った。

「早く逃げろ」

 つぶやいて目を閉じる。


 血の気のない白い頬が、炎に煽られて赤い。じわじわと血が畳の上に広がって行く。こんなに血を流しては、死んでしまう。心臓がざわめいて、体が震えた。

 今なら殺せる。だけど――死んでしまう。

 倒れた碧輝を思い出す。眠っているようだったのに、もう二度と目を覚まさなかった。最期の一言すらなかった。

 ――眠ろうと思った。目が覚めないように。

 不意に、少年の言葉を思い出す。

 途端、今まで思い出したくても思い出せなかった、あの少年の顔が、鮮やかに脳裏によみがえった。瞳を閉ざした横顔、緋華をじっと見つめる夜の色の瞳。


 会いたいと思っていた。ずっと。

 嬉しそうに笑った顔。花明りにたたずんでいた少年の顔が、雪の庭で空を見上げていた晟青と重なった。

 もしやと思っていた。

 本当はきっと、ずっと、知っていた。

 禍つ祓いの力は、皇家の証。刃をもって妖を殺すことはできても、場を清め祓うことは、皇家の者にしかできない。あのとき少年は、いとも簡単に妖を祓った。


「死なせない」

 思わず言葉が漏れた。渡廊を取り壊す音に、ごうごうと燃える炎に吸い込まれるような、小さな声だった。だが自分の言葉に、確信をもった。

 今度は強く、轟音に負けないように、声を張り上げる。気を失いそうな晟青に聞こえるように。

「こんなところで、わたしをおいて、死んでいいわけがない。あなたは、わたしに理由を話す務めがある」

 閉ざした目を開いて、戸惑いを乗せた晟青が、緋華を見る。


 ――――何故。

 飛田の主たる彼がどうして、飛田家を滅ぼそうなどと思ったのか。戦乱を終わらせるために神宮を呑み込むのではなく、自ら倒れようと思ったのか。

 そして何故、桜紅葉の桜花に、あの戦の時に現れて、この白蛇で緋華の側にいて、そうして幾度も惑わせたのか。

 誰もが、まるで違う人を見ているように語る、飛田晟青という人の本当の姿を知らなきゃいけない。


 緋華は手に持ったままだった太刀を捨て、晟青の胸倉を掴んで、逃げていく命を呼びとめるように叫んだ。

「あなたは、今から、わたしと国をまとめて、民のために生きなきゃいけない。今勝手に死ぬなんて、許さない!」

 飛田と神宮によって国を治める一歩が、力によって抑えるものになってはいけないと、自分で言ったくせに。

 ここで彼が死んで緋華だけが生き残る不穏は、飛田の臣に波紋を呼ぶだろう。いずれ堀内の謀反が表沙汰になる可能性もある。そうなれば堀内の血族が、飛田に刃向うのは必定だった。

 同盟の道を閉ざして、緋華は白蛇に一人孤立したまま、今度こそ殺されるかもしれない。そうなれば国中に混乱が満ちるだけだ。すべての戦乱のはじめに、飛田家が皇家を殺したときのように。否や、それよりも悪いだろう。

 皇家の血を失い、妖からどうやって人々は身を守るのか。

 そんなことのために、危険を承知で敵地に来たわけじゃない。碧輝を失って、支月を苦しめて、自分が生き延びたわけじゃない。何が何でも、この同盟は結実させなければいけない。


「そんなに簡単にあきらめられるような思いで、碧輝を死なせたんだとしたら、絶対に許さない」

 涙があふれた。晟青の胸倉を掴む手が震える。

 碧輝はずっと、誰よりも側にいてくれた。死んでほしくなかった。そんなこと望んでいなかった。本当は、泣き叫んででも止めたかった。生きていてほしかった。

 止められなかった。止めることが出来なかった。


 だから、もう後悔したくない。もう、失いたくなかった。

 だからこの道を選んだ。この人を信じて。

 ――生きてみると言った、生きていてほしいとずっと願った、そのはずの人の死を願いたくない。


 晟青は緋華の手首を掴んで、強く緋華を見た。夜の色の瞳の中で、炎が躍っている。

「――――手を」

 そして、食いしばった歯の奥から、声を絞り出した。

「手を、貸してくれ」

 再び出た声は、揺らぎなかった。もう気弱さはどこにもない。


 緋華の手首を掴む晟青の手を捕まえ、引っ張り上げる。晟青は反対の手で傷口をきつく押さえて、緋華にすがるようにして立ち上がった。滴り落ちる血が畳に吸い込まれる。

 晟青の肩を支えて、濡縁の方へと歩く。さほど広い居室でもないのに遠く感じられた。一歩進むごとに、血の跡が残る。晟青の体が重くなっていく気がする。火の圧で肌が焼けるようだ。息苦しく、煙で目が痛い。

 先刻緋華が舞良戸を蹴り開けたところから、燃える柱と梁の間をぬって、なんとか濡縁へたどりつく。


「日下部殿!」

 燃えさかる炎と、渡廊を壊す轟音に負けじと声を張り上げ、銀夜を呼ばわる。炎に追われるようにして雪の庭へ落ちた。

 緋華は晟青の肩を支えて助け起こそうとしたが、力を失った体は重い。もう、うめき声すら聞こえない。あふれていく血に、雪がじわじわと赤く染まる。

 だめだ。こんなに血を流しては、死んでしまう。


 焦る緋華の元に駆けてきた銀夜が、晟青を抱え上げる。火の粉の届かないところまで運ぶと、膝を落とした。

 細く漏れる白い呼吸を確かめて、腹部の傷を見た。銀夜は自分の着物の袖を破り取って、晟青の傷口をきつく縛る。肩で息をして駆け寄った緋華に、淡々と言う。


「あなたの部屋が一番人目に立たない。場所を貸していただきますよ」

 銀夜は顔を上げると、緋華の返答を待たずに晟青を抱えてすぐに歩き出した。

「火は」

「御館はどうにもならないでしょうが、城は焼け落ちません」

 炎の色が、紺藍に染まる空を、白い庭を茜に染め上げている。銀夜は怒号を上げて消火に駆けまわる人々に構わず、ざくざくと音を立てて、大股に歩いていく。


 その姿を見つけて、侍女たちと身を寄せるようにしていた寿香院が駆け寄ってくる。怪我のない様子に、緋華は少しほっとした。

「巻き込んでしまい、申し訳ありません。御館が……」

 緋華の言葉に、彼女は顔をこわばらせて首を振った。

「何をおっしゃいますの。飛田家の諍いに、神宮様を巻き込んでしまっただけです。神宮様がご無事で良かった」

 燃え落ちようとしている自分の御館には構いもせず、寿香院は青ざめた顔でつぶやく。

 そして銀夜が抱える男を見て、声を震わせた。

「晟青様、なんということ」

 銀夜は晟青の顔を隠すように抱え直すと、寿香院に言った。

「寿香院様、堀内殿のことも、晟青のことも、どうか他言無用に願います。万が一にも、神宮殿が晟青を騙し討ちしたと流言が広がっては困る」

「もちろんです」

 寿香院は震えながら言った。銀夜を見上げて、確認する。

「大事ないのですね」

「もちろんです」

 銀夜は、にこりと笑った。そして主の後ろで身を寄せ合っている侍女に、銀夜が珍しく厳しい声を出した。

「ここは危ない。寿香院殿を主殿へ御案内しろ。神宮殿は休まれるから、急いで居室へ寝具の支度を」



 慌ただしい足音が駆けてきたのは、その時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る