12話 嚆矢を放つ

 火を消すために奔走する人々とは違う。男が一人、回廊をまわり、庭に駆け下りてきた。

「神宮様。こちらにおいででしたか」

 荒い息のまま緋華の足元に平伏する。

 緋華が応える前に、銀夜が緋華の前に出た。


「どうした」

 大柄で、立っているだけで圧力のある銀夜に、男は慌てて平伏した。

「大事の折に大変申し訳ありません。城が燃えるさまが城下から見え、民が動じております」

「騒ぎになっているのか」

 はっ、と、男は積もった雪に額を押しつけるようにして平伏した。銀夜はため息をつく。

「神宮殿を招いて、鬼らいの火を炊いたに過ぎぬ。城ではなにも大事ない。そのように民に伝えよ」

 銀夜の言葉に、男は束の間口ごもった。呼吸を飲み込み、意を決したように強く声を上げた。

「あの、ですが、申し訳ございません。城下はひどく混乱しており、どうしても急ぎ禍つ祓いをお願いしたく……!」


「禍つ祓い?」

 緋華は思わず声を上げて、男の前に立った。寿香院の侍女たちがざわめいた。

「妖が出たのか」

 男は顔を上げ、すがるように言った。

「はい。今まで白蛇ではあり得なかったこと、城下は混迷を極めております。御屋形様のお姿がどちらにも見えず、神宮様におすがりするしかないのです。どうか、禍つ祓いの義をお願いいたしたく」

 側近くで、ちいさく舌打ちが聞こえた。緋華は思わず銀夜を振り返る。だが銀夜の目は、抱えた男を向いていた。


「よりにもよって、飛田の足元、白蛇の禍つ祓いを神宮にすがるな」

 かすれた声が憮然と言った。晟青の青白い顔が、切れ長の瞳が、男を見ていた。見下ろす主に、男が大きく息を飲む。

「お、御屋形様! 申し訳ございません! ご無礼を!」

 こちらにいらっしゃったのですか、と。身を縮こまらせて、再び雪の庭に平伏する。


 晟青は銀夜の胸を押しやった。銀夜は不服そうに晟青を見るが、逆らわずに晟青を雪の庭に下ろす。

 炎の中の時の姿を思えば、立つのすら苦しいはずだ。さきほどまで意識を失っていたというのに。思わず声をあげかけた緋華に、晟青は短く言った。

「皮一枚切られただけだ」

 そんな訳がない。あの血の量で。それでも彼は、銀夜に支えられながら裸足で雪の上に立つ。

「城下の舞殿まいどのに向かう。篝火を炊いておけ」

 銀夜は大仰な表情で困ったように晟青を見る。手当ては、とは尋ねなかった。晟青は唇を引き締めて、皮肉げに笑う。銀夜はやれやれという顔で兵に言った。


「御屋形様が参られる。馬廻うままわりを集めろ。それから輿こしを用意するように伝えろ」

「承知」

 男は叫んで、駆けだしていく。

「輿など」

「その傷で、歩くのも馬も無理」

 晟青は舌打ちひとつ、大きく息を吐いた。見ているだけでもつらそうだった。

 けれど彼は、唇をひきしめ顔を上げる。しっかりと足を踏み出し、寿香院の前に進み出ると、丁寧に頭を下げた。


「寿香どの。不躾な申し出ではありますが、上衣をお貸しいただけぬか」

 寿香院は困惑の目を主従に向ける。だがすぐに、黒い打掛けを脱いで差し出した。

「このようなものでよろしければ」

 晟青は頭を下げてから打掛けを受け取り、羽織った。襟を持ち、前をあわせる。そこでようやく緋華は気づいた。衣服の血や、手当ての布を隠すために、濃い色の着物が必要だったのだ。

 彼のまとう濃鼠の着物は、そもそも血の色が目立たない。あえてそういうものを身につけているのだと、それにも今さら気がつく。

 晟青は打掛けの裾を鮮やかにさばいて言った。

「不躾ついでに、もう一つお願いしてよろしいですか」

「何なりと」

「神宮殿と、城をお任せします」

 未だ燃える城を、慌ただしく駆け回る人々を。さらりと言われた言葉に、寿香院は束の間目を見開いた。けれどすぐに、しっかりと頷く。

「お任せくださいませ」

 晟青は唇を噛みしめ、しっかり雪の上を踏みしめると、銀夜の手を払って歩き出す。


 緋華を残して去って行こうとする彼らに、緋華は強く声を上げた。

「わたしも行く」

 晟青が足を止めて振り返る。炎にあおられてその頬が赤い。彼は燃えさかる城と緋華を見比べ、苦しげな息をついた。細く白い呼気が舞う。息が浅い。

「城に残すのは気がかりだが、混乱の城下はもっと危険だ」

「戦場に比べればなんでもない。同盟を世に知らしめる機会だ」

 臣下が認めなくとも、まず民に知らしめることができる。

 飛田も神宮も、まだまだ家中が荒れるのは想像できる。それならまず民に決意を見せ、時流を作っていくこともひとつの手段ではないか。

 それに、晟青の禍つ祓いを見たいと思った。東の鬼と言われる彼の、清め舞を。

 そして何よりも、彼に確かめなければならないことがある。


「では、神宮殿も輿を」

「いらない。白蛇の町を見たいし、道中で妖を祓わなければ」

「護衛に兵を割けない」

「曲者がまだいるのなら、ずらずらと輿を連ねていく方が狙われるのではないか」

 晟青は口をつぐんだ。その横から銀夜が、相変わらずに遠慮のない言葉を放つ。

「あなたを守るために、いくらでも人が死ぬのはお分かりですよね」

 緋華の命を狙う者がまだいるのなら、この混乱に乗じてくることはあり得る。もしかしたら、これすら仕組まれたものかも知れなかった。

「だが国と人を守るのがわたしの務めだ」

 背負った神居の剣を手に持ち直す。握りしめて、まっすぐに晟青を見返す。

 厳しい表情をしていた晟青の顔が、ほんのすこし和らいだような気がした。少しだけ、嬉しそうに見えた。――気のせいかも知れないが。


「わかった」

 晟青は短く言い置いて、踵を返す。打掛けの裾をさばいて、振り返らずに歩き出した。

 銀夜がすぐにその後ろに続く。緋華は思わずその背を、呼び止めた。

「日下部殿」

 面倒な、というのを隠しもせずに、銀夜が振り返った。緋華は長身の銀夜を見上げる。彼の表情は相変わらず奥底を覗かせなかった。

「支月が目を覚ましたと言うのは、本当なのか」

 あの混乱の中、堀内に対しての虚勢とも限らない。

「信用がないですねえ。本当です。明日にでも様子を見にいかれるといいですよ」

 銀夜のあきれた声が返る。今嘘をついても仕方のないことだろうから、とりあえず本当なのだろう。


 支月は無事だったけれど、結局、この同盟のせいで人が死んでしまった。誰も死なせずに終わると言うのは、やはり欺瞞なんだろう。こういう混乱は、きっとこれからも起きる。

 ごうごうと音を立てて城が燃えている。歩いて行く晟青の黒い背を、炎の影が赤く彩っている。それから緋華は、心配そうに晟青を見守る寿香院を見た。


 誰もが、鬼と呼ばれる飛田晟青に対して、違う像を語る。その本質に一番近くいるのは、乳兄弟の銀夜のはずだ。

「あなたに言わせると、飛田殿はどういう人なんだ」

 緋華の言葉に銀夜は、ふうん、と小さく応える。声に誘われるようにして、緋華は再び顔を上げて銀夜を見る。

「頭はいいけど、人生の損得勘定は苦手でねえ。一途で融通が利かなくて」

 その時だけ、銀夜はいつもと違う笑みを浮かべていた。

「ま、一言で言うなら、くそ真面目」

 とても愛しいものを語るときのような、顔だった。




 門へ向かう途中、城から見える町は、あちらこちらに大きな明かりが灯っていた。

 これは松明だけではない。家が燃えている。乾いた冬の風にあおられて広がっていく。

 雪に覆われた町を炎が照らす中、不自然に澱んだ闇が見える。町が闇に襲われているかのようだった。静かに清め雪の降る中、叫ぶ声があちらこちらから聞こえた。まるで戦場だ。


 城の門前には、すでに馬廻りが集まっていた。戦場で当主の身近を警護する馬廻りたちは、平時も当主の身を守るのが務めだった。晟青は輿に乗り、兵がそれを担ぐ。

 銀夜は輿の前に立ち、彼らに命じる。

「これより城下の舞殿にて、禍つ祓いを行う。御屋形様が向かわれる道の露払いをせよ」

 道に立ち塞がる者を追い払え、という命令。それは人であっても、妖であっても。

 応、と強く声が上がる。緊迫感があたりを覆った。


 銀夜に向け、緋華は言った。

「妖の露払いはわたしが行う。鏑矢を」

 すぐさま馬廻り衆のひとりが、弓と矢を差し出した。

 緋華は門を出る。雪明かりと松明で、夜空は思いかけないほどに明るかった。遠い月へ向けて、弓をつがえる。

 放つと、高い笛のような音が、凍えた町に響き渡った。

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