5話 まるで終焉をのぞむように

 上坂の城の禍つ祓いの後、死んだ将兵の供養を行った。そして飢えた周辺の民に食料を与え、鴻山の城へ戻った時には、すでに日が暮れていた。

 暖かな日中とは違い、部屋には涼やかな空気が流れていた。足早に上座へ腰を下ろし、緋華は支月に問う。


「こちらの様子はどうだ」

「民が不安がっているようです」

 戦をすれば国の境が変わる。治世者が変わる。民にしてみれば、年貢を持っていく相手が変わる。その重さが変わる。略奪や人買いが横行する飛田の治世で、この後どうなるのか。

 こと今回のように、両家間で明確な線引きがされないままでは、不安でいるなというのが無理だ。神宮から切り取られた民にしても、こちらに残された側にしても。

 誰もが感じている。このままでは終わらない。


「明日、このあたりの様子も見て回ろう。妖がまだいるかもしれない」

 神宮は民を見捨てたりしないし、気にかけているという証明に。

「念のために申し上げておきますが、お一人で出歩くのだけはおやめくださいよ」

 支月が少しむくれた様子で言うので、緋華は笑ってしまう。

「分かってる。ここは桜花じゃないんだから」

「一触即発の状態ですから。もう上坂へ向かうなどと決してなさいませんよう」

「様子を見に行ったりしないし、飛田を刺激するようなこともしない。すべて支月に任せる。こちらに踏み込ませないようにしてくれ。なるべく戦は避けたい。交渉の余地があるのなら、どうにかしたい」

 あちらが戦をしたいのは分かっている。今回の戦のはじまりは、民同士の水の奪い合いだっただろうか。些細なものでも、口実をつくってくるだけましかもしれない。


「死力を尽くします」

 でないと、緋華がすぐに飛び出していきかねないから、と。真顔で応じる支月の表情が語っている。

「頼りにしている」

 戦があった土地で、相手が話をする意思もないのに、「荒事にするな、でも国に踏み込ませるな」というのは難しい話だ。支月は重々しく頷く。

「しかし、覚悟はしておいてくださいよ」

 支月がすぐに駆けつけて、碧輝と共に状況を押しとどめていたから、辛うじての現状がある。それから、時期だ。

「もし今、戦を回避しても、飛田は違う口実をもうけてまた攻めてきます」


 東の飛田家。

 十九歳になる当主が十二の頃、飛田の先代は病で亡くなった。その先代と、先々代の跡目争いで飛田の血筋はほとんど絶え、今や飛田晟青ひだじょうせいが最後の一人と言われる。


 神宮と対立し、家臣と対等に渡り合わねばならない状況で、たった一人残された少年は、臣の操り人形になるかと思われた。

 だが幼さゆえの頑迷さか、やはり飛田の血ゆえか、少年はそうならなかった。

 家督の儀式の場で「按察あぜち征西せいせい将軍」を名乗りあげ、同年の乳兄弟を副将軍に据えた。反対した外祖父を、その場で惨殺している。

 本来ならば、一番の後ろ盾となる人物を――一番、彼を操ろうとしていた人物を。自分の、祖父を。

 彼の治世の第一歩が、血に彩られている。


「どうしてかな」

 つぶやいた緋華の言葉は、ため息混じりだった。

 どうして、そう戦をしたがるのか。


 戦になれば、多くの民が駆り出される。

 戦場付近の村は無事にはすまないのが定石で、敵の拠点にならないよう焼き払われるか、補給路として略奪されることも珍しくはない。そうやって何もかもを奪われて、路頭に迷った人が人買いにさらわれることも。

 何とか生き延びても、今度は自分が略奪者になるしかない者も少なくはない。戦のときだけではない波及が、必ず起きる。


 そして必ず妖が人と国を冒す。穢れた土地を放っておけば、人が住むことはできなくなる。妖は人を襲い、無為に殺していく。

 国が豊かになるはずもないのに。


 支月は和やかな声で、宥めるように言った。

「もっと自分から、進んで攻めて行かれても良いと思いますよ」

 ――守るだけではなくて、攻めて行けと。

 緋華の呟きに反する言葉だ。

「何故」

「今のままで、逃げてきた者をすべて受け入れることは出来ません」

 飛田を逃げ出す民は多い。戦になれば、逃げてくる者も当然増える。


 だが、土地がない。米がない。行き渡らせることは出来ない。

 自国の民ならば、手助けもする。だが、逃げてきたものをただ受け入れることは、神宮にもできない。今日のように、禍つ祓いに出向くことだって、本来はできることではない。

 緋華は再び小さく息を吐く。――それは、緋華にもよく分かっていることだ。だけど、だからといって簡単に変えられない。

 秋の、ひやりとした風が髪を撫でていく。心を冷やしていくように。


「わたしはできれば、このままでいられればいいと思う。神宮家も飛田家もお互いの土地を治めて、それでうまくいくならいいじゃないか」

 何も無理をして相手の土地を奪って、国をひとつにまとめようなどと思う必要はないのではないか。皇家がひとつで国を束ねていた昔を懐かしんでいるだけではないのか。


「あなたがそれでいいと思っていても、多くの人はそうは望んでいないでしょう。飛田家が何を考えているのか分からないのは以前からですが、神宮の将兵も、民も、飛田の民ですら、あなたが治める天下泰平を望んでいますよ」

「買いかぶりだ。皆がうまく運んでくれているだけで、わたしは何もしていない」

 ええ、と支月は応じる。主君一人がいたところで物事は運ばない。しかし、良い主のいない場所に、人は集わない。

 挫けて項垂れた人々を、力強く導いてくれる人、励まし鼓舞してくれるたった一人がいなければ。


「あなたは愚鈍ではない。秀でた人だと思う。だけども、とびぬけて名将であるわけでも、有能であるわけでもない。それくらい、みな分かっています。それでも民があなたを崇め、あなたについていくのは、あなたがそれだけ民のために必死になってくださるからです」

「それも、飛田家があまりにも、民に無理を強いるからだろう」

 当主の座について三年、それで何が変えられたと言うわけではないだろう。

「それは、わたしの手柄じゃない。父上や爺様や、神宮の祖先ががんばったからだろう。そして、みなが懸命に働いてくれて、たまたま飛田家が民に無理を強いていて、比べて見れば神宮が良いように見えるだけのことだろう」


「そんなに、ご自分を卑下しないでください」

 少し悲しくあげられた声に、緋華は碧輝を見る。

「あなたが民に気をかけて、国中を禍つ祓いへ出向く、そのことでどれだけの人が救われるか。民があなたをどう呼んでいるかくらい、ご存知でしょう」

 桜姫――春の女神と。


「桜花の民はしあわせです。徴兵にとられることはあっても、随分と長い間、桜花は戦場になったことがない。妖からも守られている。神宮家の庇護の下、桜花の民は、豊かで明るい」

 明るい城下の町、稲穂の波うつ田が広がる桜花の土地。忙しく働く人たちの姿が脳裏に甦る。

 皆、城下をうろつく緋華を見ると、笑いながら挨拶をしてくれる。いつもだ。緋華が気軽に城下を歩いていられるのは、そういう人たちが見守ってくれるからというのもあるのだ。


「ですが国境の民は、常に気を張っています。飛田に治められる民を憐れみながらも、その土地から逃げてきた者に、田畑を荒らされること、物を奪われること、命を奪われること。そしてもちろん、戦が起きること。その戦に神宮が負けて、自分たちの住まう土地を飛田に削り取られること。戦の後で、土地が穢され、妖があふれること」

 それは、知っている。実際に緋華も見てきたことだ。


 禍つ祓いを行い、戦場の死体を供養した。生き残り、傷つき、何もかもを失い苦しむ人々に、せめてもの食料を与えた。それだけのこと。

 緋華ができるのは、一時凌ぎのことでしかない。だけど民は、涙を流して喜んでくれる。神宮の桜姫はお優しい方だ、と。


「確かに、飛田の民を、あわれには思うけれど」

 重税、飢餓、叛乱。そのたびに弾圧され、関わった者と家族は殺される。徴兵と苦役。しかしどんな建前があろうとも。戦乱よりも、飢餓の方がましだと言われるのも現状なのだ。

すめらの血の務めは、戦をすることではない。国を清め、妖から人を守ることだ」

 しかし、と支月が、宥めるように言った。

「戦には大義名分が必要です。戦の世の初め、群雄が覇を競っていた頃から、正当を名乗のは、飛田家と神宮家だけでした。朝廷もなく、帝のいなくなったこの世において、皇家の血を引くのは神宮家と飛田家だけでしたから」


 戦の世を招いたのは、飛田の祖先だ。

 事の始まりは、武家が力を持ち始めた頃、数百年以上もさかのぼる時代のことだ。


 宮廷で乱心騒ぎが起きた。飛田の祖先は、臣籍降下された親王の家系だ。その美しさゆえに、帝にも愛された皇子は、有力貴族として朝廷に仕えたという。

 その飛田家が突然、時の帝、そして皇家宮筋の者を、すべて惨殺すると言う行動に出た。とうに剃髪し出家していた者、細々と生きていた者も関係なく、皇家の血を引くものは、国の隅々まで探し出され、殺された。

 飛田が皇位を望んだ反逆だと誰もが思った。だが当時、飛田家は権力の座に固執しなかった。それよりも執拗に皇族を追い続けた。


 突如、政権が瓦解し、混乱は収拾のつかないものになった。

 国は妖にあふれ、人心は荒れ、狙い済ましたかのように、名のある貴族や力を持つ武家の者が、国を統べるものとして名乗りをあげた。

 帝の庶子であり、宮廷とは遠く離れて暮らしていた神宮の初代も、飛田に母の家を滅ぼされた。執拗に追われて国中を逃げ回り、そのうちに手助けする者が現れて、神宮の家を興した。


 神宮と飛田の対立は、遥か昔から歴然としてそこにある。


 幾度か政変もあった。成り上がった武家が将軍を名乗ったこともあった。そうやって束の間の平穏が訪れたこともあった。しかしいつの間には世は乱れ、戦になった。


 この国には妖が現われる。人の負の心に導かれる妖は、人がいる限り、必ずどこかから現われる。特別に清められた刀や槍で滅することはできるが、それだけだ。人身が乱れ地が穢れ、一度妖が現われれば途絶えることはない。

 皇家は神の末裔と言われ、その血をひくものだけが地を清め、妖を祓うことができる。かつては帝の皇子や姫皇子が国をまわり、清めてまわったと言う。――またすぐに、人の心に惹かれてやつらが現われるのだとしても。

 そういう国において飛田が帝位を欲さず、皇家の血筋を執拗に追ったのは、国を滅ぼしたかったのか――

 ただ最後に、神宮家と飛田家と、この二つが残ったのは必定だった。


「飛田家はたしかに、冷徹な一族と言われてきましたが、自国の民を苦しめるようなことはしてこなかった。特に先代は有能な人で、彼の代で飛田家は国の東を治めるに至ったのです。ですが――だめです。飛田晟青は」

 美しき鬼と呼ばれ、恐れられる人。

 ――彼の仕打ちはまるで、乱を起こした飛田家として、国にとどめを刺そうとしているかのようだ。

按察あぜちだなどと、実際に治世の有りようを問いただされるのは、己自身であろうに。みずから、己の納める土地を穢すような振る舞いばかり行うような者など」

 支月が憎々しげにこぼした。


 飛田の名乗った按察征西あぜちせいせい将軍の名。

 按察とは、政治や行政のあり様を調べて正すという意味だ。かつて朝廷により、各地の様子を調べるよう使わされた官に与えられた名前だった。

 按察征西、「西を制す」「西の治世のありようを問う」という意味の含まれた名は、真っ向から神宮へ宣戦布告したことにもなる。


 飛田の名乗りに色めきたった神宮の将を抑えるためにも、当時存命だった神宮の先代は「鎮守ちんじゅ日陽にちよう将軍」を名乗った。

 敵の姿勢に対し、ただ己は守るためにあるのだと言う主張でもあった。「日陽」は、日輪と呼ばれ慕われた彼の呼び名からとったもので、緋華は先代の後を継いで、家督時に二代目を名乗っている。


 だから、守るだけでありたい、と緋華は思っている。父の遺志であるのなら、それを継いでいきたいと思うけれど。

 異例の女当主に、最初は皆が戸惑った。けれど今はその異例を、特別に考えている人も多い。いつもと違うのならば、戦乱に太平を招いてくれるのでは、と。

 支月は重い声で言った。


「ここは戦になります。遠からず。飛田はきっと、攻めてくる」

 彼も、緋華の意志を分かっている。何より支月自身が、先代の遺志を尊重したいと思っているはずだ。だが彼は決して、甘い見通しを言わない。

「刈り入れの頃には、必ず」

 それは、予想ではない。

 確信だった。

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