3話 思い出は遠く、迫る不穏

 桜花の城下町は、いつも賑わっている。

 ここは西の神宮家の膝元、もうずっと何年も戦になったことはない。妖からも守られている。戦火に焼かれず、理不尽な穢れにさらされなければ、町はどんどん大きくなり、活気に満ちていく。

 農夫たちと同様に、町を行き交う人々が、緋華に気軽に声をかけていく。むしろ、馬を引いて後ろに従う支月に、丁寧に頭を下げた。


 緋華は、町の中央あたりに設えられた舞殿の前で足を止めた。四隅の太い柱に支えられた、壁のない御館。舞を奉納するための、重要な場所だった。

 神宮の者は代々ここで、町を守るための禍つ祓いの儀式を行ってきた。

 桜の咲く頃、清め舞を奉納する。そうやって、この町を穢れから守ってきた。


 ――少年と出会ったのは、七年前の清め舞の、前の夜だった。

 城を抜けだして、満開の桜の山をさまよっていた時に、花びらに埋もれていた少年を見つけた。


 朧月と花明かりに照らされて、眠るように目を閉ざした姿は、まるで夢のようだった。はにかんで笑う姿も。交わした約束も、忘れていない。

 翌朝父と共に舞台に立った時、集った群衆の中に少年の姿を探したけれど、分からなかった。でもきっとそこにいたに違いないと、何故か確信があった。

 毎年、思う。父を失い、一人でこの舞台に立つようになってからも。無意識に探していた。

 再会の約束をしてから、彼と出会った年には、毎日桜の山に行った。けれど再び会うことのないまま季節は過ぎた。その次の年も、次の年も、今までずっと桜の咲く頃にはあの山で待っていたけれど、その姿を見ることはなかった。

 そのかわり、幾度も夢に見る。


 夢に見るたび、あれは幻だったのか、本当にあったことなのか、分からなくなってくる。思い出す度、面影は遠くなっていく気がする。触ろうとすると逃れていく幻のようで、現実感を失っていく。夢でみた出来事を、本当にあったことなのだと錯覚しているだけのような気持ちになってしまう。

 それがひどく寂しくつらい。見捨てられたようで、怖くなる。

 もう会えないのだろうか。約束など、忘れてられてしまったのだろうか。

 それとも、もしやと思ってしまう。死んでしまったのではないかと。

 でも彼は、頑張ってみると言った。


 桜花の桜を見ずして生を語るな。その言葉を口にした少年は、死ぬのを待っていたと言いながらも、生を諦めたくはなかったのかもしれない。生を語るために、桜花へやってきたのだと思いたい。

 一緒にいればいいと言った。守ると言った。その言葉を緋華は忘れてなどいない。

 だから意地のように、出会いも言葉も、嘘でも夢でもないと証をたてなければと思う。

 この国を守り、人々を守り、彼を守らなくては、と。



 蹄の音が聞こえた。町中を早駆けの馬がやってくる。尋常の様子ではない。支月を見るが、彼は首を横に振る。慌てた様子の早馬には、支月も心当たりはないようだった。

 早馬は支月と同じように、緋華の元に馬を慌てて止める。巻き上がる砂埃の中、馬上の主は転げるように馬から降りた。緋華の前に跪く。

「桜花城へ参内いたしましたが、御姿が見えず」

 探しました、と言外に、荒い息で言う。ほらこういうことがあるのです、と言いたげな支月には気付かないふりで、緋華は男に向き合った。


 いま、城は戦支度で忙しい。敵を包囲して、勝利が目前の戦への援軍だ。大事などないはずだ。だが、このような時期に早馬など、胸騒ぎがした。

「どうした、火急の知らせか」

「上坂の遠野様よりの早馬が参りました。急ぎ城へお戻りください!」

 頭から血の気がひいた。足元が崩れるような感覚に襲われる。緋華はよろけそうになるのをこらえて、その場に踏みとどまった。

 ――嫌な予感ばかり的中する。

 男が乗ってきた馬の手綱を取る。

「馬を借りる。急ぎ城へ戻る。支月も一緒に来てくれ」

「は」

 支月は厳しい顔で頷いた。



 緋華が城に戻ると、謁見の間の濡れ縁に、鎧を着た兵が平伏していた。血と泥に汚れ、戦場から駆け戻ったのが一目でわかるその姿に、立ち止まりそうになった。

 だが緋華は唇をひき結び、そのまま部屋の中を進んで、壇上の上座に腰を下ろす。支月が続き、緋華のそばの筆頭家老の席に座った。


「上坂からの報せとか」

 緋華のかわりに支月が声をかける。兵は今にも崩れ落ちそうなのをこらえながら、かすれた声をあげた。

「我々は上坂城を包囲しておりましたが、突如飛田が城内より討って参りまして」

「城が落ちるのは間もなくであろうということではなかったか。それゆえ、御屋形様も御出陣なされる予定だった」

 順調な戦況だと聞いていた。

「はい、ですが、飛田は城の壁を内側から破って、我々の陣に突入してきたのです。我々の陣も、上坂の城も何もかもを燃やして、すべて焼け落ちました」

 息も絶え絶えの言葉だった。


 ――すべて、焼け落ちた、と。

 すべて、とは。どういうことだ。

 血の気が引いて何も考えられず、指先が凍えて震えた。緋華は膝においていた手を握りしめる。

「飛田が、城も敵も味方も火にくべたということか」

 なんということを。どれほどの人を焼き殺したのか。

「――碧輝は」

 しっかりと声に出したつもりだったが、語尾が震えた。


「わたくしは火を放たれてすぐに、御屋形様に使いに走るよう命じられましたので」

 不明瞭な答えだった。使い番の兵も応えられないのだ。生きているとも、到底生きているはずがないとも。

 そんなことが、あっていいわけがない。


「上坂へ向かう」

 緋華は立ち上がり、足音高く歩き出した。

「いけません。まずはわたしが向かいます。状況を確かめ、必ずやすぐに使いを走らせます。その後にお越しください」

 支月が慌てて緋華を止める。

「出陣の用意は調っているはずだ、すぐにでも発てる!」

「ですから、わたしが向かいます。緋華様、あなたを危険な目にあわせる訳にはいかないのです!」

 状況が分からない。敵がいる。しかも、何をするか分からない、残虐な敵が。兵がどれだけ潜んでいるかも分からない。敵の援軍がいるかも知れない。


 神宮の当主が、国と民を守る者が、真っ先に踏み込んでいい時局ではなかった。

 緋華はただ唇を噛みしめた。

「わかった。支月に任せる」

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