3話 護衛の男
白蛇に来て緋華があてがわれたのは、白蛇城の主殿ではなく、二の丸御殿の一部だった。同じように二の丸に部屋を与えられている銀夜以外の者は、近づかないように退けられている。
捕虜であった緋華を抜きにして、評定で飛田晟青から緋華との婚姻が飛田家臣へ告げられたその日。
銀夜は相変わらずに飄々とした笑みで告げた。
「必要なことは、わたくしが来てお知らせします。評定の場で飛田の臣と話すべきときも、この銀夜がお迎えに参ります。他の者が来ても、絶対に取り次がないようにしてくださいね」
今までは捕虜としての扱いだった。そのため緋華を隔離していたのだとしても仕方がないことだ。
だがこうして立場が変わった今になっても、二の丸に捕らわれたままというのもおかしな気がした。飛田の臣から守ろうということなのだろうが、中央から巧妙に外されている気もする。
「飛田殿は?」
この男の調子に惑わされてはいけない。緋華は、低く抑えた声で言った。
「戦の折も、白蛇へ来てからも、顔を見ていない。城主へご挨拶する必要があるかと思うが」
緋華の言葉に、銀夜は目線を上向かせて天井を眺め、少し考えるようなしぐさを見せた。それから再び緋華を見ると、にっこり笑って言う。
「まだお会いする必要もありませんでしょう。婚礼まで顔をあわせないのも通例ですし」
「これは通常の婚姻とは違う」
緋華は眉を寄せるが、銀夜は変わらない。
「普段から評定にも面倒がって姿を見せないこともありますし、銀夜がいれば事が足ります。我が殿からも、神宮殿と我々で、先日の戦の事後について采配するよう言われておりますから」
「噂通りなのかな、飛田殿は」
東の鬼は、政を放り出し、臣下に無理難題を押し付けるだけの、暗愚なのだという。
その噂通りなのかと緋華が問うと、銀夜はにっこりわらって、そうかも知れないですね、と言った。緋華が戦の折に、飛田が態度を改めるならば話を受けると言ったことを、もう忘れているのか。
まったく食えない男だ。
「それから、緋華姫には護衛をおつけしておきます。戦の折にはあのように申しましたが、銀夜がずっとお側にはりついているわけにもいきませんので」
銀夜の斜め後ろ、平伏して顔を伏せたままの男がいる。銀夜がうながすと、男はためらうように少し顔を上げた。それから思い切った様子で、すらりと背を伸ばす。
強く見つめてくる、夜の色の瞳。
冷たく見えるほどに整った顔立ちの男は、銀鼠色の小袖に濃い鈍色の袴をはいていて、髪は無造作に後ろで束ねただけだ。
装いは質素で飾り立てるものではないのに、彼の周りだけ空気が違った。顔を上げる、それだけの仕草が流れるようだ。澱みがない、慧敏な空気をまとっている。
秋の桜花で会った時は、桜紅葉の覆い尽くす山の中で、戦の時には泥にまみれていた。でも、その強い瞳は間違えない。
驚いて、緋華は息をのんだ。
だけどもう、意外には思わなかった。戦の時のようにうろたえもしない。緋華はただ、つぶやくように言った。
「会うのは三度目かな」
いつも騙し討ちのように現れる。
男が何も言わないので、銀夜が笑いながら、有無を言わせぬ調子で言った。
「銀夜の縁の者です。銀夜が不在の場合は、この者がかわりを勤めますので」
「なるほど、日下部殿の子飼いの配下か」
それならば、あの時期に桜花にいたことも、戦場で緋華を先導するような役を負っていたことも納得できる。
ただ、そのような立場の者がどうして、緋華にあんな約束を口にできたのか、分からない。
銀夜を通して飛田晟青に進言したのかもしれないが、簡単なことでは無かったはずだ。特に相手が東の鬼であれば。
男は何も言わなかった。緋華が苦く笑うのを見ていられなかったのか、目を伏せただけだった。
「桜花城には起請文を送ってあります。外交の取り決めならば、神宮の御家老の参席も必要でしょうし、どなたかがお越しいただけるものと思います。お手勢もいくらかこちらに連れてこられるでしょうから、緋華姫の警護も少し厚く出来るかと」
飛田からの使者を受けた神宮の臣は、どれだけ動揺するだろうか。父が亡くなった時のようにはならないでほしいと願う。支月が抑えてくれるはずだと信じているが。
実際に婚儀が執り行われて同盟が成立し、新しく時代が動き出すまで、今この城も国も、細く張り詰めた緊張の糸の上にある。
緋華は銀夜の飄々とした顔を見て、強く言った。
「碧輝の――遠野の葬儀があるはずだ。弔問の使者を送りたい」
ああ、と応える銀夜は無感動だった。
「飛田家からも、飛田の名で出したほうが良いでしょうかね」
「葬儀の場で、要らぬ動揺は避けたい。わたしの名目で、飛田から出してもらえれば」
そうですね、と、碧輝を殺した男は、変わらない笑みで言った。
「俺は外で見張っています」
去って行った銀夜の後を追うように、男は濡縁へ出た。開け放した襖の向こうに、雪化粧の庭が見える。
その前に立つ銀鼠色の衣の背に向けて、緋華は問いかけた。
「桜花にいたのは、何故?」
「……間諜のためじゃない」
あの時、飛田の間者かと尋ねて、違うとはっきり答えた。そのくせ、どう考えても怪しい自分の身を誤魔化そうともしなかった。
飛田副将の縁者だと言った後でも変わらない言葉は、確かだと思っていいのだろうか。
「戦の時、わたしのところに来たのは、飛田殿の命令だったのか」
護衛の男は少しの間をおいて、応えた。
「違うと言えば嘘になる」
曖昧な返答だ。
言えないことがあってそれを避けているのは、桜花にいたときから明らかなのに、彼は嘘で誤魔化そうとしない。
ただ、あの戦の時、城への道を案内すると言ったことだけは、嘘だったけれど。
緋華が判断して、ついて行った結果のことだった。信じたいと思ったから。だけど、騙されたようなものだった。
「どうしても君と話す必要があった。飛田副将のところに、間違いなく導く必要があった。だから強引な手を使った」
護衛の男は、緋華を振り返る。夜の色の瞳で、強くはっきりと見て、言った。
「君がこの道を選ぶのなら、誰にも邪魔はさせない。何があっても君を守る。それだけは、信じてほしい」
揺るぎのない言葉だった。
これが嘘だと言うのなら、何を信じればいいのか。
彼は自分の行きたい道を選んでいいと言った。
今まで誰も、緋華に言わなかった言葉だった。誰も言えなかった言葉だ。
その言葉が、その毅然とした瞳が嘘でないのならば。
害意はないのだと思いたい。
護衛の男の後ろ、寒風が吹き込む外では、白い雪が風に惑いながら舞いはじめていた。朝方に庭を白く埋めた後やんでいたが、再びふりはじめたようだった。
東の飛田家本拠地、白蛇。国の真心から見て北東にある町。桜花とは、あまりにも違う。
思わず気をとられて、緋華はちいさくつぶやく
「白蛇の雪か」
この雪を見ずして死を語るなと言われる、白い雪花だ。
緋華の目線を追って庭を振り返り、護衛の男が、ああ、と溜息のように応えた。
「この二の丸は月見櫓とも呼ばれていて、とくに見晴らしがよく作られた場所だ。二階に登って、戸板を外してしまえば、四方が見渡せる。城下の雪も」
城下は、飛田の軍が凱旋するときに、共に白蛇入りしたときに通ったのみだった。
この場に町を築いたかつての飛田当主の采配で、隅々にまで道が行き届き、町並みは整然と整えられている。白蛇の町にある家々は白壁で揃えられていて、高台に――たとえば白蛇の城に登って見るには、雪に覆われた町は美しいだろう。
「そうか」
いつか、見てみたいと思う。桜花と並び称されるそれを。
ゆっくりと雪見をするような日がくるのならば。
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