9話 謀略の末
そして東の鬼は、ためらいもなく腰の太刀を抜いた。後ろから堀内の首筋に刃を当てる。
寿香院が息をのみ、侍女が細い悲鳴を上げた。
「何用か述べよ」
尊大に見下ろして、命じる。突きつけられた刃に気づかないわけもないのに、飛田の重臣は、笑い含みに応えた。
「さきほど申し上げました。分け隔てなくしていただかねば困ると。神宮殿にお会いしようにも、なかなか叶いませぬゆえ、このような強引な行動に出てしまいましたが」
「誰がそんなことを聞いてる」
飛田
ああ、そうですね、と堀内は少しも臆せずに言う。
「寿香院様に、神宮殿を殺していただこうかと思っていたのですが」
堀内の言葉に、寿香院は色を失った。
まさか彼女は、あのように語りながら、堀内と共謀していたとでも言うのか。もう何もかもが疑わしく思えて、でもここにきて、堀内がそれを明かす理由が分からない。
「御屋形様の母君を殺したのは寿香院様ではないかと、まことしやかに語られた時期がありましたなあ。女の妬心は御しがたいもの、天下泰平とは別のところにありましょう」
だが、この同盟の意義を理解しているつもりだと言った寿香院は、膝の上で握りしめた手を震わせながら言った。
「真実など、あなたのような方の手で、いかようにでも歪められることは、わたくしは存じております。わたくしをどのように思おうと構いません。晟青様の母君のことも、わたくしが何を言おうとも、あなたは都合の良いように流言されるのでしょう。ですが、わたくしが、飛田のご当主の意に反して、飛田家を危難に陥れることなど、決してありません。飛田の先代を支えるために、ここへやって来たのですから」
「ですが、そのようなこと、何の意味も持たないことも御存じのはずだ」
寿香院の言葉を、堀内は簡単に切り捨てた。どのような思いも、力で塗りつぶして、書きかえられる。
「真実がどうであろうとも、あなたが神宮殿を殺すのです」
緋華を殺して、寿香院に罪をかぶせるつもりだと言い放つ。だが寿香院の名を利用して、どのように緋華を殺して、その後どうするつもりだったのか、もはやわからない。ここに押し掛けたところを主に見られては、もう言い訳のしようもない。
「――馬鹿か、お前は」
晟青が、呆れを滲ませて、再び言った。
蔑む言葉に、堀内の口から哄笑があふれた。つきつけられた刃をものともせずに、肩をゆらして笑う。
不穏な気持ちを抱かせる堀内の笑い声にまぎれて、足音が聞こえてくる。
重いものを引きずるような音と共に、どこかのんびりとした足音の主は、開け放した舞良戸に姿を見せた。立ったままで部屋を覗き込んで、驚いた顔をする。栗色の髪。余裕のあふれる動作。
「……おや。おやおや」
銀夜の間延びした声は相変わらず。場に満ちた緊張を気にもとめていない。強張った空間を上滑りしているような、場違いな声音だった。
「堀内殿、いつの間にこちらへ?」
その声に、堀内は初めて悠然としていた態度を崩した。自らに刃を突き付ける主を振り返る。
「こんな時期に、銀夜が俺の側を離れるわけがないだろ」
振り仰ぐ家臣を、晟青は冷ややかに見た。
「発ったのは三島の手勢だ。上坂は、飛田の手で、三島と宇野が抑える。神宮の主を白蛇に捕えて、飛田が再び西へ侵略を始めたのだと思われるわけにはいかない」
先日銀夜は、策略に乗るのかと言った緋華に、「武藤殿のおかげで、三島殿はとりあえず使えそうなのが分かったので、使います」と言ったのだった。
銀夜が白蛇を去ったように思わせて、逆臣が動くのを待つと。三島はこの婚姻に先陣を切って反対をしたものの、叛意を行動に起こすほどの度胸はないように見えた。そして嫌疑をかけられたくないならば、宇野は何を持っても乱をおさめるだろう。
銀夜は薄く笑うと、左手で引きずっていた物を軽々と居室へと投げ入れた。
「いくら病人が相手だからと言って、もう少し手練を探された方が良かったのではないですかね」
大きな音をたてて、一人の武士が床に転がる。見覚えもない男だ。血は流していないものの、首がへし折られ、明らかに絶命していた。
暴挙としか言えない銀夜の行動に、場の空気にいっそう緊張が走る。
だが、緋華は思わず立ち上がった。
「まさか」
――病人相手に、と、銀夜は言った。
「武藤殿は御無事ですよ。先頃目を覚まされました。あなたのことをいたく心配されて、置いてくるのに苦労しました」
大仰にやれやれと溜息をついて、銀夜は言う。だが、もたらされた朗報に、素直に喜ぶことが出来ない。目を覚ましたと、無事とは言うが、しかし。
銀夜の言うことが果たして本当なのか分からない。そして何より。
「襲われたのか」
居室に投げ捨てられた、この男。
「銀夜がいて、何かあろうはずもありません」
ふてぶてしい言葉は、肯定であり、否定だった。
堀内は緋華を狙うと同時に、支月にとどめを刺すために刺客を差し向けたのか。
睨みつける緋華の目線など気にも留めず、何もかもの謀を挫かれた堀内は、晟青を見上げる。
「――――あなたは」
唸るように言った。腹の底からの、憤りの滲むような声だった。
「本気で、この同盟が成ると思っておられるのか」
「思っていなければ、動くわけがない」
晟青は簡単に言い捨てた。
堀内は顔を戻し、憤怒の表情で歯を噛みしめ、緋華を睨む。
直後、堀内は突きつけられた刃を素手で掴んだ。同時に腰に帯びたままだった太刀を抜く。
振り返りざま横薙ぎに払われた太刀を、晟青は脇差を抜いて受ける。金属音が鳴り響いたのは一瞬のことだった。堀内は晟青の太刀を離し、刃を掴んで血まみれになった手を気にもせずに、飛田副将の方へ駆けた。
部屋へ踏み込もうとした銀夜の道をふさぐように、堀内は入口近くの高灯台を蹴倒す。
油皿からこぼれた油と火が、畳に転がされた男の上に散った。あっという間に火が男の衣に燃え移り、炎を吹き上げた。
止めるまもなく、堀内は続けざまにもう一つ蹴倒す。火種が畳敷きの床に広がり、柱に燃え移った。
飛田の主従の間を炎が立ちふさがる。晟青は舌打ちをした。
火が、次の間に続く襖に燃え移る。薄暗い冬の居室を、赤く染め上げた。火の勢いが強い。
「銀夜、火を消し止めろ。渡廊を壊して延焼を防げ」
「晟青」
銀夜がためらうような声をあげた。
「ここはいい。城が焼け落ちるのだけはなんとしても止めろ」
晟青の声に、身動きとれずにいた緋華は、ハッとした。
――城が燃える。
東の飛田家の、白蛇城が燃える。世に聞こえた静謐の城、力の象徴たる城が。
銀夜は、やれやれというように溜息をつくと、腰を抜かしたように座り込んだままの侍女を引っ張り上げて、濡縁を戻って行く。
緋華は自分の右横に置いていた神居の剣を背負い、太刀を掴み、寿香院の側に駆け寄った。
「寿香院殿、逃げてください」
寿香院は白い尼頭巾を揺らして、緋華を振り仰ぐ。色を失った寿香院の顔には怯えがにじんでいたが、すぐに頷いて立ち上がろうとした。うまく立てずよろけた体を支えて、緋華は居室を横切ると、閉ざされたままだった舞良戸を蹴飛ばした。庭への道を開ける。
雪明かりが眩しく目にしみる。
寿香院の背を濡縁の方へと押し出して、居室を振り返る。冬の乾いた空気の中で、火の勢いは強く早い。その炎の間近に立つ堀内が、すさまじい目で緋華を睨むのと行き逢った。
「君も逃げろ」
緋華の方を見もしないで、晟青は言う。
逃げるべきだと思った。何よりも、自分の身を守るべきだと。
だけど、動けなかった。
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