春には君の夢を――戦国恋話

作楽シン

序章

1話 戦場に撒く炎

 突然の大声が、夜の静寂を破った。まるで鬨の声だ。夏の終わりの濃い夜を焼いていた松明が揺れる。


 鎧を纏わず小具足姿だった碧輝あおきは、盃を運ぶ手を止めた。居並ぶ将の一人が床几を倒して立ち上がる。他の者の手から盃が落ち、もろく割れた。

 眼前には、月に照らされた城がそびえている。

 籠城した敵を逃がさぬよう包囲して陣を敷き、すでに一ヶ月ひとつきほど。長く続く緊張を和らげるため、ささやかな酒宴を開いていたところだった。集った将の一人が謡と舞いを披露し、力に覚えのある者が相撲をとる。笑いながら皆が酒を楽しんでいたところだった。


「何事だ!」

 将の一人、笹田が、音に負けじと声をあげた。火急を知らせる法螺貝の音が、怒声の上を鳴り響いた。慌てた周囲の兵が陣幕を走り出していく。入れ替わりのようにして、使い番の兵が駆け込んでくる。

「御注進!」

 膝をつき、開口一番に兵が言う。

上坂かみさか城開門しました! 騎馬二十ほどの出撃あり! すぐ門は閉まりましたが、突然のことに少しばかり混乱が……」

「……開門、だと?」

 碧輝は思わず言葉を落とした。


 城に閉じこもった敵は、ずっと動く様子を見せなかった。もう兵糧も水も尽きたはずだ。いつ降伏してきてもおかしくはない状況で、気をつけるべきは援軍がやってくることだけだったはず。それが開門の上、騎兵を出してくるとは。

「何をしたいのかわからん」

 碧輝の近くに控えていた将が吐き捨てた。勇猛で知られる笹田の不穏の声は、周囲を圧した。


 彼らが身を置く戦は、何年もの間に繰り返されてきたものの内の一幕に過ぎない。

 かつて国を治めていた皇家が滅び、多くの家々が覇を争うようになった。

 そして幾度かの大きな戦を越え、国は二分している。西を神宮かみや家が、東を飛田ひだ家が飲みこんだ。この戦は、飛田の侵略に神宮が応戦したものだった。


 目の前の城は、もともと神宮配下の笹田の居城だった。危機を察した笹田が一度は城を明け渡し、今は主家である神宮家の援軍を迎えて、相手を包囲している。

 神宮家当主の右腕であり、軍師でもある遠野とおの碧輝あおきは、その援軍の総大将としてここに来ている。神宮勢は土地に通じていて、城も随所を知り尽くしている。状況はこちらに優位だった。

 数日の後には、勝ちを確実なものとするため、援軍を率いて神宮の当主が来る手はずになっていた。

 今更、騎馬を少し出したところで、状況が飛田に好転するはずもない。突然のことに多少は混乱もあるだろうが、軍が崩れるわけがない。そんなことは、敵もわかっているはずだ。


 ――だがしかし、目前の城には、敵の当主がいる。

 碧輝は軍机の上に盃を置き、静かに立ち上がった。

「陣内、警戒を強化。城を厳重に見張れ。それから、援軍に注意するように。何があっても挑発に乗らないよう……」

 言いさした言葉を、今度は轟音がかき消した。音が腹に響く。それに混じって、再び太い法螺貝の音が鳴り渡る。


 何かを破壊するような音。報告を待つまでもない。これは、城壁を破ろうとする音だ。しかし何故。

 何も命令を出していない。神宮の兵が動く筈がない。となれば、内側から敵がやっている音だ。自分の城の守りを崩そうとしている。

 束の間、皆が唖然とした。そこに再び伝令が駆け込んで来る。

「申し上げます! 南東のかたにて、城内から城壁を破り、騎馬が出撃しました!」

「まだ続いている音はなんだ。一方だけではないだろう」

 碧輝の言葉に、兵は頭を垂れて応えた。

「城内より、複数箇所から壁を破ろうとしているようです」

「まったく訳がわからん!」

 兵の言葉に、笹田が再び、吐き捨てるように言った。


 城内の兵は食料もなく疲弊している。ただでさえ、包囲しているこちらの方が兵力に勝り、優勢だ。こういう場合は、おとなしく援軍を待つのが定石だった。それでも状況を打破するための手を打ちたいのなら、壁を取っ払うよりは、城壁の上からか、門前で踏ん張るものだろう。

 自分たちを守る城壁を、自分から壊すなど。


「撹乱して逃げる気か」

 陣のあちこちから喧騒が聞こえはじめている。思いもよらない敵の行動に、混乱が広がりだしていた。

 そして更に、報せが届く。馬で駆け込んできた兵は、地面に飛び降り膝をつくなり言った。

「上坂城が再び開門。飛田晟青じょうせいと思われる人物と、稲田城主の宇野が見受けられます!」

「思われる人物、か」

 碧輝はただ苦笑する。


 戦にも政にも興味を持たない敵の現当主、飛田晟青は、国中に知れた暴君だった。跡目を継いだ十二の頃から、自らの臣にも、民にも、気まぐれとしか思えない無理を強いてきた。

 現在十九歳になる彼は、代々美貌の誉れ高い飛田家においても随一と評され、「美しき鬼」と恐れられている。

 その鬼は、副将を名代に立て、滅多に戦には出てこない。だから神宮の将のほとんどの者が、彼を見たことがない。

 その彼が、今回の戦では陣頭に立った。その上、簡単に城に閉じ込められていた。おとなしく、一ヶ月も。何かあるのでは、と考えない方がおかしい。その不気味さに、無意識のうちに、皆が翻弄されていた。


「たいした手勢は居ないはずだ。捕えて真偽を見極める。決して敵の挑発には乗るな」

 碧輝の指示に、短く返答の声がある。使い番が、大声で命令を繰り返しながら駆けていく。

 夜陰に乗じた喧騒は、確実に神宮軍を混乱させている。だがこちらは数に勝り、優位に立っているという余裕がある。こんな騒動はすぐに鎮められる。誰でもそれくらいは分かるだろうに。

「本当に暗愚なのか、飛田の暴君は」

 笹田と同輩の伊盛いもりが、思わずのように言葉を落とした。

 敵の真意が知れない。――援軍が、くるのだろうか。だから動いたのか。だが何故今になって。

 碧輝は再び眼前の城を見遣る。


 飛田の家臣には、飛田晟青の勝手な言い分で殺された者も多い。叛意を抱いているものなど、あげればきりがないだろう。

 だから飛田の臣が、このまま見殺しにする事もあり得ると思っていた。だが、叛意を抱いていながら、今まで行動に移さなかった理由もあるのだ。


 かつて皇家を滅ぼしたのは、帝の皇子であり、臣籍降下した飛田の祖先だ。飛田の臣は、飛田晟青を根本的なところで恐れている。飛田家と言う、歴史に知られた冷徹な一族を。

 飛田晟青その人を。そして彼のそばに常に侍っている、飛田家の副将を。

 そして何よりも失いがたい、禍つ祓いの皇家の力を。その彼を、「鬼」と呼ぶ皮肉を思うと、苦笑を禁じ得ない。

 それに、飛田の家臣たちが神宮家に対抗するには、「飛田家」という旗印が必要なはずだ。

 叛意よりもその意志が強ければ、援軍が来る可能性も十分にある。

 どういうつもりなのか。相手の思惑を探るが、轟音に乱されて、思考が空回りする。やはり碧輝自身も、翻弄されているのかもしれなった。

 それだけ、得体の知れない相手だった。飛田の鬼は。



 刃を合わせ叫ぶ兵の声の合間に、法螺の音が混じる。陣幕で指示を出していた碧輝に、敵将を捕らえたとの報せがあったのは、そんなさなかだった。

 笹田が眉を顰め、碧輝を見る。簡単に捕らえられるだろうとは思っていた。だが本当に、こうも簡単に捕まってくれるとは。

 報告を持ってきた兵がすぐさま下がった後、陣幕をひきあげて、数人が本陣に入ってくる。縛り上げられた男たちが五人。そのうち鎧を着ているのは四人。先頭の一人は、戦陣とは思えないような、白い衣を纏っている。

 捕虜たちは後ろから小突かれ、崩れるように膝を落とした。


「これは、宇野殿」

 碧輝は立ち上がって、捕らえられた人々の前に歩み寄った。先頭で膝をつく黒髪の人物の、その後ろに控えた老将へ。はじめに目の前の城に攻め入ってきた、上坂の隣国にあたる稲田の城主。見覚えがある。間違いがない。

 ――だが、何故。

「ご主君をお守りして、逃げるつもりだったのか」

 顔を俯けて、相手は答えない。


 短夜に、篝火が揺れる。未だおさまらない喧騒と轟音のさなか、音の圧に押されるようにして、灯火が揺れている。

 敵は捕らえたが、夜の暗さと、城を包囲して陣が散らばる状況では、命令も人の目も行き届かない。

「いかな神宮と言えども、こんな混乱を招かれては、動揺せずにはいられないが」

 碧輝は捕虜の周りを、うかがうように歩きながらつぶやいた。

 事態はおさまっていない。おさえられていない。ただ混乱が尾を引いているだけならいいのだが。やはり、胸騒ぎがする。


 碧輝は、捕虜の筆頭、誰よりも前に差し出されるようにして座る男の前に足を止めた。

「……笹田殿」

 意見を求めるように、神宮の将を呼ぶ。碧輝は、飛田の主の顔を知らない。笹田は、うつむいたままの捕虜の前に膝をついた。白い衣を着た人物の前で。強引に男の顎をもちあげ、顔をあげさせる。


「この不細工が、飛田の御当主だと?」

 不細工と言うにはためらうような顔立ちの人物だった。だが、笹田は言い捨てた。

「影武者をたてるなら、もっと見目良い者を選ぶのだな。「美しき鬼」の正体がこれでは、世の中に申し訳がたたぬであろうよ」

 今度は、隣の老将へ目を向ける。

「こんな見え透いた撹乱で騙される神宮だとでも思ったか」

 ――だが、碧輝の胸に湧く、この不穏な予感はなんだ。

 籠城して援軍を待つばかりの戦況で、このような強行など。誰がどう考えてもおかしい。

 絶えない轟音はただでさえ人の気を乱す。命令も行き届かない。包囲陣は連携が取りにくい。視界の悪い夜。

「影武者をたて、飛田の御大将だけ、こそこそと逃げおおせるつもりなのだろう」

 笹田が吐き出すように言った、その言葉が終わらないうちに、更に音が大きく鳴り響いた。今度は本陣の彼らの真横。間近な音に、誰もが驚いて顔を上げた。その隙に敵が動いていた。


 項垂れていた宇野が立ち上がる。気づいた兵が槍を突き刺すよりも早く、走り出した。碧輝たちの横をすり抜け、燈台に体当たりをする。篝火もろとも地面に倒れこんだ宇野は、零れた薪の上に自ら転がった。

 炎が吹き上がった。

 あっという間のことだった。老将の喉の奥から身の毛もよだつような叫び声があがる。着物に燃え移った火が、彼を焼いていく。ただ燃え移ったとは思えない火勢だ。衣服に何か仕込んでいたのか。最初から、このつもりで。

 束の間、唖然とした。その隙に、他の捕虜たちもまた、縛られたまま走り出そうとした。


「取り押さえろ!」

 碧輝が叫ぶ。その彼の元へ、宇野が向かってきた。全身から炎を吹き上げ、雄叫びをあげて。避ける間がなかった。唇を噛みしめ、腰の太刀の柄に手をかける。その横合いから、雄叫びを上げて、伊盛が宇野につかみかかり、地面に引き倒した。

「伊盛殿!」

 炎が、神宮の将に燃え移っていくのが見える。碧輝は太刀を抜くが、宇野が逆に伊盛を捕まえていて、うまく狙えない。


「わしに構わず、早く軍を、ここから逃がし……!」

 伊盛が最後まで言い終わる前に、再び轟音が鳴り響いた。目の前の炎とは別に、再び視界に光が飛び込んできた。熱気の圧が風を起こす。

 顔を上げて見ると、城から炎が上がっていた。さらに神宮の陣内、あちらこちらから火が吹き上がる。宇野が火を放つのが合図だったのか。


 気がつくとあたりは炎に包まれていた。夜が赤く染まっていく。炎の熱に汗がしたたる。

 碧輝は自分に火が燃え移るのも構わず、宇野から伊盛を引き離そうとした。焼かれる二人の叫び声が耳をつく。

「御大将、危険です!」

 笹田が駆けつけてきて、碧輝を押さえる。どう見ても、炎の塊と化した二人とも助からない。

「何を考えている。敵も味方も焼き尽くす気か!」

 碧輝は吐き出すように叫んだ。

 ――このようなこと、常軌を逸している。

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