6話 清かに降り積もる

 夜は静かに更けていく。騒動が嘘のように、城内は静まりかえっていた。


 緋華は寝具に横になっていたが、眠ることなどできそうになかった。休める時に休まなければならないのは分かっているが、ざわざわと心が揺れている。

 仕方なくあきらめて、寝具を抜け出した。寝間着の上に夜着を羽織って外へ出る。


 襖を開けて回廊を臨むと、広い庭の上に、ましろな雪が静かに降り続けていた。

 静けさと凍えるような寒さが横たわって、何もかも白く埋もれている。庭には大きな池があり、その築山や岩が配備されているはずだったが、今は何も分からない。

 覆い重なるように降り積もる雪は、夜の色すら白く染め上げていた。触れれば冷たいはずなのに、真綿のようなそれは、冷たさとは無縁のようなものに思えた。

 

 そのただ中に、男が立ちつくしている。護衛の男は、裸足のままで雪の上に降りて、美貌で空を仰いでいる。灰色の衣は、雪に落ちた染みのようだ。

 彼は緋華の気配に気づいたのか、六花ゆきの飾りをつけた髪を揺らして振り返った。どうしたのか、と問いかけるように、首を傾ける。その頬が雪の白さに反して、赤い。


「目がさえてしまって。やっぱり、白蛇は寒いね」

 歩み寄ってくる男を見ながら、緋華は濡縁に腰を下ろす。気を紛らわすように明るい声を出した。

「本当は、冬はあまり好きじゃないんだ。寒くて人恋しくて。こんなに雪が降るのを見たことがなかったから、きれいな季節だと知らなかった」

 暖かい土地に住む緋華が、これほど降り積もる雪を見たのは、白蛇に来てからだった。冬枯れの季節は、ただ寂しさを覚えるだけだった。桜の山は色を無くして、ただ枯れ木が寒風に揺れる。

 にじむような笑みを見せながら、男は二歩の距離を開けて立ち止まった。

 それが遠慮の距離なのか、拒絶の距離なのか、緋華には分からない。

 そして彼は、緋華に対して誰もがするように、膝をついての跪礼きれいをしなかった。まるでそうすることを知らないかのように。


 彼は再び天を振り仰いで言った。

「明日の朝早く、できたら城下に降りられたらいいんだけど。やっぱり無理かな。雪景色の白蛇はくじゃは、本当に綺麗なんだ。見せられないのが残念だ」

「城から見るのとは違う? ここからの景色は絶景だと前に言っていたけど」

「城から見るのがいいという人もいるし、城下から見る城が絶景だという人もいる。確かに、城下から見ると城は綺麗だ。特に夜は。白壁の城に雪が積もると、真っ白に浮き上がるようだ。でも俺は、城下にいて町を見る方が好きなんだ」

 めずらしく男は多弁だった。ともすれば沈んでしまう緋華を気遣ってのことかもしれないが、子供のような顔をして笑うのを初めて見た。

 そして彼は、ちいさく笑みをこぼした。


「白蛇は好きだが、本当は、桜花の桜の方が好きだな。白蛇の雪より優しい」

 以前会ったのは、赤朽葉あかくちばの、赤い季節だった。彼の言う桜花は、緋華と会った時の桜花ではない。

 問えずにいたことが、頭の中をよぎる。ずっと気になっていた。だけどあえて避けていた。

 ――もうはっきりとは思い出せない、遠い思い出の少年の顔。

 あの春の夜の月の元、緋華に笑った少年と、目の前の彼の姿は重なる気がするのに、聞いてはいけない気がする。

 黙りこんだ緋華に、男は首を傾けた。


「……大丈夫か?」

 ためらいがちに言う。

 赤朽葉の桜花で泣いている緋華を見たときと同じ言葉。込められたいたわりもあの日と同じだった。二歩の距離を保ったままだったけれど。

 突然の言葉に、緋華はまた気づかないうちに涙を流していたかと思い、自分の頬に手を当てる。でも頬は乾いたままだ。表情も動かない。

 泣きそうに見えたのか、泣いていないから大丈夫か尋ねたのか。


「大丈夫だ」

 強く応える。

 泣いたりしない。

 神宮当主だからじゃない。虚勢を張らなくてはならないからじゃない。

「わたしが、あなたに言った。戦が終わるならそれでいいと。あなたはきちんとわたしに了承を取ったし、上坂でも、日下部殿に問われた。きちんと道は二つ用意されていて、わたしがこちらを選んだんだ。――簡単ではないと分かっていた。それほど馬鹿じゃない」

 支月に言われなくても、分かっていた。

 それでも、自分で選んだ。神宮当主を選んだ時のように。

 だから感情を抑え込んで、こらえている。ひどく腹立たしくても。


「わたしが選んだんだ。その結果招かれたことで今更揺らぐなんて。わたしが許さない」

 自分の言葉が、選んだ道が、まわりを巻き込むのは、神宮当主を継いでから身にしみて学んできたことだ。

 だからあの戦の折りに、自分の望むまま、後のことは考えなくてもいいと言われたけれど、考えずにいられない自分のことは分かっていた。


 自ら選んで、陣頭に立ち続けた。

 そして今も、明日からもずっと、敵陣に立ち続ける。

 ここで緋華が挫けたら、なんのために支月は苦しんでいるのか、分からなくなる。

「……そうか」

 男はただ、穏やかにそう言った。

 何かを言おうと口を開いて、けれど言葉はつむがれずに終わった。

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