第8話 失われた唄の追憶 その六



 話を聞いたフォラスは、じつに楽しそうな表情を浮かべていた。

 もう数千万年も会ったことがなかったが、この男は変わっていない。知識への探究心のかたまりだ。フォラスを仲間にひきこむのには、彼の知的好奇心を刺激してやることだ。


「おもしろいじゃないか。たしかに、天使は地の神を改良して造られたという話だった。中級、低級の悪魔を改造して生みだした実験生物。魔術によるゲノム編集ではないかと私は考える」


「ゲノム編集ね。そういうこともあるかもしれないな。現代の医学で天使を造ることは可能か?」

「できなくはないだろう。ただし、ベースとなるものが必要だ」

「天使は悪魔から造られた——つまり、ベースとなる悪魔の体が必要……なんだろ?」

「そういうことだ。どこかから低級悪魔でもさらってくるか? それとも自身の眷族を犠牲にするか?」


 アンドロマリウスはある決意をしていた。


「一つ聞くが、実験体になる悪魔は力が強いほど、生まれてくる天使も強いんじゃないか?」

「当然。完成体の仕上がりはベースの能力値の影響を受ける」

「では、決まりだな」


 フォラスは賢者だから、アンドロマリウスが何を言いだすつもりか、前もって察していたのかもしれない。それを告げても、驚くことはなかった。


「おれを使え。おれの体を」

「いいのか? それは、おまえが死ぬということだぞ?」

「かまわない。ただ、実験の成功が見えるまでは生きていたい。おれの体のクローンを作ることはできるか?」

「人間としてのおまえのクローンか? それならできる」

「その体が生きているあいだに実験を成功させるんだ」


 アスモデウスのぬけがらをかかえて生きてきた、この幾星霜いくせいそう。それだけでも、地の神としての寿命の半分は使った。しかし、生きようと思えば、まだ限りなく生きられる。


 でも、もういいのだ。このまま待つだけでは、アスモデウスが天使として復活することはないとわかった。これは、そういう罰なのだ。未来永劫、このひ弱な生き物として、何度も何度も生まれ変わりながら、果てしなく悲惨な生涯をくりかえすだけなのだ。

 そこからぬけだすためには、予定調和からはみだす、思いきった手段を講ずるしかない。


「いつから、とりかかる?」

「今すぐにだ。アスモデウスが次の転生をする前に」


 フォラスを島の診療所の所長に任命し、実験を一任した。


 エレナが成長する前に、アンドロマリウスのクローンを造った。魔法で少し老けさせたが、その体はもはや地の神ではない。


 クローン技術をとりいれた魔法で、人間に化身したときのアンドロマリウスの体を再現したわけだ。地の神の体を完全に再現することなど、土台できない。


 もし、それをしようとしたら、同等の寿命を持つ別の同胞の命をかわりに貰うしかない。そうしなかったのは、実験を自分とフォラスだけの秘密にしたかったからだ。


 英雄の卵を隠し持ったまま転生したアスモデウスは、このさきも悪魔や天使に狙われ続ける。今まではアンドロマリウスが守ってきたが、これからは、そうはいかなくなるのだ。


 だから、秘密を知る者は少なければ少ないほどいい。

 人間の自分の体に憑依する形で、アンドロマリウスは人になった。地の神である本体は、切り刻まれ、消えた。後悔はしていない。


 もともと、アンドロマリウスは正義を司る神だった。キリスト教が興隆こうりゅうしてきたときに、古い神である地の神の多くは魔神に貶められたが、本来は悪しき魔ではなかった。

 不器用なほどに一本気なのだ。


 恋に狂っているということは自覚していた。本来の自分を見失っていると。


 しかし、おかげで、青蘭は誕生した。

 実験の多くは失敗だった。

 天使を悪魔から造りだすことは、フォラスの見識を持ってしても難しかった。


 唯一の成功例が、青蘭だ。

 青蘭自身でさえ、その出生の秘密を知らない。いずれ、青蘭のなかでアスモデウスは蘇る。


 そう。だから、自分が消滅することは少しも恐ろしくない。


 十五年前のあの日。

 屋敷をクトゥグアが襲撃したとき、アンドロマリウスの人間の体は焼け落ちた。器だけのアスモデウスを守ることすらできなかった。


 もちろん、今はもう実験体の青蘭がいる。かつてのアスモデウスの肉体は、もはや必要ない。それはただの陶器の人形に等しいお飾りだ。


 それでも、アンドロマリウスには自分の命より大切なものだったのだが……。


 クトゥグアの炎に焼かれて、アンドロマリウスは海にとびこんだ。

 海はアンドロマリウスが誕生した場所だ。太古の昔に、アンドロマリウスはそこで生まれた海蛇だった。現在の生物としての蛇ではない。霊的な力の結晶がその形をとったもの。地の神とは、皆そうだ。


 生まれた場所に還っていく。

 愛しい女の亡骸なきがらとともに。


 それは多幸感に満ちたひとときだった。


 いつか、遥かな時を得て、アンドロマリウスはまた海蛇として再生するのだろう。原初の己に還るのだ。


 そのときには、ふたたび天使のアスモデウスに会いたい。

 それが、アンドロマリウスの最後の願い——

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