第6話 婚約指輪 その三



 女はパッと見、三十前後だろうか。

 顔立ちは美しい。

 派手すぎず、ひかえめな化粧をした古風な大和撫子だ。流水模様の着物に、菊花菱きくはなびし紋様もんようの帯も上品で、よく似合っている。


 だが、どこから見ても幽霊である。

 全身が、うっすら青く発光している。


「どうぞ。今、家政婦さんにお茶でもいれてもらいますので」と言う聖哉を制して、龍郎はたずねた。


「着物を着た三十歳前後の美人に覚えはありますか?」

「はっ?」

「その人が、あなたに取り憑いています。今も嬉しそうに、あなたの服のほこりをはらってますよ。と言っても、ほんとに埃がとれるわけじゃないと思うけど」


 聖哉は黙りこんだ。

 そののち、ため息をつく。


「だとしたら、それは母だ。おれが子どものときに、母は亡くなってる」

「えっ? お母さん?」


 実母の霊というわけか。

 それなら、なぜ大切な息子の婚姻を壊すようなことをするのだろう?


 とりあえず、客間の八畳間に通された。古くさい人形や置物などはあるが、きれいに掃除されて商売人の自宅らしい。いつでも客を迎えられるようになっている。


「お母さんが亡くなっているのなら、誰が家事をしているんですか?」

「家政婦の八女やめさんです。義母ははは商売を手伝っているので、あまり家にいないんです」

「お父さん、再婚されたんですか?」

「そうです」

「じゃあ、ご兄弟も?」

「いますよ。弟が二人。妹が一人」

「ご家族とは仲がいいんですよね?」

「まあ、普通だと思うけど。なんですか? そんなの関係あるんですか?」

「お母さんの霊が障りになってるなら、家族関係のことを案じてるのかなと」


 聖哉は笑い声をあげた。


「それはないなぁ。うちはほんと、仲がいいんで」

「……そうなんですか」


 でも、それなら、実母の霊はなんのために化けてでるのか?

 霊が理由なく現れることは、まずない。


 しばらくすると、家政婦がお茶を運んできた。三十なかばくらいの地味な女だ。全員の前にお茶を置いて、すぐに出ていく。


「すいませんが、昔の写真を見せてもらえますか? 亡くなったお母さんが写ってるものを」

「いいですよ。ちょっと待ってください」


 もしかしたら生き霊ということも考えられる。自分の子どもに跡を継がせたいだろう義理の母は怪しいと思案した。


 聖哉が立ちあがり、アルバムを持ってくる。プリントした写真が台紙に貼りつけられた古いものだ。写真もデジタルプリントではないらしく、縁が白い。


「これが母です」


 優しそうな女性が幼い聖哉を抱いて笑っている。目の前の亡霊とそっくりだ。まちがいなく、霊は聖哉の実母である。


「どうもわからないなぁ。この人と話せたらいいんだけど……」


 聖哉のとなりに正座している美女を見るものの、女の反応はない。龍郎たちのことが見えているのかどうかも判然としない。意思の疎通をとるのは難しそうだ。


 早くも暗礁あんしょうに乗りあげた。幽霊はたしかにいた。しかし、その目的がわからない。第一、この霊が問題を起こしているのかどうかも、よくわからない。


 すると、黙って茶を飲んでいたフレデリック神父が口をひらく。


「それにしても、初壁さん。あなた、恋人が病院に運ばれたのに心配じゃないんですか?」


 そう言われてみれば、病院にもついていかなかったし、誰かに連絡をとろうともしない。恋人の容体を案じているようすが、まったく見えない。


 もしも、あのとき、アクセサリーショップのなかで倒れたのが青蘭なら、龍郎は大騒ぎしているし、救急車にも同乗して、今ごろ病院の手術室の前を右往左往しているところだ。


 聖哉は苦笑した。


「もちろん心配です。茉莉花さんは性格もいいし、大事な取引先の娘さんだし。でも、この調子なら、きっと今度も破談だろうな」


「ちょっと待ってください。もしかして、仕事関係の娘さんだから結婚するんですか? 政略結婚的な?」


「まあ、そうなるのかな。でも、ほんとに茉莉花さんはいい子で、好きなんですよ。できれば、今度は結婚してしまいたかったけど」


 なんだか違う。

 龍郎が青蘭を想う熱情のようなものが、聖哉からは感じられない。

 政略結婚をしようとしたら、たまたま相手もそれなりによかった、くらいの気持ちらしい。


「かわいそうなことしたなぁ。茉莉花さん。指がちゃんとつながればいいんだけどな。前の二人は大丈夫だったから、今日も心配ないんじゃないかな」

「まあ、そうですね……」


 本気で心配しているふうではない。

 なんだか、まきこまれた婚約者のほうが哀れだ。


 そんなことを考えていると、今度は聖哉のほうから質問してきた。


「お二人は結婚するんですか?」


 もちろん、龍郎と青蘭のことだろう。

 青蘭を女性だと勘違いしているようだ。青蘭は西洋人の女性に見えるくらいには華奢だし、今日はスプリングコートも着ているので、外見だけでは性別の見きわめは困難だ。なにしろ、麗しすぎる。


「日本では結婚はできないかな。でも、生涯の伴侶ですよ。な? 青蘭」

「うん」


 龍郎の腕をとってベッタリしてくる青蘭を見て、聖哉はようやく気づいたようだ。


「もしかして……男同志?」

「ですけど、何か?」

「いや、親は反対しないのかな?」

「ああ……親にはまだ言ってないですね」

「だよな」

「やっぱり、いつかは打ち明けないといけないですよね。跡取りのことで、もめるかなぁ」


 龍郎の実家は旧家だから、家名が途絶えることにはウルサイと予測がつく。兄は亡くなったし、弟妹もいない。


「清美に偽装結婚してもらえば? 体外授精でなら子どもを産んでも、僕、許すよ?」


 いきなり青蘭が問題発言をするので、龍郎はあやうく玉露を口からふきだしかけた。ふきだすまでにはいたらなかったが、湯呑みからこぼれたお茶で、高級そうな座卓は汚れた。どこからか家政婦がやってきて、ササッとふいてくれる。


「す、すいません。ありがとうございます——青蘭、変なこと言うなよ。清美さんはお姉さんみたいなもんだろ?」

「だからいいんじゃない。ふつうの女なら、絶対、あとで、めんどくさいことになる」

「うーん。でも、清美さんだって好きな人と結婚したいだろうし」

「あの腐女子が? 一億くらい渡してやれば、喜んで偽装結婚と卵子提供してくれるって」

「えーと……」


 言いあう龍郎と青蘭を、いやにじっと聖哉が凝視している。


「すいません。話がそれましたね」

「あっ、いや……」


 モゴモゴ言って、聖哉は口をつぐんだ。

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