第7話 黄泉比良坂 その二



 車内に点灯された白い光が、暗い車窓に無数の骸骨がいこつを映しだす。


「青蘭!」


 青蘭を抱きしめながら、龍郎はふりかえった。そこに数えきれない死体が座している。人間の体の下に、レントゲン写真のように全身骨格が透けて見える。


(結界のなかに入った)


 あまりにも、とつぜんのことだったので、ふいをつかれた。

 なぜ、こんなことになったのだろう。

 寸前まで、ふわり、ふわり、天国を浮遊しているように心地よかったのに。


 まだM市の駅を出発してから、さほど時間が経過していない。


 龍郎は、ふと思いたった。


(土地だ。このあたり、黄泉比良坂よもつひらさか付近か)


 黄泉比良坂は死者の国への入口。

 古事記などに残る日本神話では、男の神様イザナギが、亡くなった妻のイザナミという女神をとりもどしに黄泉比良坂をおとずれる。しかし、女神はすでに死者の国の人となっていた。

 オルフェウスとエウリュディケのギリシャ神話のようなお話だ。


 その黄泉比良坂であると言われている場所が、M市にあった。山のなかにいくつかの巨石が点在している。


(死んだ妻を探しに黄泉の国へ……それって、おれが青蘭をつれもどしに魔界へ行ったときみたいな)


 つまり、超古代、このあたりに異界に通じるゲートが存在していたということだ。

 巨石が残っているということは、先日の団地にあった巨石のサークルのようなものが、かつてはその場所に築かれていたのかもしれない。


 骸骨の集団は、まだおとなしく自分の座席にすわっているだけだ。でも、いつ襲ってくるかわからない。

 この場所にいてはダメだ。まわりをとりかこまれてしまう。せめて、立てこもることのできる場所へ行かないと。


 龍郎は青蘭の手をひいて、そっと立ちあがった。


 どうにかして、黄泉と現世をつなぐ、この空間から脱出する方法を見つけなければ。


「どこへ行くの?」と、青蘭がささやき声で問いかけてくる。


「トイレは狭いから二人も入れない。連結部じゃ、ドアに鍵がかけられないし、そうなると、機関室くらいしかないかな。機関士も骸骨かもしれないけど」


 答えておいて、まんなかの通路を歩きだす。足音を立てないように、骸骨たちの注意をひかないように、気をつけながら。


 特急の編成は六両。

 龍郎たちが乗りこんだのはまんなかの三両めだった。平日なので座席はすいていた。ところどころに空席がある。


 だが、連結部まで来ると、前の車両には骸骨がギッシリつまっている。


(どうする? 行くか? でも、どうせ、ここで立ちどまってても、結界をぬけだすことはできない)


 この車両のどこかに悪魔がいるんじゃないかと、龍郎は思いついた。

 土地的に魔界につながりやすかったのもあるだろう。しかし、これまでの経験からも、魔術的な結界のなかには、必ずそこに巣食う何者かがひそんでいた。


「悪魔を退治しないと、ここからぬけだせないんだ」

「この死人の群れのなかに、まぎれこんでるのかな?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とりあえず、機関室まで行こう。怪しいところがなければ、今度は後部車両へ行ってみる」

「わかった」


 最初の予定どおり、まず一両めに行くことにした。ということは、このウジャウジャのドクロのなかをつっきっらなければならない。


「行くぞ。青蘭」

「うん」

「しっかり、つかまって」

「うん」


 龍郎は連結部のドアをあけた。

 ガタガタと大きく車両が揺れる。

 よたつきながら、二両めへ突入する。

 車両のなかはレントゲン写真みたいな連中以外、何も見えない。

 天井や壁の一部がほんの少しだけ覗いている。網棚にはキャリーケースやお土産の入った紙袋が無造作に押しこめられ、そこから骨だけになった腕や足がはみだして、ブラブラたれさがっている。


 龍郎は通路に立ちふさがる骸骨たちを右手で払いのけた。骸骨は龍郎がふれると、ジュワッと嫌な音と匂いを発し、発泡しながら溶けていく。


 あまりにも簡単だが、数が半端じゃない。一両めの車両から次々と補充されてくるようだ。払いのけても払いのけても、いっこうに前に進んでいる気がしない。


 いつのまにか、ギュウギュウに寄り集まってきたガイコツに四方八方をかこまれて、おしくらまんじゅうのようだ。


「青蘭! 大丈夫か?」

「龍郎さんが見えないよ」

「絶対に手を離すな!」

「うん」


 ああ、この感じ、どこかであった。

 覚えがあるぞ。

 あのときも青蘭の手を必死に離すまいとして、でも死者の奔流にまきこまれて見失ってしまったんだ。


 龍郎はそのときのことを思い起こした。忘れもしない。青蘭が魔界にさらわれたときだ。


 温泉宿のなかで現実を離れていく変な感覚のあと、死体のまざった濁流に飲みこまれた。溺れそうになって、ウッカリ青蘭の手を離してしまったのだ。その一瞬で、青蘭はさらわれた。


 もう二度と離さない。

 あのときの絶望を味わいたくない。


 龍郎は叫んだ。

「ルリム! おまえかッ? これは、おまえのやりかただな!」


 どこからか嘲笑が響いた。

 ルリムだ。

 青蘭をさらった女の悪魔が、ここにいる。


「どこだ? ルリム。おまえはおれのおかげで、おまえの世界の女王になれたはずだ。今さら、なんの用があるッ?」

「用がなければ、あなたに会いに来ちゃいけない?」

「何わけのわからないこと言ってる。おまえは悪魔だろ? 人間のおれとは住む世界が違う」

「あなたはただの人間じゃない。そんなことは、とっくに自覚してるんだと思った」

「なんだって?」


 ふふと、女のふくみ笑いが耳元で聞こえる。

 青蘭がさらわれたときの状況を思いだし、龍郎は嫌な予感がした。

 あのとき、正確に言えば、龍郎は青蘭の手を離さなかった。いつのまにか、にぎっていたはずの手が、青蘭のものではなくなっていたから、思わず離したのだ。


(まさか……?)


 そういえば、さっきからまわりのガイコツたちが減ってきている。

 今なら、青蘭をひきよせることができる。


 龍郎はそろそろと、にぎりしめた手をひっぱった。しなやかな腕がガイコツの群れのあいだから現れる。


 だが、思ったとおりだ。

 そこで笑っているのは、青蘭ではなかった。

 褐色の肌に白い髪。真紅の瞳。

 ルリムだ。


 また、同じ魔術にハマってしまったのだ。

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