第7話 黄泉比良坂 その三



 龍郎は自分のにぎりしめていた手を見つめた。

 小麦色に焼けた肌の武骨な手。男のように大きくて、剣を使う証の剣ダコがある。

 真っ白で優美な青蘭の手とは、まったく違う。青蘭なんて、指輪のサイズが9号なのだ。女の指である。


 でも、今回はその手をつかんだまま離さなかった。


「ルリム。いや、今はもう、おまえがルリム・シャイコースなんだな? クトゥルフの邪神だ」

「ええ。そうよ。ほんと、あなたのおかげ。助かったわ」

「じゃあ、なんで、今になって攻撃してくるんだ? おれたちは契約したはずじゃなかったか?」


 ルリムはバカにするように、くすりと笑う。


「わたしが女王になるまでの契約だったでしょ? あんなの、とっくに契約終了よ」

「そうかな? おれはおまえから、なんの報酬も貰ってない」

「悪魔に言いがかりつけるなんて、いい度胸ね。そういうとこが好きなんだけど」


 嘘だか本気だかわからないことを言って、からかってくる。

 龍郎は動じない。ルリムはなぜか、悪魔のくせに、ちょっと人間的なところがある。話せばわかる気が以前からしていた。


「言いがかりじゃない。人間と悪魔の契約ってのは、ギブアンドテイクだろ? だけど、おまえはおれから持っていくばかりで、何もくれてない」

「あなただって得たじゃない。恋人をとりもどした」


 龍郎はうなずいた。


「ああ。んだ。いいか? 青蘭をさらったのは、おまえだ。その時点で、おれは自分の持ち物を奪われただけだ。プラス一のところがゼロになった。その後、おれとおまえは取り引きをして、おまえは女王の位を得た。自分たちの種族のトップに立てた。その栄冠はおれがもたらしたものだ。でも、おれは奪われたものをとりもどしただけ。ゼロが最初のプラス一になっただけなんだ。いや、一部が失われてしまったから、プラス一ですらない。プラス0.86だ。ルリム。おまえには、残りの0.14を補填ほてんする義務がある。それでも、おまえから何かを貰ったことにはならないけどな。そうだろ? プラス一をプラス二にしろと言ってもいいとこを、プラスマイナスゼロで妥協してやろうと言ってるんだ。正当な主張だろ?」


 ガタゴトと列車は揺れる。

 長いトンネルだ。

 そもそも、このあたりにはトンネルなどなかったはずだ。

 空間そのものが、ルリムの結界のなかだからだろう。


 ルリムは爪をかんで思案していた。

 かなりのあいだ熟慮してから、ほうっと嘆息する。


「まあ、そうかも」

「だよな? だったら、おれが青蘭の失われた七分の一をとりもどすために協力してくれ」

「どうやって?」

「一の世界で青蘭が殺される前に、おれを送りこんでくれ」


 ルリムは肩をすくめる。


「それはムリ。あれはママの作った魔法の世界だったから、ママが死んでしまった今、世界そのものが存在しない」


 やはり、神父たちが言っていたのと同様の理屈を述べる。


「じゃあ、ほかの方法でもいい。青蘭をとりもどせるようにしてくれ」


 ルリムはすねたように唇をひっぱっていたが、よからぬことを思いついたようだ。急に嬉しそうに、ニンマリ、口唇をゆがめた。


「ここは黄泉比良坂よね。死んだ恋人を探しに男が死者の国へ旅立った」


 ここまで、弁舌でルリムを押していると思っていた。が、立場が急変する。このあとルリムの言いそうなことが想像できる。龍郎は自分のひたいに冷や汗が浮かんでくるのを感じた。


「あなたの恋人も七分の一の世界で死んだ。つまり、その魂は今、黄泉の国にいる」

「あ、うん。まあ、そうなる、かな」


 ルリムのおもての笑みはますます濃くなっていく。どちらかと言えば、ふだんは魅惑的な小悪魔だが、そういうところは、じつに悪魔だなと思う。


「わたしがその世界への扉をひらいてあげる。だから、自分で助けに行けば?」

「やっぱり」

「わたしが門番をしてたのは伊達じゃないのよ。わたしには世界から世界を翔ぶ能力がある。次元の扉をひらくことができるの」

「なるほど」


 なぜか知らないが、ルリムはペラペラと自分の特技を教えてくれる。


「あなたの近くにも夢をあやつる巫女がいるわね。わたしの能力もそれに似てる。わたしはあらゆる世界に自分の分身のような存在を持っているの。ふだんは、その世界の住人として普通に暮らしている。瑠璃はこの世界でのわたしだった。わたしの一人だったというべきね。厳密には分身というわけでもないけど、たまに存在が重なるの。共鳴するのものを持つ現地の器っていうか。その器を入れ物がわりにして、異界から異界へ翔べるのよ」


 瑠璃がルリムの器。

 意識を共有する者だった。

 それは龍郎にとって、かすかに胸の痛む事実だ。


「瑠璃のことは救えなかったな。ごめん」

「あなたが謝る必要ないんじゃない?」

「そうかもね。再会したときには、もう生きてなかったし。でも、謝りたいんだ」

「……そう」


 彼女は完全なる異世界の悪魔ではなく、この世界の人間としての存在を持っている。ルリムに人間的なものを見いだすのは、そのせいかもしれない。


「じゃあ、青蘭を助けに行く。黄泉への入口をひらいてくれ」

「いいけど、条件がある。あなたたちの愛が本物なら、協力してあげる。でも、偽りだったなら、あなたの恋人は永遠に蘇らない」


 いったい何をするつもりなのだろうか?

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