第7話 黄泉比良坂 その四
じっとルリムの赤い目を見つめる。
ルリムは龍郎の決意をうながす。
「どう? やる?」
「おれたちの愛が本物なら問題ないんだよな?」
「ええ」
「じゃあ、やるよ」
答えたとたんだ。
龍郎の足元が崩れた。
ガイコツたちが
龍郎の立っている場所は、どうやら列車の連結部の手前だった。だが、その一歩さきに底知れぬ谷底が口をあけている。断崖絶壁だ。一度落ちたら、二度と這いあがることはできないだろう。地獄へ続く深淵だと直感する。
「ここは……」
「黄泉の入口」
「これが、黄泉」
見つめていると、遥か底のほうでグルグルと光が渦巻いて、目がまわる。星くずのような光だ。渦をまくようすは銀河に見えた。
その暗い底から、無数の白い腕が伸びている。青ざめた死人の腕だ。男の手。女の手。子どもや年寄りの手もある。
「このなかから、あなたの恋人を選んで。正解なら、あなたは恋人のもとへ行けるし、不正解なら、あなたの恋人はそのまま黄泉に落ちてしまう」
「なんだって? このなかから? だって、ものすごい数だぞ?」
「いいじゃない。あなたたちの愛が本物なら、簡単なことでしょ?」
龍郎は口をつぐんだ。
おそらく伸ばされた腕は地獄の亡者のそれだ。
これまで生まれて死んだ人間の数がどれだけあるのかわからない。そのすべてが、ウヨウヨとナメクジのように、軟体動物的な動きで救済者の助けを待っている。
一兆、二兆という単位ではない。
それこそ、星くずの数だけある腕のなかから、ただ一人の腕を見つけろというのである。
「やれるもんなら、やってみて」
龍郎のつかんでいた武骨な手が、すっと離れ、嘲笑いながら、ルリムの姿が消えた。
どうしたらいいのだろうか?
このなかへ飛びこんで行けばいいのか?
それとも、呼べば応えるのか?
「青蘭! 青蘭ァーッ!」
声は虚しく闇に吸われて先細りになる。返事はない。
ただ、無数の腕がウヨウヨと這いあがり、巨大すぎる一つの生き物のように目の前に伸びてくる。まるで、白く発光するイソギンチャクだ。
それらは救済を求めながら、龍郎にからみついてこようとする。
救済か、救済が得られないなら地獄へ道づれか。
それらにはもう人間としての意識はなく、ひたすら救われることに飢えていた。
彼らはなぜ、そこにいるのか。
なぜ、自ら、そこをぬけだすことができないのか。
死者だからか?
それとも、生前の所業か?
ただ宇宙の理だから?
龍郎には、そのすべてを救うことはできない。もちろん、そんなことはわかっている。
ただ、理解しているのは、永劫に飢えたこの惨めな軟体動物の群れに、青蘭を堕とすことはできないという一点だ。
龍郎は目を閉じた。
青蘭の気配を感じる。
目ではなく、心で青蘭を探す。
深海の海底を埋めつくす白いイソギンチャク。そのなかを漂う。
ここは地獄じゃない。
青蘭と二人なら、どんな場所でも天国だ。
そう思うと、あたりが一段、明るくなった。
深い古代の海中を流されていく。龍郎の表面にすがるように、イソギンチャクの触手がなでる。
だが、龍郎の求めているのは、それではない。
(青蘭。青蘭。おまえだけだよ。おれの魂の半分)
(僕もだよ。龍郎さん。僕たちは、つがいの鳥)
(どちらかが欠けても飛べない)
(二人で一つ)
海底を覆う白い触手のなかに、赤い光が見えた。暗い海底のなかで、その光は灯台の明かりのように、
本能的に惹かれる光だ。
吸いよせられるように、その光のもとへ泳いでいく。イルカのように、素早く、力強く。
すると、触手の団塊のなかから、一本の腕がつきだしていた。優美な鳥の首のような弧を描き、その指に赤く光る石をつけている。
二人で買ったペアリング。
愛の結晶。
その石に快楽の玉の鼓動が伝わる。
龍郎は迷わず、その手をとった。
指と指をからめると、陶酔が押しよせる。
触手の海は消しとび、そのなかから青蘭が生まれてきた。
でも、驚いたことに、その姿はいつもの青蘭ではない。
白金の髪。ブルーとグリーンのオッドアイ。天上天下の美を誇る天使の青蘭だ。
「……アスモデウス?」
「わたしも、あなたの愛の一部?」
「ああ。そうだよ。おまえはまぎれもなく青蘭だ」
アスモデウスの左右の色の異なる瞳から、澄んだ涙があふれる。涙はこぼれおちると同時に、キラキラと輝く玉となった。
「今度こそ、あなたと一つになれる?」
「なれるよ」
「よかった」
頼りなくすがりついてくる仕草は、まさしく青蘭だ。さみしがりやで、甘えん坊。
魔王だとか、智天使だとか、その肩書きに目をくらまされ、本質が見えていなかった。青蘭なら、それがどんな姿であろうと、強烈な愛されたがりなのに。
(天界から堕とされて、ずっと一人でさまよってきたんだな。気が狂うほど長い年月を)
ごめん。さみしい思いをさせて。
もう離さないよ。
そっとささやくと、アスモデウスは微笑みながら薄れていった。
気がつくと、列車のなかに戻っていた。窓の外の牧歌的な景色を、明るい陽光がおだやかに照らしている。
龍郎の腕のなかで青蘭が笑っていた。
まわりの乗客がじろじろ見るのもおかまいなしで、濃厚にくちづけてくる。
(夢……?)
いや、違う。
たっぷりと唇をかさねたあと、青蘭は龍郎の耳に吐息のような言葉をふきこんでくる。
「思いだした。僕は鳥。遠い宇宙のかなたから、あなたのもとへ飛んできたよ」
「青……蘭……?」
青蘭のなかの失われたものが蘇った。
了
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