第八話 失われた唄の追憶
第8話 失われた唄の追憶 その一
海鳴りが唄のように聞こえる。
ふたたび、この場所へ帰ってきた。
青蘭が両親と五歳までをすごした屋敷。そして、十六歳で出ていくまで、監禁に等しい状況で縛られていた、地獄のような診療所。
それらのある孤島に。
島へはこの前のように、漁師に頼んで船で運んでもらった。
食料品はまだこの前に運んだものがある。缶詰やレトルト食品を診療所のなかに持ちこんでいた。この前はけっきょく、まったく手をつけずに帰ることになった。もしまた来るときがあればと思い、そのまま残しておいたのだ。
漁師に二十四時間後、迎えにきてくれるよう頼んだ。そのあとは、島に龍郎と青蘭の二人きりだ。
日が暮れかけている。
「診療所のなかには電気が通ってなかったよね?」
「うん」
「じゃあ、どうやって、なかに入る? 入口、自動ドアだけど」
「こっちに従業員用の出入り口があるんだ。鍵を僕が持ってる」
「鍵、持ってきてたんだ」
「いつも身につけてるよ」
前回、龍郎たちが来たときには、すでに鍵のあいていた通用口。青蘭はその前に立つと、服の下から銀の鎖をひきだす。ペンダントのトップのかわりに鍵が通してあった。あきらかに装飾的な鍵ではなく、実用的なものだ。
その鍵を使って、青蘭は表玄関の横にある鉄のドアをひらく。
「今夜はここに泊まろうよ」と、青蘭は言った。
「そうだね」
「屋敷のあとには寝る場所はないし、見てまわるのにも明るいほうが便利でしょ?」
「ああ」
あの列車をおりてから、龍郎は聞きたいのに聞けない。
青蘭が何を思いだし、どこまでを知ったのか。
見たかぎりでは、これまでと態度は変わっていない。
急速に日がかげる。
診療所の玄関ホールに、いくつものダンボールが積みかさなって置かれている。龍郎たちの持ちこんだものの他、青蘭が運びこませたものもあるようだ。
「このなかに、たしか懐中電灯も入れておいたんだけど」と言って、青蘭はダンボールのなかをさぐっている。
「ねえ、青蘭」
「うん?」
いざ、たずねようとすると、心臓がバクバクした。緊張が高まる。だが、聞かないわけにはいかない。
「さっき、列車のなかで言ってたことだけど」
「うん」
「青蘭、何を思いだしたの?」
急に明るい光がさしつけられて、龍郎は目をとじた。青蘭がくすくす笑う。
「あった。懐中電灯」
「まぶしいよ。青蘭」
光の輪がそれる。
龍郎は、ほっと息をついて、青蘭を見なおした。そして、ドキッとする。いつもの青蘭にはない表情だった。甘えん坊な青蘭でも、出会ったばかりのころの高飛車な青蘭でもない。
その微笑みは、見る者を星のまたたきをながめているのと同じ気分にさせる。深遠な宇宙の謎を秘めた、人智を超える何か。そんなものを見るような心地に。
「わからない。ただ、胸の奥で唄が聞こえる。その唄がやむとき、ほんとの僕が目をさますんだ」
「…………」
思わず、龍郎は安堵した。
青蘭はアスモデウスをとりもどした。おそらくは天使だったころのアスモデウスの記憶を。しかし、アスモデウスはあいかわらず、青蘭のなかで眠っている。以前の青蘭の状態に戻ったということなのだろう。
(よかった……のか? でも、それなら、アンドロマリウスはどうなったんだろう? 青蘭が悪魔と戦うには、アスモデウスではなく、アンドロマリウスの力が必要だ)
それとも、アスモデウスが完全に覚醒すれば、青蘭は誰の力を借りることなく戦えるのだろうか?
アスモデウスはもともと悪魔と戦っていた。そのころの記憶が戻れば……。
青蘭のためを思えば、アンドロマリウスに体を細切れに奪われていくより、自力で身を守れるほうがいいに決まっている。
試しに問いかけた。
「アンドロマリウスのことは思いだした?」
青蘭はダンボールから缶詰をとりだしながら首をふる。
やはり、アンドロマリウスは青蘭のなかからいなくなったままらしい。
龍郎は青蘭を手伝って、ワインのボトルと紙コップなどを手にとった。
院内を歩く青蘭についていく。
青蘭は一室の前で言った。
「ここ、僕が使ってた病室だよ」
白い壁。窓の一つもない、強い圧迫感のある六畳ほどの部屋。
部屋の片側にクィーンサイズていどのパイプベッドが置かれている。
ほかに家具らしいものが何もない。小さなテーブルが一つだけ壁ぎわに置かれていたが、よく見ると、それは床に作りつけになっていた。
(こんな部屋で、十年も……)
外からドアに鍵をかけて幽閉されていたのだ。それはもう精神的な拷問と言える。
龍郎が黙りこんでいると、青蘭は微笑した。
「でも、もう平気だよ。僕には龍郎さんがいる」
「ああ」
笑顔が痛ましい。
やはり、どんなことがあっても、この人を守らなければ。
この笑顔をずっと、絶やさないように。
「青蘭。つらいなら、別の部屋に行こうか?」
「いいんだ。ここにいると、なんだか、いろいろ思いだせそうな気がする。さっき、深海の底を漂っているとき、子守唄が聞こえた。僕は宇宙を旅する鳥だった。でも……」
「でも?」
青蘭は心の声に耳をすますように目をとじた。長いまつげが懐中電灯の黄色い光のなかでふるえている。
「思いだせない。でも、快楽の玉は赤かった。血のように赤い結晶だった」
「見たことがあるの?」
「うん。ある」
賢者の石を盗んだ罪で、アスモデウスは堕天させられたのだという。
どうやら、それは真実のことのようだ。
「そういえば、龍郎さんも僕に何か言いかけてなかった?」
「ああ……」
やはり、言うべきだ。
ここまで思いだしている青蘭に隠しとおすのは卑怯だろう。
「あのね。青蘭。以前、ここに来たとき、おれは五歳の青蘭にあったんだ。青蘭の記憶の結界に入ったろ?」
「あったね」
「あのとき、五歳の君が言ってた」
「なんて?」
「うん。あのね——」
話しかけていたとき、離れた場所で音がした。足音のようだったが。
ここは無人島だ。
島内には龍郎と青蘭しかいない。
「……今の音」
「行ってみよう」
龍郎は青蘭とともに廊下をのぞいた。
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