第8話 失われた唄の追憶 その三



 地下への階段は非常に狭い。両側の壁に肩がこすれるほどだ。一人ずつでなければ通れない。


 かすかな水音が聞こえた。

 地下水でもしたたっているのだろうか? これまでの物音はすべて、その水滴が床に落ちて反響する音だったのか?


 いきなり真っ暗な闇のなかに、鉄の扉が立ちはだかった。鍵がかかっていたら、なかへは入れない。が、扉には太いかんぬきがかけられただけだ。閂を外すと、扉はひらいた。


 扉を押しひらくと、なんとも言えない妙な匂いが、むっと洩れでる。生臭いような、それでいて、ほのかに花のような香りもする。心地よいのか悪臭なのかもわからない。ただ、ひどく心が騒ぐ。落ちつかない気分にさせる匂い。


 龍郎は思いきって、懐中電灯の先を室内にむけた。漆黒の闇を切り裂くには乏しすぎる光源。白っぽい床が妙にデコボコして見える。


 部屋の広さは、およそ二十畳ほどだろうか。かなり広い。太い柱が天井を支えている。しかし、これと言ったものは置かれていない。奥のほうは光が届かず、見えづらいものの、棚かテーブルのような四角いものが壁ぎわに一つ、あるだけのようだ。


「なんだ? 何もない……のか?」


 それにしても、床の起伏がやけに激しい。室内にふみこむために、龍郎は懐中電灯の明かりを手前に戻した。足元を照らして、ギョッとする。


 何もないわけではなかった。

 やけに床がグニャグニャして見えるのは、そこに楕円形の物質がビッシリと敷きつめられていたからだ。


(卵……)


 鳥の卵だろうか?

 いや、それともウミガメのような爬虫類の卵?


 一つずつの大きさが三十センチほどもある。卵にしては、かなり大きい。

 現在、世界で一番大きな鳥類の卵はダチョウのそれだが、十五センチていどだ。絶滅した過去の鳥には、三十センチ以上の卵を生む種類もいたようだ。親の体長も三メートルを超えたという。

 その絶滅した鳥、エピオルニスの卵と同じくらいの大きさがある。

 そんな卵が床を埋めつくしている。


「なんで……卵。エイリアンでも出てくるのかな?」


 龍郎は気分をまぎらわすためのジョークを言ったのだが、ふりかえると、青蘭の顔色が青い。麗しいおもてをひきつらせて、青蘭は口走った。


「……天使はみんな、卵から生まれてくる。でも、龍郎さん。知ってる?」

「えっ? 何?」

「天使の卵は心臓からできてるんだよ」

「心臓?」

「二つの心臓がかさなると、卵になるんだ。だからね。天使は生まれてくるたびに減っていくんだよ」


 青蘭は急に泣きだした。

 龍郎は困りはて、青蘭の肩を抱きしめる。


(二つの心臓……天使の卵。これらが、みんな、天使の卵だと?)


 龍郎が以前、幻影のなかで見た天使の姿は、たしかに人間より全体的にかなり大きかった。身長は三メートル以上。エピオルニスの体長に近いくらいだ。だとしたら、卵の大きさも同ていどのサイズになるのではないだろうか?


 もしも、これが天使の卵なら、なぜ、こんなところにあるのだろう。

 誰かが持ち運んできたのか、あるいは誰かが……生んだ?


(アスモデウスは天使だ。アスモデウスが生んだのか? いや、まさかな)


 アスモデウスは堕天して地上に来たときに、肉体と魂が分離して、肉体のほうは天使の力を失ってしまったようだった。仮死状態になり、眠り姫のように眠り続けていた。その肉体をアンドロマリウスが保管し、魂は転生して青蘭になった。


 五歳の青蘭は言った。

 眠り続けるアスモデウスをさして。

「きれいでしょ? これが生まれる前のぼくなんだって」——と。


 肉体だけの天使に卵を生むことが、果たしてできるだろうか?


(できなくはないのかもしれないけど、青蘭の言いぶんがほんとなら、心臓が二つないと卵ができない。天使の心臓が二つってことだろうから、こんなにたくさんの卵を作るには、その倍の数の天使をつれてきて、心臓を奪う必要がある)


 おそらくは、これはアンドロマリウスの実験の産物だ。

 目的はわかるような気がした。アンドロマリウスの心願は、ただひとつ。智天使のアスモデウスを復活させること。


 つまり、天使の卵を作って、アスモデウスの肉体を蘇らせようとしたのではないだろうか?


 龍郎は手近にあった卵を一つ、コツコツと叩いてみた。あっけなく割れて、なかみがドロリとこぼれてくる。


 それは腐っていた。

 成長の途上で死んだ胎児だ。

 とても奇妙な生き物だった。

 人間の赤ん坊にも似ているが、背中に翼が生えている。まだ羽毛の生える前の鳥のヒナのような翼が。

 全身には魚のうろこのようなものがあった。

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