第8話 失われた唄の追憶 その四
「龍郎さん。気持ち悪い……」
青蘭のぐあいが悪そうだ。
龍郎は卵の部屋を出て、もとどおり外から閂をかけた。
階段をあがり、上げ蓋を閉めると、青蘭はホッと息をついた。
「ごめんなさい。なんだか吐き気がして」
「いいよ。今日はもう休もう」
アンドロマリウスは人工的にか、または魔術的に、天使の卵を作るための実験をしていたのだろう。
じっさいにどんな実験をしていたのかまではわからない。が、そのさまが、もともと天使だった青蘭の記憶を刺激するのかもしれなかった。
青蘭をつれて一階の病室へ帰ってきた。青蘭はもう食欲もなく、ミネラルウォーターを飲んだだけで、布団のなかに入ってしまった。
龍郎は缶詰やレトルト食品を急いでとって、同じように青蘭のとなりにもぐりこむ。
「おやすみ。青蘭」
「おやすみなさい」
さすがに色っぽい気持ちになるわけもなく、抱きしめあって目をとじる。それでも二人でいれば心が安らいだ。おたがいのなかにある玉が共鳴しあう。
海鳴りを子守唄に眠りについた。
そのせいだろうか。
夢を見ていた。
海中をただようような、ふわふわした心地で。
景色が水中のように揺らいでいる。
水槽のなかから外を見るようなこの感じに覚えがある。
男が二人、話していた。
とても古風なトーガのような服をまとっている。
男の一人は知っていた。
アンドロマリウスだ。濃いブラウンの巻毛とコバルト鉱石のような青い瞳。なかなかハンサムな西洋人に見える。
もう一人は龍郎の知らない男だ。黒髪の巨人のようだが、頭部に三本の角がある。人ではないらしい。
「アンドロマリウス。おまえはどちらにつく? 右の神か左の神か」
「どっちについても同じだろう? やつらは双子だって言うじゃないか」
「生む者と滅する者。どちらが欠けても世界は成り立たない」
「やつらには好きなだけ戦わせておけばいいんだ」
「だが、ノーデンスが騒いでる。これ以上、やつらをこの地にのさばらせておけないと。やつらはもともと外なる宇宙から来た者だ。われら地の神が結束して、この地より追放するべきと」
アンドロマリウスは皮肉な笑みを浮かべた。
「おれたちのなかにも、やつらに加担してる連中がいる。結束なんてできるものか」
「だから、組みしない者は抹殺すると豪語しているらしい」
「ふうん。ノーデンスにそれだけの力があったかな?」
「あいつは今、英雄の卵を持ってるからな」
「ああ。千人の魔王の魂を吸いとったと言われる特別な卵か」
「それが
アンドロマリウスは肩をすくめた。
「おれはこの都市の住人を守るだけの存在だよ。悪いが、サルガタナス。参戦には応じられない」
「戦わなくてもいい。戦場のすみにいるだけで。まだ前哨戦だ。ノーデンスだって、いきなり外なる神を襲撃はしないだろう。地の神のなかで向こうにつくやつらをまずは潰しにかかるはず。初戦は天使がけちらしてくれるさ。ようす見には、ちょうどよくないか?」
「なるほど。初戦に名前だけつらねておけば、とりあえず、その後の天使の標的にならなくてすむってわけだな」
景色が変わる。
空と地を群衆が埋めつくしている。
古代の石の都を背景に、まだ原人のような人間や、それぞれの獣を結集し、天使と悪魔の軍勢が争っている。
同じ大地に生まれた者同士で争うこの光景に、アンドロマリウスは失笑しか浮かばない。こうして地の神同士で争うことじたいが、外なる神の策略ではないかとすら思う。
最後尾で高見の見物を決めこんでいた。が、その戦いの先陣を切る天使の姿をひとめ見て、釘づけになった。
天使は概して美しい。
戦闘に特化して生まれてきた存在であるはずなのに、なぜ、あれほどに美しいのだろうか? 敵対したときに殺すことを躊躇させるためだろうか?
あれが襲ってきたとしても、おれはあいつを殺せないだろうなと、アンドロマリウスは自嘲的に考えた。
「ゼパル。あの先陣のなかにいる髪の長い天使を知ってるか?」
近くにいた仲間に声をかけた。ゼパルは女好きの戦士だから、きっと天使のことにも詳しいだろうとふんだ。その考えは的を射ていた。
「ああ。アスモデウスだな。天使のなかでも、ことに麗しい」
「そう……だな。じつに艶麗だ」
「あんな奉仕者が、おれも欲しいものだ。一柱でいいから、さらってみたいな」と、ゼパルは鼻の下を伸ばして言う。
アンドロマリウスはあまり天使のことを知らなかった。これまで、まったく興味がなかったからだ。このさいだから、ゼパルの知識をちょうだいすることにした。
「でも、天使はみんな男なんだろう?」
「いや、聞くところによると、天使は繁殖期に入ると、男にでも女にでもなれるらしい。なんでも生まれたときから体のなかに石があって、自分の石と呼応する相手にあわせて性別も変わるらしいんだ」
「へえ。じゃあ、天使は天使としか繁殖できないのか」
「そうだろうな。たぶん」
戦うためだけに造られた、哀れな存在。
だが、その姿のまぶしさに、その日、アンドロマリウスは打たれた。
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