第二話 くちなし

第2話 くちなし その一



 あるいは、そうではないかと思っていた。

 青蘭を魔界から救いだしたとき、アンドロマリウスのことを覚えてないようだったので。


 アンドロマリウスは青蘭がまだ子どものころに取り憑いた魔王だ。

 火事で大火傷を負った青蘭を助けるために、青蘭の体内に快楽の玉を埋めこんだのもアンドロマリウス——ということになっている。少なくとも、アンドロマリウスが言うことを信ずるなら、だ。が、あいにくアンドロマリウスは信用できる相手ではない。嘘つきで狡猾こうかつな悪魔だ。


 それにしても、青蘭にとって、アンドロマリウスはなくてはならない存在だった。

 快楽の玉によって、悪魔たちは青蘭を求めて寄り集まってくる。それを駆逐するためには、どうしてもアンドロマリウスの力を借りなければならないのだ。ことに、強大な悪魔と対峙したときには。


(おれが、つねにそばについていれば、当面は問題ない。今のおれなら、上級悪魔からだって青蘭を守ることはできる。でも、ずっとひっついていられるわけじゃないんだ。さっきみたいに、ほんのちょっと目を離したすきに、さらわれたら……)


 アンドロマリウスは青蘭に力を貸すとき、必ず青蘭の体の一部を代償として求める。それが、青蘭とアンドロマリウスのあいだに結ばれた契約だ。


 だから、龍郎としては、早くアンドロマリウスを青蘭のなかから追いだしたかった。いつかは滅却したい。そのつもりでいたのだが、じっさいにヤツがいなくなると、ひじょうに困った事態になることを実感した。青蘭が自身の身を守れない。


 アンドロマリウスがいなくなるなら、同時に快楽の玉も持っていってくれたらいい。


 だが、それもきっと青蘭は嫌がるだろう。青蘭の現在の外見は快楽の玉の力のおかげだ。その力が失われれば、青蘭は全身に火傷の傷痕を負った傷ついた姿に戻ってしまう。それは、美貌を誇る青蘭にとって、とても残酷なことだ。


 それにしても、青蘭の現状は、どうなっているのだろう?

 単に青蘭のなかのアンドロマリウスに関する記憶がなくなっただけなのか、それとも、アンドロマリウスじたい、すでに青蘭のなかからいなくなっているのか?


 考えこむうちに、自宅についた。

 さっきの団地とは反対側の町外れに位置する、M市の南端。残念ながら南側は裏山になっているので、陽当たりは決して良好ではない。


 だが、リフォームして使い勝手のよくなった我が家は、古式ゆかしい平屋建ての日本家屋で、庭も広いし、とても風情がある。


「ただいま。清美さん」


 玄関をあけると、すぐにパタパタと走ってくる足音がする。


「おかえりなさーい。なんか早かったですね。映画館でイチャラブしてたんじゃないんですか? あれ? それに荷物は?」


 メガネをかけて、セミロングの髪をおさげにした清美が玄関に姿を現わす。


 青蘭の従姉妹の遊佐ゆさ清美は天涯孤独なので、龍郎たちと同居している。ふだんは、ただの美青年に目がない腐女子だが、夢を自在にあやつるほどの巫女能力を発揮することもある。なかなか、あなどれない女性だ。


「ごめん。今日は急遽、悪魔退治の依頼があったんで、買い物にはいけなかった。明日また、あらためて行くよ。今日の食料、あるかな?」

「えーと……ホットケーキでも焼きますか?」

「夜にスウィーツはちょっと……おれが残り物でなんとかするよ」

「ラジャーです!」


 たしかに清美の作るスウィーツは絶品なのだが、二十代男子として、夕食もスウィーツはキツイ。

 できたらスウィーツ以外の料理も得意になってもらいたいものだが、清美の料理は見ためが悪いと美味しく、見ためがきれいだとマズイという、強烈な特徴がある。

 少ない食材をそんなギャンブルにつぎこむわけにはいかなかった。


「あっ、そういえば、さっき、おうちの固定電話に、龍郎さんあての電話がかかってきましたよ」

「えっ? 誰? またフレデリックさん?」

「いえ。繁田しげたさんっていう刑事さんです」

「ああ……」


 以前から、殺人事件にかかわるたびに、龍郎を疑っている県警の刑事だ。悪魔退治にかかわっていると、さっきの事件のように、どうしても死体が出てしまうことがある。龍郎のまわりで事件が頻発するので、怪しんでいるようだ。


「さっきのことで、またなんか言われるのかな? 磯福から、おれのことは知れるだろうし。まあいいや。清美さん、青蘭が疲れてるんだ。得意のスウィーツと紅茶を頼むよ」

「はーい。ちょっと待っててくださいねぇ」


 玄関をあがり、龍郎は青蘭の肩をかかえながら、リビングルームとして使っている奥の広間につれていった。


 最初は味気なかった居間も、二週間経過すると、だんだん家庭の色がついてくる。清美の持ちこんだ本棚には腐った内容の小説や漫画がならび、座椅子のような脚のないソファーには、青蘭のぬいぐるみ。龍郎はとくに趣味らしいものがないが、とりあえず将棋盤だけは置いてみた。


 ソファーに座ると、龍郎は青蘭のおもてをのぞきこむ。


「大丈夫?」


 青蘭は涙を浮かべた目で、黙って龍郎を見つめてきた。


「忘れてしまったんだね? 悪魔退治のしかた」


 青蘭は頼りない仕草でうなずいた。


「僕が、それをやってたことは覚えてるんです。でも、その方法が思いだせない。なんとなくだけど……ここが、からっぽになったような」


 そう言って、青蘭は自分の胸に手をあてた。


「青蘭、よく聞いて。青蘭はルリム・シャイコースの世界で一度、死んだんだ。たぶん、そのときに失われたんだと思う。君のなかにはアンドロマリウスって魔王がいた。魔王を召喚することで、悪魔を退治してたんだ」

「……おぼえてない」


 青蘭のなかからいなくなってほしかった、その存在。

 でも、これでは解決にならないことを、龍郎は知った。悔しいが今の自分では、青蘭をほんとうの意味で救済することはできない。


(この方法は正解じゃなかったんだ。青蘭を真に救うためには、別の答えを導きださないと)


 その方法が、まだわからない。

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