第2話 くちなし その二



「とにかく、青蘭の記憶をとりもどせないか、フレデリックさんたちに相談してみよう。そのあいだは、おれが青蘭を守るから」

「うん……」


 自分一人ではどうにもならない。

 しかたなく、龍郎はフレデリック神父に相談の電話をかけた。青蘭の父、星流せいるは、ある組織でエクソシストをしていた。フレデリック神父はそのころの星流のバディだ。青蘭の監視を組織のリーダーから任されて、日本に在住している。


「……青蘭の記憶が? わかった、すぐに行く。自宅にいるんだな?」

「はい」


 そんな話をして五分後に玄関の呼び鈴が鳴った。


「早いな。家の外にいたんじゃないか?」


 龍郎はビックリしながら、玄関へ急ぐ。しかし、立っていたのは銀髪にブルーグリーンの瞳の外国人モデルみたいな神父ではなかった。


 スーツを着ているが、冴えない風態の中年男性。繁田刑事だ。容貌は似ていないが、すごくくたびれた感じが、なぜか刑事コロンボを彷彿ほうふつとさせる。となりには相棒のちょっとイケメンな若い刑事もいる。ちょイケだ。


「や、どうもね。さっきも電話したんですが、お留守だったので。じつは市内の団地で遺体が発見されたんですがね。その場にあなたもいたってことでしたので、お話うかがえないかなと思いましてね」


 龍郎は嘆息した。

 めんどくさいが、しかたない。


「どうぞ。あがってください」


 さっきの居間のとなりの表側の広間に通す。ここは客用なので、この家を買ったときから付属で残っていた座卓が一つしか置かれていない。


 三十分ほど聞き取りをされたあと、急に繁田刑事が変なことを言いだした。


「磯福さんの話じゃ、本柳さんは霊が見えるんだそうですね。なんかね。霊を殴って退治したって言う話なんですよね。そんなバカなって、思わず笑っちゃいましたがね。じつのところ、どうなんですかね?」


「そんなことあるわけないじゃないですか。磯福は就職が決まらなかったので、軽い鬱みたいなんです。お化けに悩まされてるなんて言うから、話をあわせてそれっぽいことをしてみせただけです。死体を発見したのはぐうぜんですよ」

「ぐうぜんねぇ。なんで、あなたのまわりでばっかり、しょっちゅう死体が見つかるんですかねぇ?」

「さあ? それは、おれのほうが知りたいです。悪いんですが、そろそろ知りあいが訪ねてくるころなので、おひきとり願ってもいいですか?」


 ちょうど折りよくチャイムが鳴った。今度こそ、フレデリック神父だ。


「ああ。そうですか。しょうがない。じゃあ、またお邪魔します」


 もう来なくてもいいのだが、繁田刑事とそのつれは立ちあがった。玄関まで二人を見送りに出たとき、龍郎は背中を向けた繁田刑事を見て、ギョッとした。背中に、ひからびたミイラみたいな手がぶらさがっている。


「あの、繁田さん……」

「はい? なんですかね?」


 やたらに語尾に“ね”をつける、ねちっこい刑事だが、職務に忠実なまじめな男だ。決して悪い人ではない。

 このまま見すごすのは、龍郎の良心が痛んだ。


「このごろ変わったことがないですか? 体調がすぐれないとか」


 繁田刑事はいぶかしむような顔つきで龍郎をながめたあと、乾いた声で笑った。


「別になんもないですがね?」

「そうですか」


 繁田刑事は入れかわりで玄関に入ってくるフレデリック神父と、二言三言かわして去っていった。干物のような手が、繁田刑事をひきとめようとするように、スーツの裾をグイグイひっぱっていたが、それには、まったく気づいたようすもなく。


「あれ? なんだろう? 甘い匂いがする」


 繁田刑事が玄関の引き戸を閉めたとき、どこかから、ふわっと甘い香りがした。香水のようでもない自然な甘さだった。


 繁田刑事の背中を見送った神父は、開口一番に言った。


「あの刑事、憑かれてるな」

「ですよね」

「まあ、本人に自覚がないようだし、今のところ悪影響はないだろう」

「だといいんですが」


 神父は初対面の刑事のことより、青蘭を心配していた。さっさと家のなかへ入っていく。

 しかたなく、龍郎もついていった。


「青蘭。フレデリックさんが来たよ」


 なにげなく、居間の襖をあけて、龍郎は心臓が止まりそうになった。

 ソファーで、うたたねする青蘭。その青蘭のとなりに女がよりかかっている。骨と皮だけの女だ。

 ほんの三十分離れていただけなのに、もう霊にまといつかれていた。


「青蘭!」


 あわてて龍郎が右手を伸ばすと、女の霊は無念そうに消えた。消えるとき、龍郎は認めた。女の片手の手首から先がないことを。繁田刑事がつれてきた霊のようだ。おそらく、繁田刑事のもとに帰ったのだろう。


 青蘭が、ぽつりとつぶやく。

「死人に口なしだ……」


 青蘭の言葉ではないみたいだ。

 さっきの女の霊が、青蘭の口を借りたかのようだった。


「青蘭。青蘭。しっかりしろよ」


 けれど、起きてきた青蘭は無邪気に微笑んだ。霊のことなど、まったく気づいたようすがない。


「龍郎さん。お話、終わった?」

「ああ。刑事さんは帰ったよ」


 笑いかえすものの、龍郎は青蘭が心配だ。いつもの青蘭なら、たとえ眠っていたとしても、あんな近くにいる霊の匂いに気づかないはずがない。あれほど悪魔の匂いに敏感だった青蘭だ。アンドロマリウスを失ったからだとしか思えない。


 龍郎はチラリとフレデリック神父を見た。神父も龍郎を見て、うなずく。


「これは、深刻だな。彼はエクソシストの力をなくしている」

「そうですよね。とりもどすことはできるんですか?」


 神父はすぐには答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る