第5話 白と黒 その四
地下の闇は濃密な霧のように視界を奪う。何も見えない。手さぐりで壁づたいに歩いた。
階段をおりきると、なぜか、床や天井がザワザワと蠢いているような錯覚に落ちた。それは初めてフレデリックが経験する
「……イヤな匂いがする」
「うん」
教祖のいるカタコンベは地下のもっとも奥に位置している。足音を立てないよう細心の注意を払いながら進んでいった。
やがて、音が聞こえた。
妙な音だ。
スウスウとすきま風の吹くような。
きっと教祖が女を殺していると思っていたのに、何をしているのか想像がつかない。
扉の前に立った。
古い木の扉だ。開閉すれば大きな音がする。しかたないので、節穴に目をあてた。
カタコンベのなかには、壁にいくつかの
やはり、思ったとおりだ。
教祖が祭壇に女をよこたえ、全裸にしている。手にはナイフをにぎっていた。今まさに、それは女の胸にふりおろされようとしている。
じつのところ、この教団がなんという神を祀っているのか、フレデリックは知らない。生贄を喜ぶ神なのだと、このとき初めて理解した。
それにしても、予想の
ほら、見たろ、もう帰ろう、という合図を星流に送ろうとしたときだ。
また、なかのようすに釘づけになった。
教祖が妙な呪文を唱えながら、女の胸から心臓をぬきだした。ビクビクと脈打つ心臓を銀の皿の上に置く。
だが、フレデリックが自分の目を疑ったのは、そのことじゃない。
教祖が切りさいた女の胸に手をつっこんで心臓をぬきだすと、いっしょに糸のようなものがまといついて出てくる。ズルズルと伸びて、教祖の手に巻きつく。教祖がその糸を二、三度引くと、女は立ちあがった。まるで、マリオネットだ。
そんなわけがない。
女の心臓は完全に体内からとりだされている。女は死んでいるのだ。死人が起きあがるはずなどない。
だが現に目の前で女は立ちあがった。
教祖のふくみ笑いがもれ聞こえる。
女の死体はみるみるうちに、異様な姿に変化していく。
全身がミイラのようにひからびて茶色くなり、骨が浮きだして見えた。
ボロボロになった皮膚が
心臓をとりだされた穴は大きく丸く貫通して、体の向こう側が丸見えだ。そして、その穴からビュービューと、風の吹きぬける音がする。角と尻尾のようなものも生えてきた。
(な、なんだ、これ? 化け物だ……)
恐怖にすくむフレデリックの耳に、星流のつぶやきが届いた。
「ナイトゴーントだ」
「ナイト……何?」
驚いたことに、星流は扉をあけはなち、なかへとびこんでいった。
「星流!」
呼びとめるヒマもなく、星流は教祖に立ちむかっていく。
「きさま、ノーデンスかッ?」
星流はどこからか銀の十字架をとりだした。星流がそれをかかげると、まぶしい光があたりを照らした。凶器のような光線が教祖の衣服を引き裂く。黒い衣の下の顔があらわになる。
それは、人ではなかった。角笛を首からさげた黒い男だ。ナマズのようなざらついた肌をして、小さなヒレのような翼がある。
「シュゴーラン……か?」
星流は困惑したようだ。
教祖の姿が変容していく。
喉にからむ笑い声をあげながら、彼は言った。
「そう。この姿の私はシュゴーランと呼ばれている。だが、これも真の姿ではない。嬉しいよ。賢者の石の持ちぬしに二人も会えるとは」
「ナイアルラトホテップ……千の
教祖の姿は巨大化し、翼がカタコンベの端から端まで達するほどになる。その姿は黒い鳥だ。だが、まだ人の声を発している。
「おまえたちは大事なパーツだ。まだ、壊しはしない」
古城が崩れおち、多くの信者が下敷きになって死んだ。
瓦礫の降るなか、フレデリックはどうにか外まで脱出した。星流と手をとりあって。星流の右手とフレデリックの左手が重なると、脈動が手から手へと伝わった。言い知れぬ力が湧きあがる。その力のおかげで逃げきれたのだと思う。
崩れおちる城をながめながら、星流がささやいた。
「君も持っているんだな。おどろいた」
「何を?」
「苦痛の玉だ。君のも僕と同じ。カケラみたいだが」
「苦痛の玉……?」
「そう。賢者の石の一方だ。僕はそれを探している。苦痛の玉の残りと、それに呼応する快楽の玉だ。悪魔が持っている可能性が高い」
フレデリックは星流のおもてを見つめた。
「悪魔……さっきのは、悪魔か? 教祖は悪魔だったのか?」
「ナイアルラトホテップ。クトゥルフの邪神だ。貌のない神。さまざまな姿に化身する。シュゴーランはヤツの化身の一つだ。それにしても、ナイトゴーントの主人はノーデンスのはず。なぜ、ナイアルラトホテップが出てきたんだろう?」
「女たちは、どうなったんだ?」
「死体から奉仕種族を作っていたんだと思う。ナイアルラトホテップとノーデンスは利害関係にあるときには手を組むことがある。やつらは協力しているということか」
「何を言ってるんだか、さっぱりわからない」
「あとで説明してあげるよ。おいで。君は僕らの組織に来るといい。これからは、僕といっしょにヤツらと戦おう」
そう言って、星流は手をさしだしてきた。
その手をつかめば、どうなるのか、予測できないわけではなかった。
星流の言うヤツらというのが、さっきの教祖のような連中のことであろうということは。
でも、ためらいはなかった。
迷わず、その手をにぎった。
フレデリックを暗黒の闇の世界からつれだしてくれたのは、星流だ。
星流と出会わなければ、フレデリックの生涯は灰色のままだったろう。
たくさんの思い出をくれた星流。
でも、彼はすでに、この世の人ではない。
フレデリックは自分の手を見おろした。苦痛の玉のカケラを内包しているという左手を。
苦痛の玉は快楽の玉と共鳴する。
たとえカケラとは言え、それを持つフレデリックが青蘭に惹かれるのは、自然のなりゆきなのだ。
(星流。君は怒るかな? だが、私をすてていったのは君のほうだ。そろそろ君から自由になってもいいだろう?)
フレデリックの想いは、まだ
了
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