第六話 婚約指輪

第6話 婚約指輪 その一



 龍郎は青蘭と二人で宝飾店を訪れた。

 アンドロマリウスをとりもどすために、早くあの島へ行きたいが、その前にどうしても、指輪だけは欲しかったのだ。今、二人の愛を形にしなければ、一生、抽象的なままで終わりそうな気がした。


「青蘭はルビー、おれはサファイアだね」

「うん。ねえ、龍郎さんの指輪は僕が買うから、僕の指輪を龍郎さんが買ってくれない?」

「えっ? 両方、出すつもりだったけど?」

「だって、僕が買ったものを龍郎さんに身につけててほしいから」

「ふうん。まあ、そういうことなら」


 よく考えたら、おたがいに初めてのプレゼントだ。なんだか、ワクワクする。


 百貨店のなかにある宝飾店の店内には、龍郎たちのほかにも何人か客がいた。やはり、カップルが多い。みんなガラスの展示ケースのなかを幸せそうに見つめている。


 だが、そのなかで、龍郎はひと組みの男女が気にかかった。女は浮かれているが、男の顔色がいやに青い。ほんとは、その女と結婚したくないのだろうかとさえ思える。


 変な気分はしたが、「ね、龍郎さんはどんなデザインが好き?」と、はしゃぐ青蘭を見れば、ほかのことなんて、どうでもよくなった。


 しばらく、あれがいい、これがいいと真剣に指輪を吟味する。


「ねえ、龍郎さん。これがいい」

「ダメだよ。そんなダイヤで埋めつくした派手なの、青蘭は似合うだろうけどさ。ペアなんだろ? おれが似合わない」

「……じゃあ、これは?」

「そんな、大きな石ついたの、やだよ」

「なんで? 遠慮はいらないですよ? 僕、この店で一番高いのでもチョロいですよ?」

「そうじゃなくて、目立ちすぎるからさ」

「目立たせなくて、どうするんですか? 抑止力にならない」


 青蘭の目的は、龍郎に自分以外の虫をつけないためのようだ。指輪には龍郎が思う以上にさまざまな力があるらしい。


「ほら、このくらいシンプルなほうがよくない? 青蘭にも似合う」


 一番よくあるストレートのリングを指さすと、青蘭はごねる。


「そんな地味なのダメ」

「じゃあ、どんなの?」


 検討した結果、幅広タイプのプラチナのリングに、ダイヤのかわりにおたがいの誕生石を一粒ずつ埋めこんだデザインにした。裏に名前やメッセージを彫りこむ指輪は一般的だが、表面に二人の名前を刻むことができるところが、青蘭のお気に召した。


 店員と細かいことを相談していたとき、急に店内に悲鳴が響きわたった。

 高級なふんいきの店には不釣り合いな絶叫だ。店のなかにいた全員が、その叫び声のほうをながめた。もちろん、龍郎もふりかえった。


 さっきのあのアベックだ。女のほうが倒れて、床をころげまわっている。


「痛い。痛いよ。助けて!」


 左手を右手で押さえている。その手の下から、壊れた蛇口みたいに、真紅の液体をまきちらしていた。

 そのかたわらに立ち、つれの男は呆然としている。


 龍郎は急いで、ころげまわっている女に近づいた。急病かもしれないと思ったのだ。


「大丈夫ですか? どうかしたんですか?」


 女は泣きながら、うめくような声をしぼりだす。

「指が……指が……」

「指?」


 よく見ると、女のそばに指が一本、落ちている。華奢な女の指だ。指がちぎれたということだろうか? こんなアクセサリー売り場のまんなかで?


 なんだか異様な感じはしたが、とにかく、ぼやぼやしている男を叱咤した。


「彼氏でしょ? 早く救急車、呼んでください。お店の人はハンカチでもなんでもいいので、止血できるもの持ってきて。あなたは右手で手首をギュッとにぎって。そうそう。血が流れないように」


 彼氏と店員と倒れた女に、三者三様の指示を与える。このごろ、ちょっとやそっとのことじゃ、あわてなくなった。


 けっきょく、救急車を呼んだのは店員だった。女は救急隊員に肩を支えられて運ばれていった。


 男は女につきそうこともなく、ガクガクとふるえている。そのおもては蒼白だ。目の前で恋人がいきなり倒れれば、誰だって愕然とするには違いない。それにしても、男の態度は奇妙だ。恋人を心配しているというより、おびえきっている。


 龍郎はなんだか、それが気になった。


 どういう状況だったにしろ、いきなり指がひとりでにちぎれたわけではあるまい。展示ケースが落ちてきて、指をはさんだくらいでは、骨折はするかもしれないが、指を切断するとは思えなかった。


「あの、何があったんですか?」


 声をかけると、とつぜん、龍郎の肩に手をかけて、男がすがりついてきた。


「助けてくれ! こ……これで、三人めなんだ。いったい、なんで、おれのまわりでこんなことが起こるんだ?」

「三人?」

「そうだよ。綾音も、みゆきも、茉莉花も……」


 龍郎は青蘭の顔をうかがった。

 青蘭はすねたようすで肘鉄を食らわせてくる。せっかくのペアリングが買えなくなったことに機嫌をそこねている。青蘭の肘鉄を食らうのは二度めだが、これがなかなかに痛い。


 とはいえ、これはほっとけない。

 三人の女の身に何が起こったというのだろうか?


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