第9話 海鳴りのディアボロ その二



 電話は穂村からだった。

 龍郎がスマホに表示されるその名前を見て、電話に出ると、穂村の声がとびだしてくる。口調が切羽詰まっていた。


「本柳くん。大変だ。すぐに団地に来てくれ!」

「穂村先生? どうかしたんですか?」

「団地がとりこわされるって話したろ? それで神社が移転されることになったんだが、ブルドーザーがフェンスを崩したとたんに、やつらが——」

「やつら?」

「とにかく、来てくれ!」


 うわぁーッと悲鳴が耳元で響いて、電話は切れた。


「どうしようか……」

「ほっとけば?」と、青蘭。

「いや、そうもいかないだろ。あの団地では、これまでにも何度も異変があった。ほんとに大変なことになってるかもしれない」

「…………」


 青蘭は先日、嫌なことがあった場所だ。行きたくないのは当然だろう。


「わかった。おれが一人で行ってくる。青蘭はここで清美さんと留守番してて」

「行くの? 龍郎さん。僕もついていこうか?」


 龍郎は思案した。だが、今の青蘭は怪異の現場にいても、何かができるわけではない。前回のように被害をこうむるだけの可能性がある。それなら、ここで待っていてくれるほうが、龍郎には安心だ。


「いや、いいよ。おれだけで行ってくるから」

「そう?」

「うん。たぶん、今夜中には終わるさ。もしもフレデリックさんが文句を言いにかけつけてきたとき、おれがまだ帰ってなかったら相談して」

「うん……」


 龍郎は青蘭や清美と別れて、軽自動車に乗りこんだ。ユニコーンのぬいぐるみを抱きしめて手をふる青蘭の姿が、やけに頼りなく目の奥に刻まれた。


 市内を北上して、団地まで直行する。

 団地に近づくにつれ、あたりは物々しくなった。パトカーや消防車などが何台も路肩に停まっている。団地の百メートル前では警察による検問が実施されていた。


「このさきは通行止めだ。ひきかえしてくれませんか」という制服の警官に、龍郎はたずねた。


「団地に知人が住んでるんです。助けを求められて、今、向かっているんですが、何かあったんですか?」


 警官は同僚と顔を見あわせ、何やら難しい表情をした。が、返ってきた答えは、「とにかく、例外はないんだ。帰ってください」の一点張りだ。

 これは思ったより、たいそうな事件に発展しているのかもしれない。


 しょうがないので、龍郎は近くの学校の前の駐車場に車を停めた。そこに自動車を置いて、徒歩で団地へと歩いていく。検問をさけて、近隣の住民が使う細道を通っていった。以前、この近所に住んでいたからこそ知っているルートだ。


 団地の前にも警察官が大勢、集まっていた。そのなかに、龍郎は繁田刑事の姿を見つけた。


「繁田さん!」

「ああ……本柳さん。このあいだは、どうも」

「いえ。それより、なかで何があったんですか? この警戒は?」


 繁田は一瞬、黙った。

 周囲の耳目を気にするふうで、チラッと視線を流す。そして、チョイチョイと指先で誘って、龍郎を囲みからつれだした。


「ちょっと大きな声では言えないんですがね。この件はもしかしたら、うやむやにされてしまうかもしれませんよ。今もね。報道に規制がかけられてるんでね。メディアにはお断りいただいてます」


 あたりまえの事件なら、たとえばそれが数十人を殺した殺人犯が銃を手に団地にたてこもっているのだとしても、事件じたいをなかったことにはできない。戦前、戦時中ならともかく、このネットの盛んな時代では、どれだけ規制をかけても、どこかから情報は洩れる。


「……なかに怪物がいるんですか? あるいは、お化けとか?」


 繁田は嘆息した。こんなバカバカしいことを自分の口から言わなければならないことが残念でならないというように。


「付近の住人から通報があってね。かけつけた警官が何人も、それを目撃しとるんですわ。あんた、信じられますか? 神社の裏の穴から、赤鬼や青鬼が次々、這いだしてきたと言うんですわ」

「赤鬼、青鬼……」


 やっぱりそうだ。

 団地のなかで怪奇現象が起こっている。穂村はそれにまきこまれたのだ。


「待ってください。神社の穴って、なんですか? 前は穴なんてなかったはずだ。フェンスを壊したって、穂村さんが電話で言ってたけど」


「神社を移転するっていうんで、業者がこの前から社やら祠やら、解体して移転先に運んでたらしいんだがね。フェンス付近に灯籠があったじゃないですか。私も近所なんで行ってみたことがあるんですがね。あの灯籠を動かしたとたんに、大きな穴があいたって話ですよ。どうもね」


「そうですか。この団地を守ってたのは神社だった。移転じゃ意味がないんだ。この場所にないと。ここが、そういう場所だから」


 以前の繁田なら、龍郎がそんなことを言っても信じてくれるはずもなかった。しかし、今は違う。苦虫をかみつぶしたような渋面は、龍郎の言葉のなかに真実を見たからだろう。


「やっぱり、そうなんですかねぇ。じゃあ、我々はどうしたらいいんですかねぇ? 警察がなんとかなる相手ですかね?」


「赤鬼青鬼がどんなヤツらなのか、じっさいに見てみないとわからないが、でも、実体があるなら、拳銃で殺すことはできるかもしれない。このまま周囲を包囲して、もしも鬼が外まで出ていきそうなら射殺してください。相手によっては銃でも歯が立たないかもしれないけど」


「銃で歯が立たないって、どんなヤツらなんですかね?」


「クトゥルフの邪神。または魔王のような。まあ、ラスボス並みに強いヤツです。繁田さん。おれをなかに入れてもらえますか? なんとかできないか、さぐってみます。それに、穂村先生も助けないと」


「しかしなぁ、君一人を危険にさらすわけにはなぁ」

「大丈夫。おれは慣れてますから。これまでにも何度か魔王を退治した」


 厳密には邪神や魔王を退治したのは、青蘭だが、ルリム・シャイコースをやったのは龍郎だし、今なら自分でも邪神を相手にあるていど戦えるという自信があった。


「わかった。じゃあ、さぐるだけだぞ。我々も、なかがどうなってるのか知りたい。危ないと思ったら、すぐに戻ってきてくれ」

「もちろんです」


 龍郎は繁田刑事に案内されて、警察の死角から団地に潜入した。

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