第九話 海鳴りのディアボロ
第9話 海鳴りのディアボロ その一
アンドロマリウスから受けとった小箱。
ちょうど指輪のケースくらいの大きさの鉄の金庫だ。ダイヤルがついていて、鍵がかかっている。
病室に帰ると、ドアをあける音で青蘭が目をさました。
龍郎はベッドに腰かけ、青蘭の手に小箱を乗せた。何か起こるのではないかと期待したが、とくに何事もない。
「龍郎さん。これ……」
「ああ。アンドロマリウスに会ったよ。あいつが君に、これを渡してほしいって」
「どうして僕の前には出てこなかったの?」
「弱った姿をおまえに見せたくないんだろう」
「ふうん」
青蘭はしばらくダイヤルをいじっていたが、やがて、ため息をついて諦めた。
「あかないよ」
「アンドロマリウスは、おまえが本気で呼べば来るって言った。きっと大切なものだ。ずっと手元に持ってるといい」
「うん」
青蘭はそれを上着のポケットに入れた。ちょっとかさばるが、しかたない。
「青蘭。これからどうしようか? 青蘭の実家に行ってみる?」
「うん。いちおう」
アンドロマリウスが龍郎の前に現れたということは、伝えたいことは、すでに告げているはずだ。新たな発見があるとも思えなかった。
それでも、念のため、屋敷跡に行ってみた。が、やはり予想どおり、そこではこれと言ったことはなかった。
以前はその屋敷跡で、青蘭の記憶のなかへ入りこむことができたが、今回はその現象も起こらなかった。
「青蘭。何か思いだした?」
「とくに何も。ここでのことは五歳の僕じゃないと覚えてないんだと思う」
たしかに、この屋敷にいたアスモデウスはすでに、ぬけがらだった。ここでの記憶など持っているわけがない。知っているのは、ここで暮らしていた五歳までの青蘭だけだ。
しかたなく、診療所に帰った。再度、なかを調べてみたが、新しい発見はなかった。実験室の隠し部屋にも、昨日の卵以外に怪しいものはない。壁ぎわにテーブルが置かれていて、その上に数冊の日記のようなものがあったので、とりあえず、それだけは持ちだした。時間があるときに、じっくり読んでみるためだ。
そうこうしているうちに夕方になり、迎えの漁船がやってきた。
診療所には再び鍵を閉め、島を発った。
その夜は九州で一泊した。
アンドロマリウスをとりもどすという最初の目的は実現できなかったが、彼と接触し、何かしらの手がかりになりそうな置き土産を受けとることはできた。
このあとは、とくに予定もない。
観光でも、と龍郎は思ったのだが、青蘭はそんな気分になれないようだった。「おうちに帰る」と幼な子のように言うのだから、しかたがない。
以前は「僕は定住なんてしない」とか言ってたくせに、今の自宅は青蘭にとっても、いつのまにか“僕のおうち”になっていたのだ。それだけでも嬉しい。
福岡まで電車で移動し、そこから飛行機に乗ってI市へ。I市からふたたび、電車だ。まっすぐにM市へ帰った。
いつものように縁側でオタク本を読みふけりながら日向ぼっこしていた清美が、ちょっと驚いて迎えてくれる。
「あれっ? ずいぶん早かったですね。おかえりなさーい」
「ああ、うん。ただいま」
「ついさっき、清美の足止め作戦がバレて、神父さん、追っていったんですけど。逆に行き違いになっちゃいましたね」
「そうなんだ。足止め作戦って?」
「これです」
清美はポケットからスマホを出すと、それに話しかけた。
「龍郎さーん。ちょっと手伝ってください」
「うん。ちょっと待って」と、スマホが応える。要するに録音してある龍郎の声だ。それにしても、いつのまに録音していたのだろうか。音源が何なのか聞くのが怖い。
「まさかと思うけど、おれたちの会話とか、ふだんから録音して……盗聴……」
「そんなことしません!」
清美は憤然と否定した。が、次の瞬間には、
「お二人のイチャラブを録画してるだけです。だいぶ、たまりましたよ」
嬉しそうにスマホに頬ずりしている。
たしかに盗聴ではないかもしれない。盗聴ではないかもしれないが、龍郎は「それって盗撮だよね?」と言うべきかどうか迷った。が、今回、じっさいにそれで役立っているのだから、まあ、よしとしよう。
「じゃあ、フレデリックさんは、しばらくこっちにいないんだな。というか、おれたちの行くさきは見当がついたんだ」
清美が一瞬、かたまる。
「もしかして、清美さんが……」
「えっと、す、すいません! でもね、あのね。言葉尻をとらえられたっていうか。チクったとか、そんなんじゃないんですよ? あっ、ちゃんと神父さんには『言っときますけど、わたし、龍郎さん派ですからね!』って釘さしておきました」
つまり、清美から情報がもれたせいで、神父は今さら誰もいない九州まで行ってしまったというわけだ。
「まあいいよ。帰宅直後を待ちぶせされて叱られるのは、ごめんこうむりたいしね」
「僕、清美のプリンが食べたい」
「はいはい。そう思って、作ってありますよ」
青蘭が言うので、三人は屋内に入った。コーヒーとプリンのティータイムを満喫した。
青蘭が嬉しそうに笑うので、龍郎は安堵する。
青蘭が本気で呼びさえすれば、アンドロマリウスは帰ってくるようだ。今すぐにはムリかもしれないが、いつかまた、青蘭自身で戦うことができるようになる。それまでは龍郎が守ってやればいいのだと考えて。
だが、その考えは甘いと、すぐにも思い知らされることになるのだが。
「ほんとに、スウィーツだけは絶品だね。清美」
「わーい。青蘭さんに褒められた!」
「今のは皮肉だよ? 料理はギャンブルって意味だから」
「うぐぐ。いいんです。わたしはこの家のデザート担当だから」
そんなふうに話しているところに、あの電話がかかってきた。
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