第3話 ロイコクロリディウム その六
地面の下から巨大な何かが突きあげてくるかのように、強烈な縦揺れに見舞われる。
立っていられない。
何度も足が宙に浮いた。
「青蘭!」
思わず手が離れた。
同時に地面が裂ける。
暗い穴のなかに龍郎は飲みこまれていった。
気がつくと丘のふもとに転がっていた。周囲には自分しかいない。
「青蘭? 青蘭、どこだ?」
いったい何が起こったのだろう?
ここは、どこだろうか?
さっきまでの林のなかか?
似ているが、どことなく違う。
どこがとは言えないものの、少なくとも、こんな丘はなかった。
丘の上に石碑が見えた。
いや、よく見ると、それはさっきのストーンヘンジのような遺跡だ。倒れていた巨石もきれいに並んでいる。
空には異様に大きな月がのぼっていた。クレーターの一つ一つが見えるほど大きい。精度のいい望遠鏡で覗いたような月だ。
まだ午前中だったはずなのに、あたりはすっかり暗くなっていたが、
月光のなかに黒々と浮かびあがる巨石群は、どこか不気味だ。手足をもがれたゴーレムのようないびつさと、血なまぐさい魔術の香りがしみついている。
両足を広げたゴーレムの腰から下だけのような石のあいだから、丘の頂上が見えた。そこに奇妙なものが見える。黒く見えるのは影になっているからだ。
蛇……だろうか?
帯のようなものが長々とうねりながら蠢いていた。妙に
龍郎は青蘭を探しながら、丘の頂きへむかっていった。もしかして、あの不気味な大蛇に襲われていないだろうかと案じた。
地面は深い草に覆われていたが、ところどころ岩もつきだしている。岩にはアンモナイトのような模様があった。かつて、ここは海中だったのかもしれない。
(あの夢のなかで見た光景。天使が人魚たちを襲撃してた。あの場所は海岸線だった)
遠浅の美しい浜辺。
だが、そこに群れていたのは人ではないものだった。
ここが、その場所なのだと、とうとつに龍郎は直感した。
そう。この場所だ。
人間が生まれるより遥か昔に、天使と悪魔が争った。その地に今、自分はいる。矢じりや折れた剣の切っ先は、そのときの戦闘によってもたらされた破壊の跡だ。
だとしたら、あの巨石の遺跡は、誰がなんのために造ったものだろう?
もちろん、人ではない。
あの場所に住んでいたものたち……人魚だ。
(祭壇だ! 人魚たちが邪神を讃えるための場所——)
急ぎ、丘陵をかけあがる。
巨石のそばまで来ると、それがなんなのか、ハッキリ見わけられた。
蛇のように見えた長い帯は、数えきれない人魚の行列だ。
カタツムリのように目がとびだし、腰から下が触手の化け物。全身に鱗が生えた半魚人。手の平や背中にヒレがあり、両足が魚のようになった人魚。
そういうものたちが長蛇の列になっている。
クリーチャーたちの行列は、丘のふもとから、巨石が円を作るサークルのなかへ続いていた。
サークルのまんなかには一枚岩の大テーブルがある。そこが祭壇だろう。
背の高い柱のような巨石の陰に隠れ、龍郎は、さらにサークルに近づく。大テーブルの上を見て、心臓をつらぬかれるような痛みが走った。
そして、のろのろと進む竜の背骨のような長い行列は、そこを目指していた。
醜い人魚たちは祭壇まで来ると、一体ずつ、青蘭にぶつかっていく。つかのま腰をすりつけ、激しくゆさぶって奇声を発する。そのまま、祭司の手で首をはねられた。
この場合、はたして、どちらが
青蘭?
それとも、首をはねられる化け物?
青蘭の体から、またあの光が発していた。快楽の玉が悪魔の血を吸収して、青く輝いている。おそらく、祭司たちは快楽の玉に生贄の血を集めようとしているのだ。
青蘭の美しい裸身は、またたくまに返り血で真っ赤に染まる。人魚たちの血を浴びて、恍惚の表情を浮かべる。
あの目だ。狂った女の目。
アスモデウスが目を覚ましたのだ。
龍郎は祭壇に走っていった。
怒りが塊になってつきあげると、それは右手から剣の形をとって現出した。
龍郎は無我夢中で人魚の群れを切りふせた。祭司はあわてて逃げていく。だが、衣のすそがもつれて、ぶざまに地面に倒れる。
龍郎は次々と押しよせる人魚を切り裂きながら、青蘭を抱きよせた。青蘭ではない青蘭を。
アスモデウスはいつものように、侮蔑をふくんだ目つきで龍郎をながめる。
「……邪魔しないで。愚民」
「…………」
ほんとに、これも青蘭なのだろうか?
青蘭はアスモデウスの魂が転生した姿なのだという。
だとしたら、この淫欲に狂った堕天使も、青蘭の一部なのだろうか?
「アスモデウス」
「離しなさい。愚か者。あなた、以前にも、わたしのお魚ちゃんたちを殺したでしょ? わたし、あなたのこと嫌いよ」
「…………」
龍郎は悲しい気持ちで彼女を抱きしめた。かつて天空で輝いていた智天使のなれの果てを。
深くくちづけると、ほろ苦い涙の味がした。
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