第6話 婚約指輪 その五
廊下を走っていくと、何がなんだかわからないことになっている。
霊と霊が争っているのだ。
聖哉の母親の霊と、もう一体、髪をふりみだした女の霊が、まるで人間同士のケンカのように、とっくみあっている。
すぐそばで、青蘭と聖哉が抱きあうような形で廊下に倒れている。聖哉のほうは腰をぬかしていると言ったほうが正しい。
「なんだ、これ!」
「龍郎さん!」
「なんで、霊が二体いるんだ?」
「わからない。こいつが酔っぱらって僕にキスしようとしたんだ。そしたら、急に……」
龍郎は聖哉をにらんだ。
「ほんとですかッ?」
「いや、その……」
聖哉はしどろもどろだ。
そこへ、フレデリック神父や聖哉の家族もやってきた。
女の霊が平手で殴りあう修羅場を目にして、度肝をぬかれている。さすがに、このくらい激しい霊障は一般人にも見えるらしい。
それにしても、実母ではないほうの霊は、いったい、いつ、どこから現れたのだろうか? 最初にこの家に入ったときにはいなかったはずなのだが。
なるほどと、神父がうなり声をあげる。
「これは私も勘違いしていたな。この家には霊が二体いたのか。一体は死霊。もう一体は生霊だ」
「生霊?」
そう。たしかに、そう言われれば、実母と争っている女の顔に、どこか見覚えがある。
すると、聖哉がふるえ声をあげた。
「や……八女さんだ」
「八女さん? ああ、たしか家政婦の——」
その場に家政婦はいない。
生霊は自分の名前を呼ばれたとたん、白目をむいて煙になった。おそらく、当人が
龍郎は青蘭の肩を抱きよせた。
「ケガはない?」
見れば、青蘭の指に何者かに噛みつかれたかのような痕がある。
「これ……」
「さっきの生霊に噛まれた」
「聖哉さんの婚約者の指をちぎっていたのは、あいつだったのか」
青蘭によれば、聖哉にキスされそうになって争っていると、生霊が出てきて噛みついてきたという。そして、それを見ていた実母の霊が生霊に殴りかかった。
龍郎たちは問題の家政婦を探した。家政婦は厨房のすみでふるえていた。
「八女さん。あんた、自覚があるのか?」
問いただすと泣きだす。
「すいません。すいません。夢だと思ってたんです。ほんとのことだなんて、ぜんぜん……」
わあわあ泣いて手がつけられない。
そこへ、遅れて、聖哉がやってきた。
神父の姿もある。
神父がとりなすように言った。
「八女さん。あなたは聖哉さんのことが好きなんでしょう? だから、思いつめると生霊になってしまう。結婚話が出るたびに嫉妬して、相手のお嬢さんを追い払っていた。生霊は霊的な体質というか、家系的なものがある。自分で制御できるものではない。あなたを責めても解決しない」
龍郎は聖哉のうしろに立つ実母の霊をながめた。今はもう安らかなおもてに戻っている。
「じゃあ、お母さんの霊は聖哉さんを守るために、ここにいたのか」
「いや、それだけじゃないね」と、神父は続ける。
「聖哉くん。君、ゲイなんだろ?」
聖哉は黙りこんだ。
龍郎のほうが驚いて、神父を問いつめてしまった。
「ほんとですか? でも、聖哉さんは婚約指輪を買いに行ってたんですよ?」
「親父に勧められて断れなかったんだろ? ほんとは嫌だったんだ。彼がゲイだってことは、青蘭を見る目つきだけでわかったじゃないか」
「いや、青蘭のことはノーマルの男だって、みんな、あんな目で見るので」
神父は苦笑する。
「青蘭は美しい。それは事実だがね。でも、女だと思ってるときには興味なさそうだったのに、男だと知ったとたん、手を出してきた。ふつう、逆だろ?」
「なるほど」
聖哉は頭をかかえて、ガックリとすわりこむ。
「そうだよ。だから、どうせ誰と結婚しても同じなんだ。相手は誰でもよかった。いっそ、このまま、呪い持ちってことで、一生、結婚なんてしなくてすむと思ったのに……」
このままでは、この人たちは、みんな不幸になる。あの頑固な昭和親父がLGBTだからと説明したところで納得するとは思えない。聖哉は愛のない不幸な結婚をするしかないし、きっと、八女さんは解雇されて、自分を責め続けるだろう。
龍郎は提案してみた。
「もしもなんだけど、聖哉さん。あなた、八女さんがこんな人だと知っていても、結婚できますか?」
「はっ?」
「偽装結婚すればいいんでしょ? こうして、ふだんの八女さんを見ると、良識的な女の人だし、生霊になってしまうのは嫉妬からだ。ということは、あなたと結婚して子どもでもできれば、もう霊にはならないと思う」
「いや、おれは、だから女の人と子どもなんて作れないよ」
「体外授精って方法があるじゃないですか」
「ああ、まあ」
「あなたのお父さんも今なら、家政婦さんが相手でも怒らないだろう。霊のことはてきとうにごまかしておけばいい」
聖哉は考えこんだ。
じっと八女さんをながめている。
「……それも、そうだな。このさい、それもいいかな」
龍郎は八女さんにも問いかける。
「八女さん。あなたは聖哉さんの秘密を知っても、まだ愛せますか? 今の条件でもいいと? 通常の夫婦のつながりはなくても?」
生霊になるほど好きな相手のことだ。
八女さんは、こくんとうなずいた。
聖哉の母の霊も、今度は微笑んでいる。
*
「ありがとう。おれたち、うまくやりますよ。じゃあ、これが謝礼」
前庭に停めた車のところまで見送りに出た聖哉が、そう言って封筒を渡してきた。帯のかかったままの新札が二つ束になって入っている。
龍郎は青蘭や神父と軽自動車に乗りこみ、聖哉と別れた。夜の町へとすべりだす。
「不思議な事件だったな。母親の愛、八女さんの愛。どちらも深すぎる愛情の産物だったのか」
「女って怖いね」と、助手席から青蘭は言う。が、そういう青蘭だって、なかなかのものだ。龍郎が浮気したら殺すと言っていたことがある。
「フレデリックさんが言っていた親心って、そういうことだったんですね?」
「まあ、だいたいはね。息子の性癖を母だけが知ってたんだな。息子の望まない結婚をさせようとする夫に怒っていたんだ。じっさいに婚約者に悪さをしていたのは別の霊だったが」
それから約一時間、ほとんど無言で自動車を走らせた。
「フレデリックさんは、どこでおろせばいいんですか?」
「このへんでいいよ」
龍郎たちの自宅の近くで、神父は一人、車から降りた。だが、手をふりながら、妙なことをつぶやいた。ちょっと浮かない顔つきだ。
「きっと、星流も怒るんだろうな。でも、止められない想いもある」
「なんですか?」
「さあ?」
神父は笑うばかりで答えない。
了
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