第4話 それは一大事ですね
そんなこんなで、私たちは狸さんをせっついて、覆面パトカーで容疑者宅に向かうことにしました。
『狸。今の交差点右だったぞ』
「えっ、そうでしたっけ!?」
こらこら、数秒前にカーナビさんがそう言ったでしょうに。
狸さんは慌てて回り道をするべく右に曲がりました。大丈夫でしょうか。いっそ私が運転したほうがいいのではないでしょうか。
『狸、運転かわろうか』
「バンビさんはダメ!」
後部座席に座る水無瀬が、顔を突き出して主張してきました。
うわ、びっくりした。というかシートベルトしているのでしょうかこの男。
『何故だ』
「ダメなものはダメ」
『ちゃんと免許は持っている』
「ダメったらダメー!」
かたくなな水無瀬に説得される形で、私は助手席に背を預けました。
何故こんなに反対されるのでしょう。師匠がテンション爆上げする私の華麗なるドライビングテクニックを披露したかったのに、残念です。
約十分後、私たちは赤田十夜の自宅へとたどり着きました。ふむ。高級住宅街ですね。見渡す限り、お屋敷が立ち並んでいます。
狸さんはギアをPに入れると、スマホをぺちぺちと操作して、他の刑事と連絡を取りました。
「詳しい捜査資料はこの後、他の刑事が持ってきてくれるようです」
『……どうして最初から持ってこなかったんだ』
「え? 上司がお二人にはそういうものは必要ないと……」
『馬鹿か? 流石に事件の概要は分からないと、水無瀬の使いどころも分からないだろう』
「パ、パペットやめてください」
情けない表情の狸さんにパペットで噛みつきます。その時、後部座席から伸びてきた手がぺちっと私の頬を挟んできました。
ウ、ウギャーーーーッ! 誰! 手が! 何ですか!?
咄嗟に振り向きます。そこには案の定へらへら笑う水無瀬の顔がありました。は、腹が立つ!
『水無瀬ェ!』
「ねえねえ何の話? その話って面白い?」
私はパペットをしていない左手で、水無瀬の手首を捕まえました。温かい子供体温です。
「仲間外れにしないでよー。僕もバンビさんと遊びたい!」
『うるさい! 邪魔だから小説読んでろ!』
「ぎゃ!」
にゅっと出てきた水無瀬の顔に、パペットをはめた右手で裏拳を入れます。パペット越しなので威力は低かったはずですが、水無瀬は変な声を上げて後部座席に引っ込んでいきました。ひ弱……。
『で、対象はどこだ』
「はい。……あっ!」
変な声を上げた狸さんの視線を追うと、車を停めてある向かい側の家から、一人の男性が出てきたところでした。髭を綺麗に整えた色男です。
「彼が赤田十夜。年齢は四十一歳、妻と二人の子供と暮らしています」
声を潜めて狸さんは言います。
へぇ、あれが。清潔で品もあって、あれは若いころは非常にモテた外見ですねえ。いえ、四十代の今でもとてもモテることでしょう。二児の父親なので、モテたところで、というものではありますが。
ガチャッ、バタン。
背後から聞こえてきた音に、後部座席を振り返ります。水無瀬の姿は……ありません。奴はニコニコ笑いながら車の外に出て、赤田十夜へと近寄ろうとしていました。
み、水無瀬ーーッ! 馬鹿! なんで今出た!?
私は慌てて助手席から降り、水無瀬を引き戻そうとしました。しかし、バカみたいに足が長い彼に、ちんちくりんな私がすぐに追いつけるはずがありません。
「こんにちは! あなたって赤田十夜さん?」
ギャーッ! お、お前何して!?
へらへら笑いながら水無瀬は十夜さんに声をかけていました。
馬鹿! 本当に馬鹿! なんでお前はタイミング最悪の時にタイミングよく地雷を踏みに行くんですか。リズムゲームじゃないんですよ! エクセレント!
「そうですよ。君は?」
「サインください!」
水無瀬はブックカバーのついた文庫本を十夜さんに差し出しました。ようやく追いついた私は、水無瀬の腕をつかんで引きずり戻そうとします。くっ、重い! 水無瀬のくせに!
十夜さんは面食らったようですが、すぐにそれを受け取ってくれました。そして、胸元からくるくるっとサインペンを取り出すと、なめらかな手つきで文庫本にサインをしていきます。
うおっ、売れっ子小説家ってやつは、いつサインをねだられてもいいように、あんなふうにペンを持ち歩いてるんですかね? いや、普通に自意識過剰なだけ?
『なんで来たんだ! 馬鹿!』
小声で尋ねると、水無瀬はきょとんとした顔になりました。
「だって作家に会ったときはサインをねだるものなんでしょ?」
『どこで得たんだその認識』
「漫画!」
『本当に馬鹿!!』
「はい、サインできたよ」
「ありがとう、おじさん!」
満面の笑みで水無瀬は答えます。私は彼の手をぐいっと引っ張りました。
とりあえず通りすがりの一ファンとしてこの場を離れられそうです。さっさと水無瀬を覆面パトカーに引き戻して――
「ところで僕警察なんだけどー」
み、み、水無瀬ーーーーーーッ!?
「え? 警察が私に何か用ですか? 私は悪いことなんて何も」
「小説のことだってさ! 十夜さんってもしかして……」
パペットパンチ!
「ふぎゅぅ!」
思いっきり突き込んだ拳に、水無瀬は悶絶してうずくまりました。私はぜえぜえと肩で息をして、それから十夜さんをうかがいます。案の定、怪訝な目を私たちに向けています。
まずいです。最初から警戒されるなんて最悪です。なんとかごまかさなければ。
「す、すみません。ちょっと、虚言癖が、ある兄で」
パペット越しではない言葉で、あわあわと伝えます。本当は嫌ですが、パペットを使うと喧嘩を売っている雰囲気になってしまいますから、これはケースバイケースというやつです。ぐっ、パペットを使いたい……!
十夜さんはそんな私のことをじろじろと見下ろしてきました。目が泳ぎます。冷や汗が噴き出します。
もうやだ! 帰りたい! 助けてパペット! 足元にいる水無瀬は頼りになりません! 誰かーーっ!
「……そっか。大変だね、お嬢ちゃん」
そう言うと、十夜さんは私の頭に手を置いてよしよしと撫でてきました。
ヤ、ヤメローッ! 私に触らないで! 気軽に触れるほど安い女じゃなくってよ! いや、何言ってるんですか私!?
「じゃあ気を付けて帰るんだよ、ばいばい」
十夜さんは穏やかに笑いながら、そのまま歩き去っていきました。
はぁ。とりあえず危機は脱しました。私はまだうずくまっている水無瀬を見下ろします。パペットパンチの当たり所でも悪かったのでしょうか。
水無瀬はがばっと顔を上げて、アスファルトの地面を指さしました。
「見て、バンビさん! 蟻!」
……どうやら蟻の観察をしていたようです。私はパペットを振り上げると、水無瀬の後頭部を思いっきりはたきました。
パペットビンタ!
「うぎゅ!」
水無瀬を引きずって車まで戻ると、そこにはもう一台の覆面パトカーが止まっていました。車の横に見覚えのある捜査一課の刑事さんが立っているので間違いありません。
たしか名前は、両崎さんでしたか。
両崎さんは私を視界に入れると、うわっとでも言いたそうに顔を思い切りしかめました。
心外な。そんな顔しなくてもいいじゃないですか。パペットで攻撃しますよ。
「ほい、捜査資料だ」
両崎さんは狸さんに分厚い茶封筒を軽く投げ渡しました。後輩の前だからどことなくベテランの風格を醸し出していますね。なんだかイラっとします。
「ありがとうございます。……ん? どうしました?」
「いや、水無瀬担当になるなんてご愁傷様……」
ああ、これは本気で哀れんでいますね。でも分かっていますか、両崎さん。今後あなたが水無瀬担当になる可能性もあるんですよ?
「じゃあな。巻き込まれたくないから俺は戻るよ」
「えっ」
間抜けな声を上げる狸さんを置き去りにして、両崎さんはさっさと帰っていってしまいました。
捜査協力より巻き込まれたくない気持ちのほうが勝ったのでしょう。刑事としてそれはどうなんですか? いや、気持ちは大いに分かりますが。
私は水無瀬を後部座席に押し込むと、助手席で狸さんに手を差し出しました。
『資料を見せろ』
「あ、はい。どうぞ」
手渡された封筒の中身をバサッと取り出し、大雑把に目を通していきます。
一枚目。赤田十夜。ベストセラー作家。デビュー作の『遠くの家々』がヒットし、一躍有名小説家に。受賞以前にはほとんど小説を書いたことがなかったという。
二枚目。赤田利美。十夜の妻。二十九歳の時に十夜と結婚し、現在は二児の母。専業主婦であり、ご近所付き合いもいい。
三枚目。赤田徹、九歳。赤田敏、四歳。十夜と利美の二人の息子。……これは関係ありませんね。
これまでの調べでは夫妻ともに、警察関係者との接触は確認できず。しかし、機密事項が小説に使われているのは事実。
ふむ。疑惑が本当であれば、相当慎重な動きをしていることになりますね。
その時、覆面パトカーの横を一人の男性が通り過ぎ、赤田宅の中へと消えていきました。
『彼は?』
「ああ。赤田十夜の友人ですね。名前は河野智彦。近所に住んでいるようで、たまに十夜の自宅を訪れています。どうやら彼と昔馴染みのようです」
『ふうん』
一応後で探りを入れるリストに入れておきましょうか。オーバーオールのポケットに入れてあった手帳とペンを取り出し、メモを取ります。
「ねえ。あの人、関係者?」
後部座席から水無瀬の声が聞こえてきました。どことなく含みのある聞き方です。
『お前はどう思うんだ』
「んー……」
後ろを向くと、水無瀬は体ごと傾いて悩んでいるようでした。そして、パッと表情を変えると、ドアに手を掛けました。
「じゃあ僕、話聞いてく」
『飴やるから待て!』
「わーい!」
あ、危なかった……。また同じことを繰り返されたら、こちらの胃がもちません。水無瀬を放牧するのなら、もう少し後。言い逃れができないタイミングがベストなのですから。
『出直すぞ、狸。容疑者全員が集まる口実を作って、そこに水無瀬を放り込む』
「はあ」
『事件を『終わらせる』のならそれが一番だろう?』
私はパペットを傾けてみせます。狸さんはやはり、釈然としない顔をしていました。
*
翌日、朝っぱらから私のスマホはピンピロンと鳴り響きました。
何ですかこんな朝早くに。こちとら優雅なブレックファーストタイムですよ? 卵かけごはんが冷めてしまうではないですか。
むすっとしながら通話ボタンを押します。
「もしもし、小鹿ですが」
電話越しではパペットなしなので、外弁慶は発動しません。丁寧な口調で、しかし不機嫌なのを隠さずに尋ねると、スピーカーからは焦った様子の狸さんの声が響いてきました。
「たっ、大変です小鹿さん!」
「何が大変なんですか」
テーブルの上の醤油さしを手に取り、ご飯の上にぐるりとかけます。ふふ、料理の類は得意ではありませんが、卵かけご飯だけはこだわりの味が出せるのです私は。
「赤田十夜の友人、河野智彦が自宅で亡くなったんです!」
なんですって? それは一大事ですね。
私は卵かけご飯を一口頬張りました。
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