第14話 いちごミルフィーユクリーム

 ここ数日、水無瀬が楽しそうです。感情の機微が分からない、何もかもが嘘くさい彼が、こんなに露骨に楽しそうにしているのは本当に珍しいことです。


 それこそ私と遊びたがる時ぐらいじゃないでしょうか、こんな顔をするのは。


「ふんふんふーん」


 三階の事務所の窓から外を見下ろしながら、水無瀬は鼻歌を歌っています。いえ正確には、『絵に描いたようなまるでアニメにあるようなありきたりな鼻歌』を歌っています。


 訂正します。水無瀬のこの態度は多分、『楽しい』という感情の時にすべき行動を模倣しているだけでしょう。アニメやドラマで学習したのです、きっと。


 ですが、楽しむことができているかどうかはともかく、水無瀬がこの状況を楽しもうとしているのは事実。そして、その元凶もはっきりしています。


『何故楽しそうなんだ』


 パペットをぱくぱく動かして水無瀬の後ろ姿に尋ねると、彼は振り向きながら目を細めました。


「だって、遊びは楽しんでするものでしょ?」


 ――遊び。遊びねぇ。


 水無瀬が言う遊び相手は分かっています。


 頂上葉佩。どうやら警察がマークしているらしい謎の人物。


 二人の過去に何があったのかは分かりませんが、善良に見えるあの男は、間違いなく危険な人物なのでしょう。六条さんの言動からそれぐらいは察せられます。


「じゃあそろそろ行こっか」

『は?』


 口をぽかんと開ける私の腕を水無瀬は取って歩きはじめました。


「どうせだからバンビさんも一緒に遊ぼうよ。きっと楽しいよ」


 ウゲェと私は顔をしかめました。


 巻き込まれたくないという思いが強いです。というかそれしかありません。ですが、いくら私が拒もうとも、この男は『すると決めたことはする』のです。


 うぐぐ。諦めるしかないでしょう。こうなったらせいぜい自分にふりかかる被害が少なくなることを祈るしかありません。


『で、どこに行くんだ』

「これから通り魔事件が起こる場所だよ」


 うわー! 想定しうる限りの最悪の場所じゃないですか! やっぱりひばな、おうち帰るー!


 引きずろうとしてくる水無瀬から逃れようとじたばたしていた私でしたが、愛用しているねこさんポーチから、ピロンと軽快な音が聞こえてきたことに気づいて動きを止めました。


『待て、水無瀬。メールを見させろ』


 水無瀬は素直に私を解放しました。私はスマホを取り出して、届いていたメッセージを開きます。



『小鹿ちゃん。水無瀬くんを頼みます。彼を悪魔にしないように見張ってください。 六条』



 は?


 六条さんからのメッセージでした。何ですか「悪魔」って。何ですか「頼みます」って。


 私は傍らの水無瀬の顔を見上げました。嘘くさい笑顔のまま、明後日の方向を向いています。いつも通りです。ですが一瞬。ほんの一瞬だけ、その横顔に――あの無表情な彼の表情が重なった気がしました。


 ぞくりと背筋に寒いものが走る思いがしました。


 悪魔。


 それがあの顔の水無瀬だとするならば、私は何をすべきなのでしょう。


 繋がったままの手の感触が、パペット越しに伝わってきます。


 私は……水無瀬にああなってほしくありません。見たことがないあんな表情をしてほしくはありません。


 はたと私は気づきます。不本意ながら直感します。


 どうやら、それこそ彼の認識と同じなのですが、私にとって彼はずっと『親戚の優しいお兄さん』であってほしいようです。あの頃から変わらない、ちょっと変で、楽しく遊んでくれるお兄さん。


 私はうつむいて考え込んだ後、掴まれたままのパペットをひっぱって歩きはじめました。


『行くぞ』

「わーい、一緒に行こ!」


 はしゃいでついてくる水無瀬を思いながら、私は大きくため息をつきました。





 水無瀬がやってきたのは、都心部近くの繁華街でした。休日のお昼過ぎだけあって、若者たちが楽しそうに行き来しています。


 あそこにあるのはクレープでしょうか。あっちにあるのはもしやタピオカってやつですか?


 普段こういう場所に来ない私は、内心ちょっとウキウキしながら街を歩いていました。水無瀬もいつも通りにニコニコしながら歩いています。


「兄妹かな?」

「かわいいー」

「デートしてもらってるんだ」


 ひそひそと通りすがりの女子大生の声が聞こえてきました。うぐぐ、やっぱりそう見えますか。不本意です。こちらはすでに成人済みなのですが。


『デートに見えるそうだぞ、水無瀬』

「デート! だったらもっとおしゃれしたほうがよかったなあ。ほら、あの服とか僕似合いそうじゃない?」


 水無瀬が指さした先には、いかにもおしゃれさんが着そうな服を着たマネキンが立っていました。


 私はその服を脳内で水無瀬に着せてみて――普通に似合ってしまうことに気づいて顔をしかめました。


 くっ、水無瀬のくせに!


 そのことについて文句を言おうとした時、ぴくりと耳が動く感覚がしました。


 むむ、臆病者センサーがびびっと来ました。


 さりげなく周囲を見回すこと一回。交差点で待ち合わせをしている男、休憩しているサラリーマン、タピオカ屋近くで立っている女性。


 彼らの耳元には小さなインカムがついていました。


 張り込み中の刑事ですね。どうやらここで事件が起きると水無瀬が言っているのは本当のようです。


 あとはいつ起こるかですが……。


「バンビさん、クレープ買ってあげるね。何味がいい?」


 ちょっと! 通り魔が来るから行こうって言ったのはお前でしょうが!


 手渡されたメニューに私は目を落とします。


 ええ……じゃあ食べておきますか。ただ突っ立っているよりもクレープを食べていたほうが不自然ではありませんし。


『いちごミルフィーユクリームがいい』

「おお。おませさんだね。僕はたまごサラダがいいな」


 え? クレープとは……?


 しょっぱいクレープというやつを知らなかった私は見る見るうちに作られていくクレープを呆然と見つめていました。


 本当にしょっぱい具をクレープに入れている……。


 水無瀬はお金を払って二人分のクレープを受け取りました。そして私の視線に気が付くと、自分のたまごサラダクレープを差し出してきました。


「一口食べてみる?」


 こくりとうなずきます。いえ、こんなことをしている場合ではないのは分かっているのですが、これは純然たる興味というやつで!


 目の前のクレープにぱくりと噛みつきます。


 あ、これはこれで美味しい。


 水無瀬はにこりと笑うと、私の分のクレープをこちらに手渡そうとしてきました。


 衣を裂くような女性の悲鳴が往来に響き渡ったのはその時でした。


 通り魔です。本当に現れました。


 控えていた捜査員たちが一斉に動きはじめます。直後、悲鳴がした方向から一人の男が私たちの方向へと走ってきました。その手には大きな刃のナイフが。


 あれ? もしかして私たち、ピンチ?


 固まる私の横で、水無瀬は動いていました。


「そりゃっ!」


 軽い掛け声とともにソレは投擲されます。ソレはぴゅーんと綺麗な軌跡を描いて飛んでいき、通り魔の顔面に直撃しました。


 い、いちごミルフィーユクリームクレープーッ!


 クレープで視界を一瞬奪われた通り魔は立ち止まります。その途端、押し寄せた捜査員によって彼は地面に押さえ込まれました。


「ふふん、犯人確保ってね」


 自分の分のクレープを食べながら水無瀬はドヤ顔をします。


 た、助けられたのは確かなのに腹が立つぅ……。





「やっほー、刑事諸君」


 うわ、水無瀬だ。


 その場にいた全員がそう思ったことでしょう。顔にありありと出ています。


 ここは警視庁捜査課。俗にいうところの刑事が所属している場所です。水無瀬はそんな場所にずかずかと入り込んでは備え付けの夜食用冷蔵庫を覗いたりしています。


「小腹が空いたんだよねえ、ちょうどいいものはっと」


 お前、それ他の人の夜食だからな。


 刑事の皆さんたちは目くばせをしあって、水無瀬に対応する役目を押し付けあっているようでした。


 分かる。分かりますよ。関わり合いにならないに越したことはないですからね、この男は。


「あの、水無瀬さん」


 栄えある生贄に選ばれたのは狸さんでした。先輩面した両崎さんに押される形です。まあ、最近の水無瀬担当は彼ですから、仕方ないですよね。


「何をしにこちらに……?」


 よくよく考えれば変な質問です。こんななりをしていますが、一応こいつは刑事なのですから。


「んー、ちょっと鳥ちゃんに呼ばれてさあ」

「はあ」

「あ、このブラウニー美味しそう」


 私は水無瀬を挟む形で勢いよく冷蔵庫のドアを閉めようとしました。


「いったぁ!」


 頭をぶつけた水無瀬はその場所を押さえて悶絶します。そんな水無瀬から私はブラウニーを奪い取って冷蔵庫の中に戻しました。


 一応ここ警察ですよ? 窃盗してどうするんですか。


「やあ、来てくれたんだね。水無瀬くんたち」


 朗らかに笑みながら六条さんが部屋にやってきました。遅いですよ。水無瀬の暴走はすでに始まってますって。


「はい、まずはこれ読んで」

「んー?」


 水無瀬はそれを受け取ると、その辺にあったデスクに腰かけました。椅子ではなく、机に。刑事さんのうちの一人の顔がゆがみます。「そこ、俺の席!」って顔です。


 手渡されたのは捜査資料のようでした。添付されている写真を見る限りでは、どうやらこの前の犯人の素性を洗ったもののようです。


「君には彼の事情聴取を手伝ってほしい」

「じじょーちょーしゅ」

「犯人とお話をすることだよ」

「うん、知ってる」


 資料から顔を上げないまま水無瀬は言います。私はそんな彼の表情を見たくなくて、遠くを見ていました。


「うん、大体分かった!」


 ぽいっと資料を放ると、水無瀬は立ち上がりました。六条さんはうんうんと満足そうにうなずくと、私たちを別の場所へと連れていきました。





 六条さんが私たちを案内したのはドアが二つ隣り合った小部屋でした。おお、これがドラマとかで言う取調室ってやつですか。


 水無瀬にならって片方に入ろうとした私を六条さんは引き留めます。


「君はこっちだよ、小鹿ちゃん」


 もう片方を指さされました。あ、なるほど。こっちは取調室を監視するあれですね?


「水無瀬くんが暴走しそうになったら、こっちに呼ぶからね。パンチの練習でもしておくといい」


 いや、呼ばれた時点で分かってはいましたが、私の役目ってこんなのでいいのでしょうか……。


 促されるままに部屋の中に入りました。


 取調室側の高い位置に窓があります。あそこから隣の取調室を覗くのでしょう。私は少し考え込んで、内心キレました。


 ちょっと! 見えないんですが!?


 ぴょんぴょんと必死に中を覗こうとする私を見るに見かねたのか、刑事さんのうちの一人が踏み台になる椅子を持ってきてくれました。


『ありがとう』


 パペットをぱくぱくと動かしてお礼を言うと、刑事さんはあいまいに笑いました。


 なんですか。ちびっこみたいな私がここにいるのがそんなにおかしいんですか。それともパペットのことを笑っているんですか。パンチしますよ?


「よいしょっと」


 取調室にずかずかと入ってきた水無瀬は、犯人の向かいの席に腰かけて身を乗り出しました。


「こんにちは、犯人さん!」


 その勢いに犯人はちょっと気圧されたようでした。分かります。その男を初めて前にすると、人間、一回はドン引きするんです。それだけ水無瀬のまとう雰囲気が人間離れしているということなのですが。


「ちょっとだけお話ししたいんだ。いいかな?」

「……断る。話すことなど何もない」

「そっか、じゃあお話ししよう」


 話が通じない! 人の話を聞いていませんね!?


 水無瀬はパイプ椅子に座りなおすと、机の上で指を組みました。


「僕は水無瀬片時」


 びくりと犯人の肩が震えます。顔を上げ、目を見開いて水無瀬を見ます。水無瀬は貼りついた笑みのまま、にこっと目を細めました。


「あ。やっぱり知ってるんだ。そうだよねえ、彼って絶対に解けない問題は出さないし。本当は解いてもらいたいのかな」


 犯人はわなわなと震えると、椅子を揺らして暴れはじめました。何か意味不明なことを喚き散らしているようです。控えていた他の刑事さんが犯人を押さえこみます。


 ですが、動きを封じられているというのに、犯人は抵抗をやめるつもりはないようです。


 水無瀬はそんな彼を微動だにせず見た後、冷静な声で言いました。


「死ぬのは駄目だよ」


 ぴたりと犯人の動きが止まります。犯人と水無瀬の目が合います。


「自殺はいけないことだ。怖いし痛いよ。多分ね」


 ゆっくりと彼がそう言うのを聞いて、犯人はへなへなと椅子に脱力しました。


 ガワだけを見ているならば、まるで魔法を使っているかのようです。実際は、奴のあまりの非人間さに打ちのめされているというのが正しいのですが。


 人間、よく分からないものを前にすると、うまく思考ができなくなるものです。


「それで、君たちは何を思ってるの?」


 端的すぎる質問です。水無瀬、もうちょっとわかりやすく聞いてあげなさい。


 答えにつまっている犯人に何かを思ったのか、水無瀬は困り眉になりました。


「僕、そういうのよく分からないから推測でしかないんだけど……もしかして、怖がってる?」


 犯人が再び震えだしました。目は泳ぎ、息も荒くなって、見るからに怯えているようです。


「ねえ、どうなの? 怖いの? 怖くないの?」


 水無瀬ェ! どう見ても怖がってるでしょうが! 他人の観察をちゃんとしなさい! あっ、無理か!


 机にぺたんとうつぶせになって、水無瀬は犯人の顔を下から覗き込みます。可哀想に。ちょうど水無瀬の目を至近距離で直視してしまう位置です。


「ねえ怖い?」

「ヒッ……」

「ねえったら。ねえねえー」

「こっ、怖いです! 怖いですからぁ!」


 水無瀬は満足げに椅子に座りなおしました。今の『怖い』は何かに怯えているという意味でもありますが、水無瀬が怖いという意味でもあるでしょう。まったく、これだから水無瀬は。


「怖いのなら警察を頼ればいいよ。こっかけんりょく? は強いからね」


 よく分からないまま言葉を使っていますね、この男。


「強いってことは味方にすると頼もしいらしいよ。アニメで言ってた!」


 ガッツポーズをしながら、水無瀬は言います。犯人は震えたまま、水無瀬の顔を見ました。


「大丈夫大丈夫。ここにいるみんなは、君の味方だから!」


 胸を張って堂々と水無瀬は言います。多分、犯人には彼の後ろに後光がさして見えたことでしょう。水無瀬と正面から長く話していると、大抵の人間は自分のことが信じられなくなって情緒がぐだぐだになるのです。


 犯人は全身の力を抜いてうなだれました。


 ああ、あれは落ちましたね。とはいっても水無瀬のペースに会話を持っていかれた時点で、彼に勝ち目はなかったわけですが。

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