第13話 紙鉄砲

 10月20日の朝刊に、通り魔事件はでかでかと載りました。まあ、まず間違いなく愉快犯か狂人の仕業ですし、犯人が捕まっていない以上、近隣住民は不安でしょう。


 生活圏にかぶっていないので別にどうでもいいですが。


「バンビさん、新聞面白い?」


 今日も今日とて水無瀬は事務所に居座っています。本当にここ以外に行く場所がないんですね。だったら家にいればいいのに。


『大して面白くはないな』


 新聞をばさりと畳み、机の上に置きます。一面に載っている通り魔事件の文字と目が合いました。


「面白くないならもらっていい?」

『は?』


 許可を取る暇も与えず、水無瀬は所長机から新聞を奪っていきました。そのまま来客用の机に戻ると、新聞紙を丹念に折り始めます。


 どうでもいい、とは思ったものの、どうにも引っかかる部分があります。嫌な予感、と言い換えてもいいかもしれません。


 水無瀬の友人だというあの男。そして彼から手渡された数字が書かれた紙切れ。1019。偶然の符合でしょうか。それともまさか。


 パァン!!


「ひひゃぁ!?」


 突然響いた破裂音に、思わずパペットなしで叫んでしまいました。なな、何事ですか。敵襲か? 敵襲なんですか?


 音がしたほうをバッと見ると、そこには新聞紙で作った紙鉄砲を振り抜いた水無瀬がいました。


 何してやがるんですか水無瀬ェ!


 不機嫌を隠さずにらみつけてやりますが、水無瀬はにこにこと笑うばかりです。


 こいつ……何度かパペットパンチを食らう覚悟はあるんでしょうね。私がゆらりと立ち上がったその時、パーテーションの向こう側のドアが勢いよく開いた音がしました。


「お邪魔するよ。いいよー。ありがとう」


 ウワッ! この名乗りは!


「やあ、水無瀬くん、小鹿ちゃん」


 いつも通り上品な中折れ帽をかぶった六条子羽は、呼んでもないし、許可してもいないのに、すたすたと来客スペースにやってきて所長用のソファに座りました。


 そこ私の席……いえ、もう言っても無駄でしょう。


「まあ座りなさい。ちょっと緊急の用なんだ」


 嫌だなあ。関わりたくないなあ。


 全力で顔をゆがめて内心を表明しますが、六条さんの表情は変わりません。無駄のようです。


 こうなれば手早く用件を済ませて、さっさと帰ってもらうのが得策でしょう。でも毎回そう思って、毎回巻き込まれているような気がします。悲しい。な、泣いてなんていないんだからね!


『何の用だ』


 お客様用のソファに腰掛けて六条さんと向かい合います。ちなみに水無瀬は立ったまま、自分が折った新聞をまじまじと見ていました。何やってんだこいつ。


「昨日起きた通り魔事件は把握しているかな?」

『……新聞とニュースで見た限りでは』


 往来の激しい駅前で、何者かが複数人を切りつけ、逃亡した事件。犯人はいまだに捕まっていない。死人も出ている。


「本当は君たちに関わってほしくない案件だったんだが、そうも言っていられない状況でね」


 どういうことでしょう。六条さんがこんなことを言うなんて初めてです。いつもは勝手にやってきて、勝手に事件を押しつけて帰っていくだけなのですが。


「正確には水無瀬くんには関わってほしくなかったんだが」


 私は眉をひそめます。ますます事情が分かりません。水無瀬に関わってほしくない? なのに案件を持ち込みに来た?


 私の怪訝な視線に気づいてくれたのか、六条さんはカバンから何枚か資料を出してきました。都内の地図です。いくつかの場所にバツがつけてあります。


「まだ確定しているわけではないのだけど、この事件はすでに連続している、と我々は見ている」


 他にも類似する事件が起きていると? つまり今回はその事件が凶悪化したものだということでしょうか。


「そこで君だ」


 六条さんは水無瀬を見ました。水無瀬はまだ紙鉄砲の新聞に視線を落とし続けています。あ、折っていた部分は少し戻していますね。何か読んでいるのでしょうか。


「水無瀬くん」

「ん?」

「最近、頂上葉佩について何か情報を得ていないかな?」


 私は目を見開きました。六条さんは険しい表情です。水無瀬は新聞に向けた視線を持ち上げてポケットの中をあさりました。


「これもらったぐらいだよ、鳥ちゃん」 


 以前にも増してぐしゃぐしゃになった紙切れを、水無瀬は手渡します。六条さんは目を細めました。


「……やっぱりか」


 きっと数字と日付の符号に気づいたのでしょう。


 ですがどうして頂上というあの男が水無瀬に接触したと気づいたのでしょう。


 六条さんは私の視線に気づいたらしく、曖昧に笑いました。


「いや、この歳になってようやく奴のにおいを少しは感じられるようになってね。だからこそ、水無瀬くんには関わってほしくなかったんだが」


 君を彼に近づけたくないんだよ。


 小さく六条さんは呟きます。含みのある言い方ですね。水無瀬と頂上さんの間に何かあったのでしょう。そして、それには六条さんも関わっている、と。


「見てくれ」


 六条さんは広げた資料を水無瀬に示しました。


「これが今まで事件が起きた場所だ。今回のを含めて合計、五件。最初は死人が出ず、軽傷者が出ただけだった。だが事件は続き、人通りのない場所だった犯行は、どんどん人通りが多い場所に移りつつある」


 資料の上を六条さんの指が滑っていきます。


「そして、犯人の尻尾も未だにつかめていない。どの防犯カメラにも、共通した人物は映っていなかった」


 六条さんはため息をつきました。捜査が手詰まりなのでしょう。いつもは決して見せない疲れの色がにじみ出ていました。


「水無瀬くん」


 六条さんはまっすぐに水無瀬を見つめました。


「直感でいい。君はこの事件をどう見る?」


 水無瀬は資料から顔を上げませんでした。


 沈黙です。何を考えているのでしょう。


 その表情を下から覗き込んで、私は小さく悲鳴を上げそうになりました。


 水無瀬が、あの水無瀬から、笑顔が消えている。いつも張り付いているあの笑顔がなくなっている。


「他に資料ある?」

「あるとも」


 要求されるまま六条さんは資料の束を机に広げました。水無瀬はそれを何度かめくります。私は内側からわき出てくる震えを抑えるので精一杯でした。


 これは誰ですか。私は今まで水無瀬の何を見てきたというんですか。


「犯人は何人かいるね」


 ぽつりと水無瀬は言います。


「多分五人だ。全部違う人がやってるよ」


 資料から目は上げません。六条さんは水無瀬をじっと見ながら問いました。


「……何故そう思う」

「傷の位置」


 端的に水無瀬は答えました。


「全部同じ位置に見せようとしてるけど、ここまで一致するのはおかしいよ。わざとだ。それに防犯カメラに同じ人が映っていなかったんでしょ? だったら別の人がやってるって考えるのが自然じゃない?」


 六条さんは片眉を跳ね上げました。


「君はこれが組織犯罪だと?」

「うん、それは間違いないね。なんとなくだけど」


 そう言うと、水無瀬は資料から離れていきました。同時に、彼の顔に笑みが戻ってきます。いつもの腹立たしい水無瀬の顔です。だけど私は安堵していました。


 よかった。水無瀬がおかしくなったわけではなかったようです。


「次はどこで事件が起こる」


 六条さんは相変わらず険しい顔つきで水無瀬を見ます。水無瀬は鼻歌でも歌い出しそうな表情で地図のある位置でぐるりと丸を描きました。


「んーこのあたりかな」


 適当な表情です。話し方も適当です。


「できるだけ人がいる場所を選ぶと思うよ。この犯人たち、何か伝えたいことがあるみたいだし」


 そうなのですか? 六条さんに目をやりますが、彼も理解できていない目をしていました。


「何故そう思う」

「え? じゃないとここまで周到に逃げたりしないでしょ? 逃げ延びて何かやりたいことがあるんだよ、彼ら」


 六条さんはじっと水無瀬を見た後、資料を手早くまとめました。


「ありがとう。また来るよ」

「うん。じゃあねー」


 そのまま六条さんはパーテーションの向こう側に消えていき、ぱたんと音を立ててドアが閉まります。


 私は水無瀬の様子を伺いました。ですが彼はもうすっかりいつもの調子で、再び新聞紙を折り始めていました。


 私は呆然とそれを見ていましたが、数十秒後、やっとのことで問いをひねりだしました。


『水無瀬。……どうして今回はやる気なんだ』


 彼は振り向きませんでした。


「んーそうだなー」


 水無瀬はそのまま新聞紙を折り折りしていき、再び紙鉄砲を作ってから貼り付いたようないつもの笑顔で言いました。


「彼が遊びたそうにしてるからかな」

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