頂上葉佩は人間である

第12話 頂上葉佩

「あれ? 久しぶりだねてっぺんくん」


 水無瀬はにこにこと笑いながら親し気に彼に話しかけました。知り合いでしょうか。こいつにこんな真人間そうな知り合いがいるとは思えませんが。


『水無瀬、彼は……』


 私が尋ねかけると、水無瀬は「ああ」と言った後に、彼を指でさして紹介しました。


「てっぺんくん。僕の大学の時の友達だよ」

「お前友達いたのか!?」


 思わずパペットを動かすことも忘れて叫んでしまいました。


頂上葉佩ちょうじょうはばきです。どうぞよろしく」


 そう名乗った男性は私に微笑みました。


 嘘でしょう。この人の心が分からない人でなしと友好関係を結べる人がいるなんて。私は臆病者センサーを彼に向けてみます。……反応しません。どうやら彼はまともな人間のようです。


 え。どうして? 善人過ぎて水無瀬の奇行が気にならないとか? どれだけ仏なのですか?


 私の混乱をよそに、彼らは談笑を始めました。


「どれだけぶりかな、てっぺんくん。大学ぶりだからもう六、七年ぐらい?」


 えっ、水無瀬お前もうそんな年齢だったの?

 大学ぶりってことは28歳とか? 嘘でしょう?

 28歳が駄々こねて、悪戯して、コンビニチキンを残すとか恥ずかしくないんですか?


「もうそんなに経つのか、この歳になると時間が過ぎるの早いよね」

「むー、僕たちまだ若者でしょ? 僕はまだティーンズの心を捨ててないからね!」

「それは何よりだけど……君、ちゃんと大人として生活を送れてる? ごはんは残してない? ちゃんと髪乾かしてる? カトラリーはちゃんと使えてる?」


 ん? もしかしてこの方――世話焼き気質なのでしょうか。それなら水無瀬の友人をやっているのも納得できます。本当に一人で生きるということに向いていないのです、この馬鹿水無瀬は。


 世話焼きな方としては世話の焼き甲斐があるでしょうね。いえ、本当に。


 頂上さんは水無瀬と一歩距離を置いたまま、仕方なさそうに眉を下げました。


「あのね、どんな時でもやっぱり協調性は大事なんだからね。水無瀬くんにはちょっと難しいかもだけど……」

「できてるもん! 昨日だって一回しか箸落としてない!」

「はぁ。水無瀬くんは変わらないなあ。あ、ところで水無瀬くん」


 頂上さんはそこで一度言葉を切りました。そして、ただ普通のことを言うかのようにその言葉を発したのです。


「どうして僕が生かした人間を殺したの?」


 ……は?


「あ。やっぱりてっぺんくんの仕業だったんだね」


 ……え?


 何のことでしょう。いえ、何のことかは理解できてしまっているのです。


 ただ、それは彼の口から出ていい言葉ではありません。彼はこんなに善人みたいで、実際ついさっきも子供を助けていて、どこから見てもそんなことをするような人間ではないというのに。


「だって彼ら幸せだったじゃないか。神様の少年も、父親も、神様を信じている人も、復讐を遂げた人も、みんな幸せだったのに」


 笑みをたたえたまま頂上さんはそう言います。彼は小首をかしげました。


「ねえ、どうして?」


 吹き抜ける風が、彼の長めの前髪をふわりと持ち上げます。前髪に少しだけ隠されていた目元が、わずかに細められています。


 彼の言葉は決して責めるような響きではありませんでした。ただ、事実を確認したいがための、そんな自然な言葉です。


 なのにどうしてこんなことを尋ねるのでしょう。これはつい昨日起こったことで、まだ世間に公表されていない事件をさも見てきたかのように語るのでしょう。


 そう、まるで――彼が事件の首謀者であるかのように。


「――なんてね?」


 首を元の位置に戻し、頂上さんはさわやかに微笑みました。冗談だったのでしょうか。そう思いたい気持ちでいっぱいです。だってこんなの、このお人よしそうな好青年が口にしてはいけない内容でしょう。


「はい、これ」


 頂上さんは水無瀬に歩み寄ると、何かを彼の手に握り込ませました。一枚の紙きれのようです。


「きっと君も楽しんでくれると思うよ」


 口元だけで笑い、頂上さんは水無瀬から離れていきます。水無瀬は渡されたそれをきょとんとした顔で見て、何度も裏返しては紙きれを眺めていました。


「それじゃあね、水無瀬くん。また会おう!」


 最後まで穏やかな善人の顔をしたまま、頂上さんは去っていきました。私は混乱した頭で、彼を見送ることしかできませんでした。





 約束通り、六条子羽は水無瀬にスターターデッキを買ってあげていました。そして、案の定デュエル相手は私しかいないのです。ここは付き合ってあげるしかありません。


「僕のターン、ドロー!」


 恰好つけながら水無瀬はデッキからカードを引きます。盤面はぐちゃぐちゃにカードが並べてあるだけでした。デュエルというより神経衰弱をしている気分です。


『おい、ルールはこれで合っているのか』


 耐えかねた私が尋ねると、水無瀬はちょっと困った顔をしました。


「ええと。なんかこう、バリアを貼るんじゃなかったっけ」

『じゃあこのダメージカウンターは何なんだ』

「え、何だろう……おまけかな……」


 スターターセットの中に入っていた厚紙を出して示してやります。そこには切り取り線が入ったダメージカウンターが印刷されており、押し出すことによってポコッと取れる仕様です。


「あっ、それ取るの僕がやりたい!」


 嬉々として手を伸ばす水無瀬に厚紙を渡してやります。水無瀬は手札を表のまま机に置くと、ダメージカウンターをポコポコ外しはじめました。


 手札が丸見えなんですが。あと、取れたダメージカウンターを雑に扱うんじゃありません。ソファの隙間に落ちたらどうするんですか。


 案の定、外したカウンターはどんどん増えるはずなのに、徐々に減っていきます。机の下に次々と落下していくのです。私は大きくため息をつきました。


 どうにかならないものですかねこの28歳児。まあこの男が楽しいならそれでいいですけど。


 私は右手のパペットを外すと、自分の手札を裏返して置いて、手持無沙汰にデッキをシャッフルし始めました。


 それよりも先日のあの男です。水無瀬の友人を名乗った頂上葉佩という男。彼に臆病者センサーは全く作動しませんでした。


 つまり私は、私の体は――彼が悪人だと信じたくないのです。


 無害で、穏やかで、善人そのもの。


 いえ、そう思い込まされている、というのが正しいところなのでしょう。


 彼から離れて冷静になるうちに、その疑念はどんどん膨らんでいきました。


 どうしてあの事件を知っていたのか。どうしてあんなことを水無瀬に言ったのか。彼が水無瀬に渡したものはなんだったのか。


 去り際に見せた彼の微笑みが脳裏をよぎります。


 なぜでしょうか。彼をあの場で彼が去るのを見送ってしまったことが、とんでもない間違いだった気がしてきました。


 私は切り終わったデッキを置き、パペットを持ち上げます。


『おい水無瀬。この前のお前の友人だが――』

「チェックメイト!」


 大袈裟な声を上げて水無瀬は盤面にカードを叩きつけました。キラキラとした加工が入ったウルトラレアです。売ったら高そうですね。


『負けた。完敗だ』


 お互いチェスのルールは知りませんが、チェックメイトと言われたならばチェックメイトなのでしょう。


『負けたついでに水無瀬。この前のお前の友人にもらった紙きれを見せてもらえないか』

「え? うん、いいよ」


 水無瀬はスーツのポケットから、くしゃくしゃになったそれを取り出しました。水無瀬……。


 それを丹念に伸ばして、書かれている内容を読み取ります。


 これは――数字の羅列ですね。楽しむとか言っていましたし、何かの暗号でしょうか。


「1019……?」


 書いてある番号のうちの一つを私は読み取ります。ふと卓上のカレンダーを見ると、同じ数字が表示されていました。


 これはもしかして日付を指しているのでしょうか。その瞬間、つけっぱなしになっていた事務所のテレビがけたたましい音を立てて何かを主張し始めました。


「緊急ニュース」


 番組の上の部分に、白文字でそれは表示されます。


「本日正午ごろ、赤坂駅付近で通り魔発生。死傷者二名。犯人は逃走中」

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