第15話 悪魔はそこにいる

「悪魔が、いるんです」


 震える声で犯人は自供を始めました。同じ部屋にいる刑事さんがメモを取り始めます。水無瀬はにこにこ笑っています。


「俺たちの中には悪魔がいて、あなたの中にも悪魔がいるんです!」


 必死な形相で犯人は水無瀬に主張します。水無瀬は動きません。


「悪魔は恐ろしくて、俺たちの内側から命令をしてくるんです。死んでしまえ、みんな壊してしまえって」


 犯人は机をつかんで熱を込めて言いました。


「だから俺たちは悪魔を聖なる場所に封じ込めるために戦っているんです!」


 周囲の刑事さんたちはため息をつきました。


 ああ、埒があきません。これは話が通じるたぐいの人間ではなかったようです。このタイプの人間からまともに使える情報を抜き出すのは難しいでしょう。


 それにしても悪魔、ですか。恐ろしい悪魔を退治するために悪魔のような所行をするなんてとんだ皮肉ですね。彼らはそんな矛盾に気づいているのでしょうか。


「ねえ犯人さん」


 それまで黙っていた水無瀬が口を開きました。


「だから星を描いていたの?」


 は?


 飛躍する話題に、私を含めた全員がついていけずに固まります。水無瀬は作り笑いをにこりと浮かべました。


「犯行現場。順番につなぐと星を描いてたよね。六芒星だ」


 こちらの部屋の刑事さんたちがにわかにざわつきはじめます。あっ、一人が資料を取りに走っていきました。


「だから本当は君に聞くまでもなかったのだけど」


 水無瀬は目はそのままに、口元から表情を消しました。


「星の中央が君たちのアジト。そうでしょ?」


 私は恐怖で椅子から落ちそうになりました。水無瀬はあんな顔ができたのですか。あんな、まるで化け物のような顔を。


 離れている私ですらこうです。ましてや目の前でそれを見てしまった犯人は哀れなほど震えてしまっていました。水無瀬は立ち上がると犯人の後ろから彼の肩に手を置きました。


「君たちの悪魔は僕たちが退治してあげる。だから……」


 耳元でささやきます。その声は、静まりかえった部屋の中に、やけに大きく響きました。


「具体的な場所、教えてくれるよね?」





 連続通り魔犯の本拠地と見られる場所を、捜査員たちが徐々に包囲していきます。水無瀬と私は、それを後ろのほうから見ていました。


 痛いほどの沈黙です。周囲のざわめきとは対照的で苦痛です。耐えかねた私は何かを言おうとパペットを動かしました。


『水無瀬、お前は』

「じゃあ行こっか、バンビさん」


 配備が終わった警官隊へと水無瀬は歩いていきます。私の手をしっかりとつかみながら。


「お楽しみはこれからだよ」


 水無瀬は振り返ると、いつも通りの笑みを浮かべて私に言いました。





 アジトがある雑居ビルへと、警官隊が突入していきます。私と水無瀬は、その後ろをマイペースについていきました。


 これから何が起こるのか。水無瀬はどうして現場に向かっているのか。何となく分かっていましたが、理解したくもない自分もいました。



『水無瀬くんを「彼」に会わせたくはないのだけどね。水無瀬くんがいれば、「彼」は間違いなく姿を現すだろう。だからこそ水無瀬くんの手綱はしっかり握っていてくれ。……あちら側に連れて行かれないように、しっかりね』



 ここに来る前に六条さんに言われた言葉を反芻します。「彼」。それが誰を指しているのか、関係がない私にだってはっきりと分かります。


 ハンドサインをした後、警官隊は次々に突入していきます。悲鳴や怒号が聞こえます。次いで、発砲音も。


 やけにたくさん銃声が聞こえます。もしかして、相手も応戦している?


「ふんふんふーん」


 さらに進むと、即席で作られたバリケードがありました。その向こうには銃を構えてこちらを窺う若者たちが。


 ひぃっ! か、隠れて逃げなければ。逃げないと殺されてしまいます。


 ですが、そんなことを気にせず、水無瀬はずんずん歩いて行ってしまうのです。銃を持った若者たちが一斉にこちらを見ます。


「水無瀬!」


 パペットなしに私は叫びます。逃げましょう! これ以上行っちゃだめです!


 彼の手を必死に引っ張って足を踏ん張って、引き留めようとしますが、水無瀬は構わず歩いていってしまいます。


 すべての銃口がこちらを向きます。私は目を閉じて身を縮こまらせました。


「はは、水無瀬くんは相変わらず鋭いなあ」


 奥の部屋から出てきたその人物は、手を一振りして水無瀬から照準を外させました。


 一瞬で、その場所は「彼」の支配下に置かれました。この場にいるすべての人間の生き死には、彼の一挙一動にかけられたのです。


「駄目じゃないかみんなー。こんなに簡単に尻尾を掴まれちゃ」


 場違いなほどラフな格好をした頂上さんは、人の良さそうな顔でにこりと笑いました。


「T様!」


 銃を持った若者たちが、口々に頂上さんをそう呼びます。


「駄目です、T様! 奥に隠れていてください!」

「あ。てっぺんくんだ。やっほー」


 若者の声など聞こえていないかのように脳天気に、水無瀬はひらひらと手を振りました。頂上さんはそれに軽く手を振り返すと、奥に置いてあったパイプ椅子に腰掛けて足を組みました。


「どうぞ続けるといい。僕はここで観戦してるからさ」


 周囲の人間たちはたじろぎます。警官隊も、武装した若者たちも、何もできないまま硬直しています。何も起きません。


 そんな沈黙を破ったのは、私たちについてきた狸さんでした。


「頂上葉佩。お前、一体何をしたんだ」


 拳銃を構えたまま、狸さんは問い詰めます。銃口を向けられているというのに、頂上さんはまるでカフェで雑談でもするかのようにリラックスした様子で肩をすくめました。


「何も? 僕はただ、彼らの危機意識をあおっただけだよ」

「……危機意識だと?」

「傷つけなければ危険だ。殺される前に殺さないと」


 頂上さんの言葉は、まるで最初から決められていた真実であるかのように私たちの中に響き渡りました。


 臆病者センサーがけたたましく警鐘を鳴らします。いけない。彼の話を聞いちゃ駄目です。


「ここにいる彼らはね。元々、死ぬ運命だったんだよ。自殺クラブってやつ。それを僕が助けてあげた。だから彼らは僕の話を真剣に聞いてくれるんだ」


 にこにこと笑いながら、頂上さんはこちらを見ています。いえ、彼が本当に見ているのは私たちではありません。鼻歌でも歌いそうな表情で悠長に構えている隣の男だけです。


「もののついでに監視カメラがないルートも教えてあげたね。刃物も銃もあげた。できればこういうことは長く楽しみたいし」


 ふふっと頂上さんは笑いました。隣の狸さんはその挑発に乗ってしまいました。


「どうしてこんなことをする! お前は自分が何をしたのか分かっているのか!」


 頂上さんは一瞬驚いた顔をした後、パイプ椅子から立ち上がって沈痛な面持ちになりました。


「分かってるさ。これは悪いことだ。僕だって好きでやってるわけじゃないよ。怖いし、苦しいし。でも仕方ないよね」

「……仕方ないだと?」

「うん。人を助けるのはいいことで、殺すのは悪いこと。人を信じるのはいいことで、人を騙すのは悪いこと。良いことをすると気分がよくて、悪いことをするのは気分が悪い。……だけどそうだな、どうしてこんなことをするのか、という質問に答えるとすればこうかな」


 彼は私たちに向き直り、大きく腕を広げて言いました。まるで常識のように。まるで託宣のように。




「僕はただ、目の前に世界があるから悪を為しているだけだよ」




 私は腹の底から恐怖と嫌悪がせり上がってくるのを感じました。つながったままの水無瀬の手を、命綱のようにぎゅっと握ります。


 人でなしというものは体の底から自然と湧き出てくるものです。人とは違う、人からかけ離れてしまった感性の持ち主。なりたくてなれるものではない。ただそう『成り果てて』しまった人々。


 しかし彼は違います。彼は、『己の行動を正しく理解しながら』『それでもなお悪を行っている』のです。


 彼はどうしようもなく人間でした。人でなしの私たちよりもずっとまともです。


「相変わらずてっぺんくんは難しいことを言うねえ」


 脳天気に水無瀬は言います。まるでこの場に満ちた空気なんて無いかのように。


「君に比べたら僕は分かりやすいと思うんだけどね」

「そうかなあ」

「そうだよ」


 にこにこ、にこにこ、と。


 二人は笑い合います。それはついこの間、道ばたで談笑をしていた時と同じ表情でした。二人にとってこの場所は、その辺にある何てことはない日常と同義なのです。


「T様」


 背後に控えていた女性が頂上さんに耳打ちします。頂上さんは軽く振り返ってにこりと笑いました。


「じゃあそろそろ僕は行くね」


 頂上さんは身を翻して部屋の奥へと去って行こうとしました。明らかにここにいる若者たちとは違う、防弾ベストやマスクといった重装備を身につけた人たちに守られながら。


「水無瀬くん」


 重装備の肉壁の向こう側で、頂上さんは振り向きました。


「君が殺してでも事件を終わらせるのなら、僕は生かしてでも事件を始めよう」


 歌うように頂上さんは言います。


「そうすれば僕は君の終生のライバルになれるかな。そう思わない?」


 それだけを言い残すと、頂上葉佩は悠々と立ち去っていきます。


 私はおそるおそる傍らを見上げます。


 残された水無瀬片時の表情は、いっそ馬鹿馬鹿しいほどに普段通りのものでした。

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