第19話 敵討ち

 六月一日。連続殺人事件の四件目が発生。

 被害者は水無瀬幸人、水無瀬優子。

 午後七時半頃に、息子の水無瀬片時が帰宅した際に発見。

 遺体の胴体は原形をとどめていないほど破壊され、唯一無事だった手からは、人差し指が切り取られていた。

 そして、現場には「私はZだ」というメッセージが残されていた。




 二日後の六月三日、六条は慶早大学を訪れていた。時間はかなり遅く、外はひっくり返したような土砂降りだ。


「水無瀬くんを疑ってるんですか!」


 すでに学生課も閉じた玄関ホールで、頂上は六条にくってかかっていた。六条は大きく呼吸をすると、つとめて冷静に彼に告げた。


「第一発見者の水無瀬くんは、遺体発見から数十分、誰にも事件を知らせなかった。その間、何かの小細工をした可能性は高い」

「自分の家族が殺されたら誰だって混乱しますよ!」


 大声で叫ばれ、六条は黙り込む。


「そんな、ひどいこと言わないでください……」


 無関係な人間が死んでも、恋人が死んでも、彼は心を動かさなかった。この頂上も友人の恋人が死んでも、大して反応は見せなかった。

 彼らはどこまでも犯罪心理の専門家で、犯罪者はその研究対象でしかなかったのだ。

 だけど、今回ばかりは別だ。


「……すまない。酷なことを言った」


 六条は謝罪した。目の前の頂上はうつむいたまま肩を震わせて泣いているようだった。


 その時、ふと目を上げると、ホールの入り口にずぶぬれの青年が立っているのに気がついた。びしょぬれの真っ黒なスーツを着ていて、雨をしたたらせる前髪で目元はうかがえない。


「水無瀬くん!?」


 頂上は慌てて彼に駆け寄る。


「どうしてここに……お葬式に行ってたんじゃ?」


 水無瀬はゆっくりと顔を上げた。

 そこに貼り付いていた表情は――いつも通りの笑顔だった。

 ぞくりと六条の背筋に寒いものが走る。


「えー。だって家じゅうぐちゃぐちゃにされちゃったから、借りたこれ以外にもう着れる服なくてさー」


 普段と同じふにゃふにゃとしたしゃべり方で、水無瀬は自分の現状を説明する。


 何だこの男は。こんな人間がいていいものか。家族が死んだのに、何故こんな風に笑っていられる。どこまでも普通にニコニコとした表情で。


「ここにいて! 今、タオル貰ってくるよ!」


 ばたばたと頂上は走り去り、彼が戻ってくる数分間、六条は身じろぎ一つできなかった。

 おかしい。狂ってる。これでは本当に彼が――人ではないかのようではないか。

 頂上によってタオルを頭からかぶせられ、長いすに座らされた彼はがしがしと髪の毛を拭かれる。


「こんなに濡れたら風邪引いちゃうねえ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

「うん、ありがとねぇ」


 平然としている水無瀬より、頂上のほうが泣いてしまいそうな表情だ。


「僕の両親、色々あって親戚づきあい希薄でさー。行くところがないからここに来るしかなくない?」


 まるで趣味の悪い人形のような笑顔で、こともなげに水無瀬は言う。それに言葉を失った後、頂上は膝をついて彼の両手を握り込んだ。


「水無瀬くん、一緒に住まない?」


 真剣なまなざしで彼の目を覗き込む。


「僕、実家出て一人暮らしだし、部屋もそれなりに広いし、洗濯も料理もしてあげるからさ」


 水無瀬はふわふわした目つきで頂上を見つめ返した。頂上はぐしゃっと顔をゆがめた。


「君が心配なんだよ水無瀬くん……」

「んー。ありがとう、てっぺんくんは良い人だね」


 にこっと水無瀬は笑う。


「自慢じゃないけど僕、家事的なこと何もできないからさ。困っちゃうよね。こういう時、ちゃんとお母さんの手伝いしておけばよかったって思うよ」


 あーあ。とでも言いたそうに水無瀬は肩を落とす。六条は思わず、震える声で尋ねていた。


「君は」

「ん?」

「君は他に何も思わないのか」


 両親が死んだんだぞ。


 六条は小さく呟く。水無瀬はその言葉を受け止めて、まるで何かを答えなければならないということに気がついたかのように考え込んだ。


「え? うーん」


 首をかしげて考える。十数秒経った頃、水無瀬はぽんっと手をたたいた。


「あっ」


 水無瀬は六条に向かって困り果てた表情を作ってみせた。


「お父さんとお母さん死んじゃったけど、学費どうしよう? まだ奨学金の申請って間に合うかな?」


 恐怖と怒りが腹の底からわき出てきて、六条は勢いよく彼らに背を向けた。


「君にまともな感性を求めた私が馬鹿だったよ」


 そのまま六条はホールから出て行こうとした。しかし、その後ろ姿を、水無瀬は呼び止めた。


「ねえ」


 六条は立ち止まる。


「まともな感性だったらこういう時、どう思うの?」


 彼は憤怒で顔を歪めて、振り向かないまま彼に吐き捨てた。


「さあな。親の仇を取りたいとでも思うんじゃないか?」







 三週間後。きっちり一ヶ月ごとに起きている事件は、おそらく一週間後にまた起きる。


 何の尻尾もつかめていないまま、不機嫌な顔で警視庁の庁舎から出てきた六条の肩に、突然のしかかってくる男がいた。


「けーいじさん!」

「なっ、水無瀬片時!?」


 いつも通り貼り付けたような笑顔をしながら、長身の水無瀬は六条にのしかかる。周囲の視線が二人に集まる。六条は水無瀬を振り払った。


「何の用だ」


 険のある言い方で六条は問う。水無瀬は微動だにしない笑顔のまま、口元だけを動かして言った。


「テッド・バンディ、ジョン・ゲイシー、死の天使類型、ゾディアック事件」

「は?」

「元ネタだよ。鳥ちゃん刑事が追ってる事件のね」


 一瞬停止した思考を、六条は必死に動かし始める。



『実験、かな』

『実験は再現性を重視するって言うしー』



 過去の彼の言葉に思い至る。

 元ネタ。再現。

 彼は何故それを伝えにきたのか。まさか、自首でもしに来たのか。


「何の真似だ」


 低い声で言う。水無瀬はくるくるとその場で回った。


「んー。捜査協力、しようと思って!」




 庁舎近くのカフェに入り、二人は向かい合う。六条はいまだに警戒していたが、水無瀬はメニューを覗き込んではしゃいでいた。


「あ、ここのパフェ美味しそうだね。すっごく大きいのに素材の味が生かされてそう! 今度てっぺんくんを誘って来ようかなあ」

「水無瀬くん」


 彼の言葉を遮り、六条は水無瀬をにらみつける。


「早く用件に入ってもらえるかな」

「えー。食べながらでもいいじゃん」

「水無瀬片時!」


 大声で名前を呼ぶと、水無瀬はびくりと肩を震わせ、まるで叱られた子供のようなしょんぼりとした顔になった。


「怒鳴らないでよ……。怒ってるの?」

「ああ、怒っている。早く、用件を、話せ」


 水無瀬はむーっと唇を尖らせた後、可愛い猫の柄がついたサコッシュから、ぐちゃぐちゃになった紙を何枚か取り出した。


「はい、これ」


 顔をしかめながら六条はそれを受け取り、目を見開く。


「テッド・バンディ。ヒッチハイカーを中心に殺人を行っていた連続殺人鬼。幼少期に寝ている家族のそばに無数の包丁をばらまいた過去がある。ジョン・ゲイシー。通称殺人ピエロ。少年を誘拐しては暴行を加え、ロザリオを使って彼らを絞殺していた。「死の天使」。ヘルスケア・シリアルキラー。重病人が点滴に毒薬を混ぜられて殺される事件類型。ゾディアック事件。連続殺人鬼で「私はゾディアックだ」と挑発していた。どれも犯罪史に残る、犯罪心理学に精通している人なら知っている、有名な事件たちだ」


 資料にはすらすらと彼が語る内容が、詳細に、しかし分かりやすくまとめられていた。

 この男が作ったのか? この資料を?

 呆気にとられながら、六条は水無瀬に尋ねる。


「二人組が過去の殺人を模倣して殺人を行っていると?」

「違うね」


 コップの水をゆらゆらと揺らしながら水無瀬は遮る。


「犯人は八人だ。全部別の人だよ」


 持ち上げたコップの水越しに、水無瀬と目が合った。


「現場に毎回同じ靴跡を残すわけないじゃない。それなのにわざわざ事件を再現してるとしたら、つーまんせるを組んで、どれだけ『良い事件』を起こせるか研究してるんだね」


 一ヶ月の冷却期間は起こした事件に対する考察と討論の時間ってとこかな。

 そうやって呟いてから、水無瀬は一気にその水をあおった。


「あ、お姉さん。注文お願いしまーす!」

「はーい!」


 近づいてきた店員に水無瀬はメニューを指さしてパフェを二つ頼む。店員が立ち去ってから自分にもパフェを頼まれたと気づいたがもう遅い。


「幼稚だよねー」


 水無瀬はコップの縁を指でなぞっている。


「どれも殺人鬼のやり口を真似しているけど、それだけだ。再現性も曖昧だし、これが実験として成立してるはずがない。指を持ち去ってるのだって、快楽的な連続殺人だと見せかけるためだけだし」


 ピンッとコップを人差し指ではじいた。コップがちょっと傾いて、元の位置に戻ってくる。


 そこで沈黙した水無瀬に、口を挟めずにいた六条は、混乱した頭のまま尋ねた。


「どうして急にやる気を出したんだ」

「えっ? 言ったのは鳥ちゃん刑事でしょ?」


 水無瀬はこてんと首をかしげた。


「”親の仇を取りたいとでも思うんじゃないか”って」


 六条は口をぽかんと開けた。水無瀬は口元に人差し指を当てている。


「よく分からないけど、敵を討つべきならやろうかなって」


 にこっと彼は笑った。六条は一度拳を握り込み、それから息を吐いた。


 信じてみる価値はあるかもしれない。たとえ容疑者の言うことだとしても、六条はそう感じてしまっていた。


 きっと期待しているのだ。この男にあるかもしれない、ささやかな感情の存在を。


「……次はどんな手口で誰が死ぬんだ」

「さあ?」


 とぼけた顔で水無瀬は言う。いらっとのど元まで出てきた怒りを飲み込み、彼の言葉を待つ。


「でもそうだなー」


 水無瀬は一度目を閉じた後、まるで歌うみたいに言った。


「罠くらいはしかけられる、かも?」


 六条は沈黙する。水無瀬は、にたぁと子供のように笑った。


「多分だけどね」





 月の光しかない夜道を、頂上葉佩は歩いていた。


 慶早大学の棟のうちの一つは小高い山の上にある。そこからの帰り道は、左右に山が広がるなだらかな坂になっていた。


 頂上はスマホを操作しながら、ゆっくりと歩いて行く。大学の光は遠ざかり、街からも大学からも見えない位置へと入る。前を向いていなかった彼の横に、一台のバンが近づいた。


 停車するバン。歩き続ける頂上。バンから降りた人影が足音を殺して彼を追いかけ、手に持った凶器を振りかぶり――


 ――突如照らされた強烈な光に、犯人は動きを止めた。


「やーい、引っ掛かったー」


 光の正体、夜道で見えづらいように隠されたパトカーのヘッドライトを受けて、彼は凶器を捨てて逃げ去ろうとした。


 だがそれを逃す警察ではない。パトカーに乗っていた六条は、彼を追いかけると、タックルする形で犯人を地面に押しつけた。


「佐道教授、傷害未遂の現行犯で逮捕する!」


 フードで隠された顔があらわになる。そこには柔和な顔を歪めた教授の姿があった。


「やっぱり僕の関係者を狙ってきたね。ふふ、僕でも気づく実験的な事件だって事実に、教授が気づかないはずがないんだよ」


 パトカーの横で黒い服を着て待っていた水無瀬は、にこにこ笑いながら彼らに歩み寄っていった。


「まだその辺でもありそうな第一の事件はともかく、特徴的な第二の事件でも見逃したのはおかしすぎる」


 水無瀬は取り押さえられた教授の横にしゃがみ込んだ。


「チェックメイトだよ、さっちゃん教授。僕、チェスできないけど」


 それだけを告げ、手錠をかけられる教授に水無瀬は背を向けた。まるですべての興味を失ったかのように。


「ま、そういうことだよてっぺんくん。囮に使ってごめんね?」

「え? あ、うん?」


 何も知らされていなかった頂上は、混乱しながら水無瀬と六条を見比べる。


「教授が全部悪かったってこと?」


 にこりと水無瀬は笑う。


「そっか、そうなんだ……」


 彼はなんとか自分を納得させて、パトカーに連れて行かれる教授に視線をやった。


「これで事件が収まればいいけど……」


 頂上はおどおどと目を伏せる。


「そうもいかない気がするよね、この事件って不気味だし」

「うん、でもそろそろ終わりにしよっか」


 ――ね、てっぺんくん。


 水無瀬はいつも通りの、不気味なほどに普段通りすぎる笑顔を、頂上に向けた。

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