第18話 水無瀬の疑惑
「事件が起こったのは昨日。現場は遊園地です」
やってきた教授と二人の学生の目の前に、六条は捜査資料を広げていく。
「被害者は石渡正雄、七歳。この遊園地に遊びに来た子供です。死因は絞殺。死体は遊園地の特設舞台の上に残されていました」
「死体の損壊状態は?」
尋ねられた意味を読み取った六条はためらいながらも答える。
「精液は検出されていませんが、何らかの道具によって性的に暴行を加えられた形跡があります。それからこれが奇妙な点なのですが……」
六条は机に置かれた被害者の遺体写真を示す。
「被害者はロザリオで首を絞められて殺害され、簡単なものではあるのですが防腐処理がされた状態でした。そして、彼の薬指は犯人によって切り取られていました」
しばしの沈黙の後、空気をまるで読んでいないかのような能天気な口調で水無瀬は尋ねてきた。
「一か月前の事件とおんなじ?」
「恐らくは。死体の周辺の足跡を取ったところ、前回と同じ靴跡が二人分見つかったそうです」
「ふーん」
自分で尋ねたというのにまるで他人事のように水無瀬は言う。いい気分ではない。
黙り込んでいた教授は、確かめるようにゆっくりと言った。
「連続殺人、だね」
「はい。指が切り取られたという情報はマスコミには流していませんし、模倣犯というわけでもないでしょう」
そうか……と教授は息を吐く。
「とりあえず資料を読み込んで犯人像を明確にしていこう。二人とも、ちょっとついてきなさい」
「あ、はい!」
「えーっ」
「ほら行くよ!」
「うん……」
二人に続いて不本意そうに水無瀬も部屋の外に出ていく。六条はそれを見送った後、ふと手元の写真に目をやった。被害者が映されていた監視カメラの写真だ。
そこに、一緒に映っている青年の姿を見つけ、六条は軽く目を見開いた。
「水無瀬くん……?」
楽しそうにヒーローショーを見る彼の写真を見下ろし、浮かびかけた馬鹿げた考えを、六条は頭を振って霧散させた。
……まさか、な。
だがその疑念は、結局手がかりがつかめずに署に戻る六条の頭に、どうしてもこびりついてしかたがなかった。
*
きっちり一か月後の五月一日。三度目の事件は起きてしまった。
「事件現場は東両大学附属病院。重病人ばかりの病室で、患者全員と実習生一人が死亡。患者は薬液に筋弛緩剤を混ぜられ、実習生は首を切られて殺害された模様。いずれも、手の中指が切り取られていました」
捜査本部での報告を聞きながら六条は捜査資料を睨みつける。
このシリアルキラーによる殺人はこれで三件目。いまだに犯人像は掴めず、指を持ち去るという猟奇的な行為の意味も分かっていない。
別の刑事――両崎守が立ち上がり、考え込む六条を窺いながら報告をした。
「被害者の実習生、大貫博美の交友関係を洗っていたのですが……」
あらかじめ渡されていた資料をめくり、そこに添付されていた仲睦まじいカップルの写真に、六条は目を見開いた。
「水無瀬片時の恋人、だと?」
足を運んだ佐道教授の研究室では、水無瀬と頂上がコンビニの袋を広げていた。
「あ、鳥ちゃん刑事だ」
「お疲れ様です、教授ならもう少しで来ると思います」
「……そうか。ここで待たせてもらおう」
二人から少し離れた椅子に腰かけて、六条は彼らのことを観察し始める。
「そろそろフラッペが美味しい季節だねえ」
「君、冬にも同じこと言ってなかった?」
「えー、冬と言ったら肉まんじゃん」
「それはそうだけどさあ。ところであの連続殺人事件の犯人って僕なんだけど」
「そっかあ。骨つきチキン食べる?」
「それ骨しか残ってないやつじゃん……」
頂上が唐突についた嘘に、六条は顔をしかめる。この状況で言うことか。悪い冗談が過ぎるだろう。
「ほら、捨てるよ」
「えーっ」
頂上に骨を奪い取られ、水無瀬はぷくっと頬を膨らませる。まだ事件のことを知らないのだろうか。それとも。
「水無瀬くん」
意を決して声をかける。
「君の恋人、大貫博美が殺されたそうだ」
六条は真正面から言う。水無瀬はぱちくりと瞬きをした後、コンビニの袋に視線を戻してしまった。
「へぇ、そうなんだ」
言われた言葉なんてなかったかのように、水無瀬はぐしゃぐしゃとビニール袋を弄んで遊んでいる。心が、みじんも揺らいでいない。
「何も思わないのか? 恋人が殺されたんだぞ」
「え? んーと……」
険しい声色で問うと、そこで初めて水無瀬は真剣な話だと気づいたような顔をした。考え込むこと数秒、何かに思い至った表情で手のひらをぱちんと合わせた。
「あっ」
水無瀬は六条ににこりと笑いかけた。
「つまり刑事さん、僕のことを疑ってるんだ」
そこには何の害意も焦りもなかった。ましてや罪悪感なんてあるはずもない。
「だとしたら君はどうするんだ」
「ふーんって感じ」
彼は再び六条に向けていた視線を外してしまう。
「二人目の被害者と君は、当日同じ場所にいた。三人目の被害者は君の関係者だった」
「うんうん」
「君が危ないかもしれないという話だよ?」
「そっか、それもそうだね。じゃあてっぺんくんと一緒に帰らないと! てっぺんくんは僕よりは運動神経いいし!」
「えっ、そんなこと言って、もし本当に僕が連続殺人犯だったとしたらどうするのさ」
「どうもしないよ?」
いくら諭すように六条が言っても、水無瀬には通じていないようだった。
一瞬の沈黙。水無瀬は貼りついたような笑顔を頂上に向けた。
「それより昨日のニチアサ見た?」
学食に向かってしまった水無瀬を追いかけようとしていた頂上を、六条は呼び止めた。
「頂上くん」
彼はきょとんとした顔で振り返る。
「正直に答えてほしい。君は水無瀬くんのことをどう思っているんだい?」
彼は犯罪心理学について優秀な成績を収めている生徒だ。そんな彼が水無瀬のことをどう思っているか――正確には、彼に犯罪者の要素を見出しているのかは、貴重な参考資料となるはずだ。
「ええと、話は飛ぶんですけど」
頂上はそう前置きをして語り始めた。
「善行も悪行も本質は同じだと思うんですよ」
「え? はぁ……」
「どちらも行うのには力がいる。本質的に中庸である人間がわざわざそれを行うには意図的なパワーが必要なんです」
予想以上の話題の飛躍に、ついていけずに六条は間抜けな声を上げる。
「もちろん例外はありますよ」
彼は真剣な面持ちで六条に告げた。
「何もしなくても善であるもの、何をされなくても悪であるもの。人はそれを俗に――人でなしと呼ぶのではないでしょうか」
六条は少し黙り込み、その言葉の意味を咀嚼して、なんとか疑問を形にした。
「それが君の研究課題か?」
「まさか。これはただの僕個人の人生観ですよ」
頂上はにこりと笑う。六条は困惑を飲み込んで、目を細めた。
「……それで、水無瀬片時は人でなしだと?」
「僕の感覚からすればそうですね。ただ彼が他の人でなしと違うのは――善でも悪でもない『個』しか彼の中に存在していないということですね」
『個』。以前にもされていた彼らの会話にも出てきた言葉だ。
「彼は善をなさない。悪をなさない。中庸すらもなさない。ただの『個』なんです」
きっとその言葉は、彼らの間でだけ通じる言語なのだろう。どうあっても自分のような他人は、二人の中に割って入れないのだ。
しかし、そこで頂上は目を伏せて悲しそうな顔になった。
「本質的に違うんです。『人間』の僕とは」
頂上は黙り込む。六条は何か声をかけようとして、何を言ったらいいのか分からずに、沈黙が続いた。
やがて頂上は顔を伏せたまま、六条に軽く頭を下げた。
「失礼します」
逃げるように去っていく彼を、六条は見送ることしかできなかった。
そして一か月後、第四の事件は起きた。
猟奇的なシリアルキラーに殺されたのは――水無瀬片時の両親だった。
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