第20話 人でなしの楔

「君の実家、今頃捜査が入ってるよ」


 静かに水無瀬は切り出す。頂上は顔を下に向けたまま、指先をぴくりと動かした。


「てっぺんくん。君が一連の事件の首謀者でしょ」


 頂上は答えなかった。


 痛いほどの沈黙。それを破ったのは、六条にかかってきた無線の音声だった。ノイズ混じりのそれを聞き、六条は頂上に宣告する。


「頂上葉佩。お前の家から、一連の事件の計画書と持ち去られた指が見つかったそうだ」


 これは、逃れようのない証拠だ。


「お前は佐道教授を筆頭に人を集め、研究という名目で連続殺人を行わせていた。そうだな?」

「そ、そんなわけないじゃないですか。僕、今襲われかけたんですよ?」


 頂上は顔を上げて、おどおどとした表情で言う。水無瀬はきょとんとした顔で告げた。


「だって直接指示はしてないんでしょ。君はただ人を集めて、部屋を貸して、思考をそちらに誘導しただけ。違う?」


 少しの沈黙。交錯する視線。笑っている水無瀬の口元。やがて頂上は軽くため息をつくと、いつも通り、好青年そのものな表情で微笑んだ。


「へぇ、分かってたんだ」


 水無瀬もまた、にこにこと頂上に笑いかける。


「さんざん君が僕に自白してたじゃないか。僕は犯罪者ですーって」

「冗談だとは思わなかったの? 僕、君にいい人だって思われてたよね?」

「えー。君って無駄な冗談言うタイプじゃないでしょ?」


 ふふふ、あはは、と和やかに二人は笑い合う。六条は教授を捕まえたまま、引きつった顔でそれを見守っていた。


「ねえ。どこで僕だと確信したか聞いてもいい?」

「ん? 最初からだけど?」


 事も無げに水無瀬は言い放った。


「君は僕でゲームをしてた。僕の周りに人を配置して、言葉で誘導して、僕の周囲に人間関係を構築した。恋人、ゼミ、好意、逆恨み。僕の大学生活は、全部君のプロデュースによるものだった。なんでそんなことをしてるのかよく分からなかったから放置してたんだけど、うーん、敵討ちしなきゃいけないっぽいから、もういいやって」


 つらつらと並べ立てられる事実に、頂上は素直に目を見開いているようだった。


「……驚いた。君って意外と理知的だったんだね」

「むー。てっぺんくんは僕のことなんだと思ってるのー。成人済みの大学生だよ?」


 ぷくっと水無瀬は頬を膨らませる。頂上はそれを見て、笑いで肩を震わせた。


「ふふ、僕はようやく、初めて君の声を聞いた気がするよ」


 熱に浮かされるようにそう言いながら、頂上は数歩歩いてから、水無瀬に向き直る。


「人を使って暴力を振るわせた。人を使って殺人をさせた。刑事さんの目が君に向くように小細工もした。どうしてそんな僕を近くに置き続けたの? 興味があったから?」

「ん? んー……」


 水無瀬は顎に指を置いて考え込み、それからこてんと首をかしげた。




「どうでもよかったから?」




 頂上は初めてそこで動揺を見せた。口の端を震わせ、一歩よろめいて、彼から距離を取った。水無瀬はそんな彼を前にしても、変わらずにニコニコ笑っている。頂上は俯いた。


「そっかぁ。どうでもよかったのかぁ」


 その言葉にどれだけの感情が込められていたのかは分からない。だが、水無瀬のその一言が、頂上の何もかもを打ち砕いてしまったのだけは六条にも理解できた。


「ねえ。僕と君って友達だよね?」

「うん。てっぺんくんと僕は友達だよ!」


 どうでもいい、と言った口で、水無瀬は肯定する。頂上は握りしめていた拳をゆっくりほどくと、息を吐き出すのと同時に小さく言った。


「……そっか」


 水無瀬はそんな頂上を不思議そうに見ている。六条は他人事ながら、頂上のことが哀れに思えてきた。


 水無瀬片時とはこういう男なのだ。何も感じず、何も期待せず、世界には自分しか存在しない。ひとりぼっちの「個」なのだ。


 頂上は大きく息を吐いて、いつも通りの笑顔を水無瀬に作って向けた。


「水無瀬くん、これって時間稼ぎでしょ。遠くに控えておいた応援でも待ってるのかな?」


 六条は無線へと視線を落とす。応援はまだか。彼は複数人を扇動して事件を起こした凶悪犯だ。どんなことがあってもここで逃してはいけない。そんな気がしてならない。


「このまま君とお喋りしたいのはやまやまなんだけど、ここで終わるのも味気ないからさ」


 彼はガードレールを背にして両手をついた。


「水無瀬くん。いつか君を、その場所から引きずり降ろしてみせるよ」


 きょとんとしている水無瀬片時に、頂上葉佩はひらりと手を振った。


「また遊ぼうね、水無瀬くん」

「待て、頂上葉佩!」


 ガードレールを飛び越えて山中に消えていく彼を、水無瀬は最後まで不思議そうな顔で見送っていた。





 事務所には沈黙が満ちていました。六条さんは語り終わり、その余韻で疲れ果てているようです。ああもう、沈黙が痛いです。


 分かりました。分かりましたよ。こちらから聞いてあげればいいんでしょう、こんちくしょうめ!


『それで、水無瀬を警察に入れたのか』

「ああ。彼をこの社会に放り出すのはあまりに危険すぎたからね。皮肉にも、佐道教授と同じ見解なのだが」


 なるほど。なるほどなるほど。


 大体分かってきました。分かってきたところで、「なんだその重い話!」というのが本音ですけど。


『お前は水無瀬が頂上のようになることを危惧しているということだな』


 六条さんはちょっと沈黙した後、まじめな顔で私を見ました。


「……小鹿ちゃん。君はくさびなんだ」


 真剣に六条さんは告げます。


「人でなしの君なら、同じく人でなしである彼を繋ぎとめることができる。私はそう思っているんだよ」


 ……なんて自分勝手な考えでしょう。そんな勝手な期待をして、私をあいつの横に据えたということですか、この男は。私の気持ちなんて全く無視されているではありませんか。


「頼む。どうか水無瀬くんを、あちら側に連れていかれないようにしてくれないか」


 六条さんは私に頭を下げました。本気のようです。私は……答えませんでした。


 それを六条さんは肯定と受け取ったのでしょう。ソファから立ち上がると、すたすたと事務所から出て行こうとしました。そんな彼の背中に、私は声をかけます。


『それは、お前のためか』


 六条さんは帽子をかぶりながらこちらを振り向いて、にこっと笑いました。


「この社会の平穏のためだよ」


 それだけを言い残すと、六条さんは去っていきました。


 ドアが閉まりきるまで待って、私は軽くため息をつきます。


 彼は私たちのことを人でなしといます。確かにその通りです。


 私たちは人間からズレていて、人間の枠から外れていて、きっと正気というやつも失っている。


 だけど――何の躊躇もなく、個人の感情や都合よりも社会の利益を考えるあの男も、私たちと同じ、十分に人でなしというやつです。


 パペットを持ち上げ、自分に向かってぴこぴこと動かします。結構不細工です。気に入ってはいますが。


 私は再び息を吐いて、伸びをしました。


 まあいいでしょう。恐怖というものは内容を知れば薄れるものです。水無瀬は水無瀬。今も昔もそれは変わらないのですから。


 遠くで、水無瀬が階段を駆け上がってくる足音がばたばたと聞こえてきました。

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