第27話 迷子センター

 前回からおおよそ一か月ぶりぐらいに私は警視庁に足を運んでいました。別にしょっぴかれたというわけではありません。捜査本部というやつに呼ばれたのです。


 大会議室のすみっこに私たちは座っています。水無瀬は珍しくおとなしく資料をぺらぺらとめくっていました。まあ、頂上さんの関係する事件ですしね。やる気を出しているのにこしたことはないのですが。


「容疑者、妙度都築。年齢不明、住所不定。数年前まで私立探偵を営んでいましたが、その後の消息は不明。国外で活動していたという可能性もあります。どのようなパイプを持って、どう行動しているのかも一切不明です」


 おいおい本当に何もわかってないじゃないですか。


「彼女が大規模なテロの予告をしたのは一週間前。それから彼女は大きな動きは起こしていないようです」


 報告終わります、と言って刑事さんは腰を下ろしました。


 その後も順々に刑事さんたちは報告を続けていきます。しかしどれも核心に迫る情報ではなく、妙度さんが今どこに潜伏しているのか、どうやってテロを起こそうとしているのか、全くつかめていないのが現状のようでした。


 やがて何の進展もないまま捜査会議は終わりました。捜査員たちへの指示は前回と変わらず。足で情報を掴んで来い、とそういう内容です。私は軽くため息をつきました。


 ああもう、埒があきませんね。これではいつまで経っても妙度さんの足取り一つつかめないでしょう。


 この一件、私も思うところがないわけではないのです。仮にも彼女は私の元上司。うちの師匠がご迷惑を……という気持ちもなくはありません。


『おい、狸』


 次々に捜査に戻っていく刑事たちの中から狸さんを見つけ出し、呼び止めます。間抜け面で振り返った彼に、隣で資料をつまんでいた水無瀬の手首をつかんで押し付けました。


『水無瀬は頼んだ』

「へ?」


 返事を待たずに私は鞄をひっつかんで、彼らに背を向けました。


「え、ちょっ!」


 無駄に背の高い水無瀬の向こう側から、狸さんは悲鳴にも近い声で私を呼び止めます。私は据わった目で振り向きました。


『警察ではこの事件は追えない』


 きょとんと狸さんは目を丸くします。私はさらに目を細めました。


『身内の不始末は探偵の流儀でつける。それだけだ』


 妙に格好つけたセリフを吐いて、私は警視庁を後にしました。


 私だってやりたくないです。でも、彼女の予告したテロ現場は、生活圏内にかかっているんですよねえ。


 やりたくないけど死にたくない。だったらせめて最善を尽くすしかないじゃないですか。


 でも、捜査によって生じた費用はもちろん経費として計上いたしますとも。当然です。ついでに報奨金的なものもくれてもいいんですよ?





 私がまず足を運んだのは、大型ショッピングモールでした。


 私が今から行く場所には、ドレスコードというものがあるのです。もちろん買うわけではありません。貸衣装屋さんに行くだけです。


「うーん、お嬢さんぐらいの背になると、これぐらいしかなくてねえ……」


 貸衣装屋さんに行くと、店長さんは困り果てた顔で二着の服を出してきました。


 片方はフリルのついた子供用のパーティドレス、もう片方はまるで小学校の卒業式に着るような礼服です。


 ぐぬぬ、これだからちゃっちい貸衣装屋は嫌なんです。高い貸衣装屋はそもそも買ったほうが安くつくので、ここで決めますけど!


 苦渋の決断で私は小学校の卒業式を選びました。試着して、丈があっていることを確かめます。若干だぼつきましたが、気のせいです。気のせいと思うことにしましょう。


 店を出た私は、衣装屋の紙袋を手にショッピングモールの一階に向かって歩き始めました。


 はぁ、気が重いです。なんで私がこんな目に。重い足を引きずって進んでいくと、フードコートのそばを通りがかりました。ソフトクリームの看板が光っています。


 ……ちょっとぐらい休憩してもいいのではないでしょうか。もちろん食費なので経費です。これから困難に立ち向かうのですから多少のご褒美を前払いにしてもいいのでは――


「うわーーーん、おかあさんーーー!!」


 けたたましい泣き声がすぐそこで響き渡り、私は大きく肩をはね上げました。目を向けると、一人で泣きじゃくる幼児さんの姿が。


 び、びっくりした……。ただの迷子ですか。


 通りがかる人たちはちらちらと少年を見ては、歩き去っていきます。まあ、そんなものですよね。人間、面倒なことには関わり合いになりたくないものです。


 実際、私もそのまま通り過ぎようとしました。しかし少年を追い越した私の背後から、柔らかなその声は聞こえてきたのです。


「僕、大丈夫? おかあさんは?」


 聞き覚えがあります。聞かなかったことにしたいです。でもそういうわけにもいかないですよねえ。私は顔をゆがめたまま、そろそろと振り向きました。


 そこには予想通り、しゃがみこんで少年と目を合わせる好青年の姿が。


「大丈夫だよ、お兄さんと一緒に迷子センターに行こうね」


 ウワーッ! 頂上葉佩!


 振り返った私と顔を上げた頂上さんの目がばちりと合いました。頂上さんはちょっとだけ驚いたような顔をすると、すぐに人の好さそうな笑顔に戻ります。


「奇遇だね、バンビちゃん」


 偶然じゃないですよね頂上さん。


 いや待てよ? さっき驚いた顔をしたということは本当に偶然なのですか? こんな運命の出会い要らなかったんですが?


「じゃあ行こっか。迷子センターはえっと……」


 どうしましょう。このまま見送ってもいいのですが、というか見送ってしまいたいのですが、悪の根源がここにいるのです。なんとかうまく立ち回って、警察に確保してもらえれば、一連の事件は一瞬で解決するでしょう。


 でもうーん……。


「もしかしてバンビちゃんも迷子? 一緒に迷子センター行く?」


 だっ、誰が迷子ですか! こちとら成人女性ですよなめてるんですか、なめてますよね!?


 キッとにらみつけてやりますが、頂上さんはにこにこと笑うばかりです。くっ、この笑顔魔人の顔をぶん殴りたい……。


「ええと、迷子センター、迷子センターはっと」


 頂上さんは案内板をのぞき込んで、迷子センターを探し始めました。私は素早くスマホを取り出すと、狸さんにメールを送ります。



『アポタショッピングモールで頂上発見。すぐに来い』



 スマホをしまい、頂上さんの背中を見つめます。関わりたくない。本当に関わりたくないです。ひばな、おうち帰りたい!


 でもここで引いてしまったら、危機を先延ばしにするだけなのです。勇気を出してひばな! 大丈夫! あなたならできる!


『……迷子センターはこっちだ』


 頂上さんの横に行って、ぼそりとつぶやきます。そのまま逃げるように彼を先導して歩き始めました。


「案内してくれるの? ありがとう」


 お礼を言われたくないです。本当はこんなことしたくないんですよ! これは時間稼ぎ。時間稼ぎです!


 迷子センターは二階のすみっこにありました。担当のお姉さんに少年を引き渡し、放送を入れてもらいます。ほどなくして少年の母親は慌ててやってきて、彼を引き取っていきました。


「よかったね。もうはぐれちゃだめだよ」


 にこにこと笑いながら頂上さんは手を振ります。少年はそれに笑顔で応えていました。


 そして残されたのは私と頂上さんです。隣り合って壁にもたれています。


 うぐぐぐ。気まずい。逃げ出したいです。でもこのままでは警察から逃げられてしまいます。それは困る。時間稼ぎ。時間稼ぎですよ、小鹿ひばな。


 何か、何か話題を! 話題神様! 今だけでいいので私に力を!


「何かな、バンビちゃん?」


 ちらちらと様子をうかがっているのがバレたのか、頂上さんは向こうから話しかけてきました。


 ひぃっ、あなたにバンビ呼ばわりされたくないです!


 私はぐるぐると目を泳がせながら必死で考え、頂上さんの観察をし――ふと思いいたってしまったことを口に出しました。


『頂上葉佩。お前、無理してるだろう』


 言ってしまってから、慌てて口をふさぎます。しかし、一度出してしまった言葉はなかったことにはできません。


「ん? 無理って?」

『だからその、そうやって人助けとか』

「ああ、僕が無理をして善行を積んでいるって言いたいのかな?」


 完璧な笑顔で頂上さんは尋ねてきます。うう、これは最後まで言わないと拘束され続けるパターンですね。これまで幾度となく失言をし続けてきた私が言うのだから間違いありません。


 私は胸を押さえて大きく息を吸い、なんとか彼の顔を見上げました。


『それもそうだ。だが、悪行にも言えることだろう』


 考えてみれば、彼は行動も思考もちぐはぐなのです。


 世界があるから悪を為す?

 水無瀬のライバルになりたい?


 彼は何を思って悪を為し、何を思って善を為しているのか。そこまではわかりません。でも――


『善も悪も行うのは力がいるものだと過去に言ったらしいな』


 ぴくりと頂上さんの指先が動きます。


『お前は罪悪感があるのに、わざわざ悪を行っている。やりたいわけではないのに善も悪もわざわざ行っている。違うか?』


 頂上さんは答えません。


『さっさと諦めたほうがいいんじゃないか、頂上葉佩』


 私は大きく息を吸い込み、彼に宣告しました。


『お前はどこまでも『ただの人間』だ』


 沈黙。沈黙です。周囲の雑踏の声ばかりが響いています。たっぷり五回は呼吸をした後になって、頂上さんは地を這うような低い声を発しました。


「……へぇ」


 ぶわっと冷や汗が噴き出ます。


 し、しまった!


 やってしまいました。彼、大切なものが欠落した人でなしじゃなくて、感情豊かな人間でした!


 おそるおそる頂上さんの顔を下からのぞき込もうとしました。ほんの一瞬だけ表情が消えた顔をした頂上さんが視界に入りましたが、すぐにそれは掻き消え、いつも通りの笑顔に戻りました。


「興味深い見解だね。参考にするよ」


 参考にしなくていいです。今すぐ忘れてください。


「僕、そろそろ行くね。じゃあね、バンビちゃん」


 あっ、待って! 待ってください! 警察があとちょっとで来るかもしれないのに!


 私の無言の要求は無視され、頂上さんは軽い足取りで去っていきました。私はその背中を見送り、一気に脱力して息を吐きました。


 逃げられてよかったのやら悪かったのやら。


 頂上さんの本心もわからずじまいです。


 でも、あんなに物分かりよくすべてを飲み込めるというのも稀有な才能でしょう。だけど、そんなことをしているから、ここまでこじれてしまったのでは?


 私はもう一度大きくため息をついて、衣装の入った紙袋を持ち上げました。


 まあいいでしょう。私は私にできることをやって、さっさと平穏を取り戻すとしますか。

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