頂上葉佩はやはり人間である

第26話 妙度都築

 真っ黒な礼服を着て、僕は座っていた。妹のすすり泣く声が、どこか遠くで聞こえてくる。


「事故らしいわよ」


 違う。


「お子さんを残していくなんて無念だったでしょうねえ」


 違うんだよ。


「お母さま、まだお若いのにねえ」


 あれは全部僕のせいで。

 膝の上で、痛いほどこぶしを握りこむ。じわっと涙が浮かび、やがてぼろぼろとこぼれていく。


 しゃくりあげる。誰かが×××くれるのを待ち続ける。大人たちは父と僕と妹を遠巻きで見るばかりだ。父も、誰も、僕を××ない。


 ねえ、誰か、僕を。

 だれか。





 爆弾魔事件から、二週間が経ちます。皐月月斗は無事に捕まり、事件は収束を向かえました。


 かくして私たちは一応の平穏な生活を手に入れたのです。悪の根源たる頂上葉佩の消息は一向につかめないままですが。


 まあ、そんなことより今の私には気にしなければいけないことがあります。いえ、本当は無視したいところなのですけれど。


 来客用の椅子のそばに、スーツ姿の狸さんは立っていました。そわそわして、所在なさげです。


 気持ちはわかりますがね。あんな事件をしでかした後です。解雇されても仕方ないところを、早々に謹慎を解かれて私たちへの連絡係に任命されてしまったのですから、居心地が悪いのも納得です。


 ですが、そんなことは彼の事情。私の事情とはお話が違います。


 私は所長椅子からぴょんっと立ち上がると、狸さんに歩み寄って、その腹に思い切り腕を突きこみました。


 パペットパンチ!


「ふぐぅ!」

『狸、うざい』


 ここは我が事務所。私の城なのです。そんな辛気臭い顔をされてはこちらの気がめいってしまいます。


『うじうじするな。仕事だろう』


 狸さんはそんな私をじっと見ると、ほとんど泣き出しそうな表情でうつむきました。


「……ありがとうございます」


 馬鹿ですね、狸さん。お礼を言われるようなことはしていないですよ。


「バンビさん、暴力はよくないよ」


 そんなことを言いながら、水無瀬は来客用のソファに寝転がっています。


 無駄に長い足が余っています。腹立たしい。へし折ってやりたいです。


 しかし、私がゆらりと水無瀬に歩み寄ろうとしたのと同時に、入口のドアががちゃりと開きました。


「ただいまぁ」


 間延びした女性の声です。聞き覚えがあります。カツカツとハイヒールが床を叩く音が響き、予想通りの人物がパーテーションの向こう側から姿を現しました。


「やあ私だ。妙度都築みょうどつづきだ」


 ひらりと手を振ったのは、気が強そうな妙齢の女性でした。つややかなポニーテールに真っ赤なルージュ。完璧美女といっても過言ではありません。


『は? お帰りなさい、妙度さん?』

「やあやあ、全く久しぶりだね、カナリアちゃん」


 妙度さんは私に歩み寄り、ぎゅっと私を抱きしめてきました。うぐう。豊満な胸が顔に当たって苦しいです。


 というか彼女が何故ここに? 疑問符を浮かべているのは私だけではありませんでした。


 水無瀬も狸さんもきょとんと目を丸くして、我が物顔で事務所に入ってきた妙度さんを見ています。


 私は妙度さんの腕の中から抜け出すと、水無瀬を軽く睨みつけました。


『……水無瀬、お前は会ったことあるだろう』

「へ?」

『ほら、お前と私が再会した時の』


 数秒の沈黙。水無瀬は視線をさまよわせて記憶をたどり、ようやく思い至ったのか、ぽんと手を叩いて笑顔になりました。


「ああー、あの時のオバさ――ぎゃっ!」


 はめていたパペットを思わず全力で投げてしまいました。見事に命中した水無瀬はソファから転げ落ち、顔を押さえて悶絶しています。


 お、お前っ、死にたいのか馬鹿水無瀬!


「はは、オバさんとは手厳しいね」


 見た目は朗らかに笑っていますが、私にはわかります。臆病者センサーがびしばし反応しているのです。これ以上余計なことを言えば、文字通り死あるのみです。


 私は慌ててパペットを拾い、まだ事態がつかめていない狸さんに向き直りました。


『彼女は妙度都築さん。この探偵事務所の前所長だ』

「妙度都築だ。よろしくね」

「え? ああはい、田貫弓道です」


 右手を差し出され、狸さんは素直にその手を握り返しました。あーあ。


「いででででで!」

『妙度さんの握力は並の成人男性以上だぞ』


 ぎりぎりと手を握り締められた狸さんは、慌てて妙度さんから距離を取りました。怯えにも似た視線を狸さんから向けられているというのに、彼女は悪戯っぽく笑うばかりです。


「ふふ、私は元歴戦の傭兵なのさ。今は探偵もやめて世界中ふらふらしていたのだけどね」


 本当なんですかねえ。腕っぷしが強いのは確かなんですが、この人の言うことはいまいち信用できません。何もかもが嘘くさいのです、この先代は。


 まさに歩く理不尽。歩く自然災害。美女の形をした怪獣。知性のある腕っぷしゴリラ。学名、ゴリラゴリラ。


 ガンッと頭上から衝撃が降ってきました。


「いっだっ!」

「今、失礼なこと考えただろう」


 妙度さんはこぶしを握り締めて、笑顔で私を見下ろしてきます。

 なんで! ゴリラは優しいはずなのに!


「優しいだろう。私が本気を出したら、今頃君はスプラッタだよ」

『ひっ……』


 怖い! うちの師匠がこんなに怖い! あっ、元からかこの悪魔!


「ふふん。よいしょ、お茶」


 足元にいる水無瀬を踏みつけて、妙度さんは来客側のソファに腰かけました。私は慌てて紅茶のカップと一番高級なティーバッグを取り出してきます。


『どうぞ』

「ん」


 綺麗にネイルが塗られた指先でカップを摘まみあげ、紅茶を一口。私は彼女の向かいの席に腰かけました。


『今日はどうしたんですか? 探偵は廃業したのでは?』

「んー。実は私に依頼が来てね」

『依頼……?』


 探偵を廃業したというのに依頼とはおかしな話です。一体誰がどんな依頼をしたというのでしょう。妙度さんはカップを揺らしながら答えました。


「頂上葉佩からだ」


 私は目を見開いて妙度さんを見ます。彼女はまるでお茶目なことを言うかのようににこっと笑いました。


「うんだから、今日来たのは宣戦布告なんだよね」


 え? 何? 宣戦布告? 何ですって?


『……冗談ですよね?』

「まさか。私は本気も本気さ」


 うう、嘘か冗談であってほしかった……。でも、なくもない話なのです。彼女は報酬さえ受け取れば何でもやる人なのですから。


 問題はどんな手を使ってくるかですが――


「一週間後、私は東京を地獄に変えるよ」


 こともなげに言われた言葉を、とっさに理解できずに私は固まります。それはそばで聞いていた狸さんも同様のようでした。


「人質は全都民900万人だ。君たちはそれを阻止するために奔走するといい」


 にまーっと弧を描いた唇に言葉を失っているうちに、妙度さんは紅茶を飲み干して、ソーサーにカップを戻しました。


「ごちそうさま、美味しかったよ」


 妙度さんは立ち上がり、水無瀬をもう一度踏みつけてから、去っていこうとしました。そんな彼女の目の前に、硬直から解けた狸さんが慌てて飛び出します。


「妙度都築さん。重要参考人としてあなたを――」

「ふふ、今ここで捕まえてみるかい? 私は強いよ?」


 そのままカツカツとハイヒールを鳴らして立ち去ろうとする妙度さんの肩を、狸さんは掴もうとし――次の瞬間、宙を舞って床にたたきつけられました。ひえ。痛そうです。柔術か何かですかあれ。


「じゃあねカナリアちゃん。日本の命運は君にかかっているぞ!」


 妙度さんはカラカラと笑いながら、ドアの向こう側へと消えていきました。遠ざかっていく足音を聞きながら、私は頭を抱えます。


 ああ、なんてことでしょう。なんということをしてくれたのでしょう頂上葉佩。


 私たちは、最強の人でなしを敵に回してしまったようです。

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