第25話 安心しろ
私たちは軽自動車を使って山を下り、最寄りの駅のベンチで小一時間待っていました。
「あ、狸から電話だ」
おや、意外と早かったですね。もしかしたら、事態が動くのはここに電車が来るより先かもしれませんよ。
「もしもーし?」
間延びした声で水無瀬は応答します。そして一言二言会話をした後に、私にも聞こえるようにスピーカーホンに切り替えました。
水無瀬、お前そんな知能があったのか!?
「マンションに爆弾が仕掛けられているそうです」
単刀直入に狸さんは切り出しました。
「屋上で待つ。ほかに警察を呼んだら爆破する、と」
狸さんは深刻な声色で言います。ははあ。なるほど、何が言いたいのか分かってきましたよ。
「奴は俺を呼び出しています」
十中八九そうでしょうね。あの配信の時の挑発から考えるに、皐月さんが見たいものは、まさに狸さんのような人間でしょうから。
『行くのか』
「はい」
『勝算は』
「ありません」
私は軽くため息をつきます。これは、梃子でも動かない人間の喋り方です。
「ですが、俺が行かないとダメなんです。俺が、先輩の仇を取らないと」
『そうか』
狸さんはちょっと沈黙した後、ぽつりと言いました。
「小鹿さん」
『なんだ』
「きっと俺は失敗します」
『そうだろうな』
「俺が死んだあと、あいつを殺してくれませんか」
『身勝手な願いだな』
「……すみません」
私たちが的確に対応すれば、きっといつか皐月さんは破滅するでしょう。ですが、それでは収まらないのです。『人間』にはそういう時があるのです。
「俺は現場に向かいます。できるだけ隙を作るので、後は頼みます」
一方的な言葉の後、ぷつりと通話は途切れました。私は目をつぶってから水無瀬にスマホを返しました。
……はぁ。隙を作るのはこちらの得意分野なんですがね。
まあ、せいぜい、こちらが早く着くことを祈っていてくださいね狸さん。
狸さんに教えられた場所は、都内にある高級マンションでした。その屋上が、狸さんを待ち構える爆弾魔がいる決戦ステージなのです。
きちんと清掃がされたエレベーターに乗り込み、最上階に向かいます。十数秒の沈黙の後、チン、と音が鳴ってドアが開きました。
私たちは屋上に続く階段を上り、半分開きっぱなしになっていたドアに手を触れかけ――ぴたりと止まりました。ドアの向こう側から、勝ち誇った皐月さんの声が響いてきたのです。
「さあ、お前はどうする?」
おおっと。既に状況は始まって盛り上がっているようです。ここは静観ですかね。
そーっと隙間からうかがうと、狸さんと皐月さんは向かい合って立っているようでした。皐月さんの手には爆弾のスイッチ、狸さんの手には拳銃が握られています。
狸さんはゆっくりと拳銃を持った腕を持ち上げて、その照準をぴたりと皐月さんに向けました。
「ほう、大多数の人間の命よりも己の復讐心を優先するのか」
皐月さんは可笑しくて仕方がないと言いたそうに顔を歪めました。対照的に狸さんの顔は憎しみと怒りで歪んでいます。
「おめでとう。これでお前も『人でなし』の仲間入りだな、正義漢!」
狸さんの指に力がこめられます。皐月月斗はにやにやと笑っています。
パン、と破裂音が響きました。
――私のすぐ隣から。
慌てて振り向くと、片手で銃を構えた水無瀬の姿が。
「あ、外しちゃった」
水無瀬ェーーーーー!?
えっ、なんで今撃ったの?
その疑問は声に出ていたらしく、水無瀬はこてんと首を傾げました。
「犯人倒そうと思って?」
『自信がないなら撃つなバカ!』
「漫画ならこれでうまくいくもん!」
『漫画ならな!』
ぎゃいぎゃい言い合いながらも、状況を把握しようとします。狸さんは肩を押さえ、皐月さんはスイッチを持っていた手を押さえています。
え? まさか狸さんと皐月さんの武器を両方無効化したんです?
「チィッ!」
派手な舌打ちをして、皐月さんは私たちのほうに駆け出しました。慌てて道を譲ると、そのまま下階へと逃げていきます。数秒遅れて怒りの形相のままの狸さんが、肩の傷も気にせずに彼を追いかけていきました。
ああ、こうなってしまっては私たちにできることはありません。体力ありませんし。戦闘力もゼロですし。
十二階建てのマンションの階段を、私たちはゆっくりと降りていきます。下のほうでは激しく争う音が響いています。
あ、そうだ。もう爆弾も大丈夫でしょうし、警察呼んでおくとしますか。
自分のスマホをぺぺぺっと操作して、手早く110番に通報です。
その時、下の方から、ドサッと何かが落ちる音が響いてきました。
吹き抜けになっている階段から中庭を見下ろすと、どうやら狸さんと皐月さんはもみ合いになって中庭に落下したようです。幸いにも二人とも木の上に落ちて、死んではいないようですが。
皐月さんは倒れたまま動きません。対する狸さんは、ふらふらと立ち上がって皐月さんへと歩み寄っていきました。
狸さんは皐月さんに馬乗りになると、その首に両手をかけました。指にぐっと力を籠めようとしています。
ちょうどそこで私たちは一階にたどり着きました。
『殺すのか?』
パペットをぱくぱくしながら狸さんに問いかけます。狸さんは動きを止めました。
停止すること数秒。
……狸さんの中では、何かの葛藤があったのでしょう。私は狸さんではないので分かりませんが。
狸さんは顔を伏せたままゆっくりと、彼の首から震える手を離しました。そして皐月さんの上からどくと、手錠を取り出して彼の手首にかけます。
「皐月月斗、お前を逮捕する」
がしゃん、と音を立てて手錠は閉まります。
ああ、やっと終わりました。これで爆弾だなんて物騒なものに関わり合いになることもなくなるわけです。よかったよかった。
ふと見ると、狸さんはすっかり力が抜けてしまったようで、皐月さんのすぐそばでへたり込んでしまっていました。その目はうつろで、葛藤と後悔がないまぜになった色をしています。私は、ハァと一つため息をつきました。
まったく、仕方ない人ですね。
私は人でなしですが、血が通っていないわけではないですからね。ここは少し声をかけてあげますか。
私は狸さんに歩み寄ると、彼の前に膝をつきました。
「安心しろ、狸。田貫弓道」
狸さんの頬を両手で包み込んで、目を合わせます。
「復讐しようなんて思うのは、『人間』だけだ」
狸さんはぐしゃっと顔を歪めると、私にすがりつくような形で肩を震わせ始めました。
私には狸さんを救える腕なんてないんですがねえ。
まあ、いいでしょう。知人ではありますし。今回はサービスです。
「今は泣いておけ」
狸さんの頭をぎゅっと抱きしめると、彼はうなるようにして泣き始めました。
ああもう。後味がいいのやら悪いのやら。
一つだけはっきりしているのは、悪いのは頂上葉佩。あの男をなんとかしなければ、私たちに平穏は訪れないということでしょう。
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