小鹿ひばなは人間だった

第29話 お見合い

 小さな私は、狭い部屋に放置されていました。


 大人たちは遠い親戚のおばあさまの結婚式の準備だとかで忙しそうです。私は邪魔なので、式場の隅にある託児所というやつに置き去りにされているのです。


 託児所には私一人でした。部屋の隅におもちゃ箱は置いてありますが、遊ぶ気にはなりません。


 一人で遊ぶのは寂しいです。一人で遊ぶぐらいなら何もしない方がマシです。


 託児所はしんと静まりかえっています。私はその壁にもたれかかって、うとうとしていました。


 しかしその時、バタバタと何者かが廊下を走ってくる音が聞こえてきました。


 な、何事ですか!?


 慌てて飛び起き、入り口に目をやります。バターン! と勢いよく引き戸が開きました。


「こんにちはー!」


 満面の笑みでやってきたのは、学ランを着たお兄さんでした。満面の笑顔です。


 そういえば親戚の集まりで、遠くに見た気もします。もしかして邪魔だからここに追放されてきたのでしょうか。私よりずっとお兄さんなのに。


 お兄さんは私を見つけると、飛びつくように私の前に突進してきました。ふかふかの地面にほとんどスライディングする形です。


「あのね、僕は水無瀬片時。君は?」

「……こ、小鹿ひばな、です」


 勢いにドン引きしながら思わず答えてしまいます。


「そっか! じゃあバンビちゃんだね!」


 水無瀬さんは私の両手を取ると、ぶんぶんと縦に振りました。


「よろしくね、バンビちゃん!」





 ゆっくりと目を開きます。事務所の所長机に、窓から昼のうららかな日差しが差し込んでいます。


 ……懐かしい夢を見ました。妙度さんと再会したせいでしょう。


 記憶というものは様々な出来事に紐付けされているのです。妙度さんに利用されていた時期はそれはもう色々なことがありましたから、色々なことを思い出すのも当然というものでしょう。


 事務所は珍しく静まり返っています。水無瀬がふらふらと外出してしまっているのです。いえ、あいつはここにいないのが普通のはずなんですがね。


 私は深呼吸をしました。


 こんなに静かな空間は久しぶりです。もののついでに、たまには過去に想いを馳せるのもありですかね。


 思考整理というやつです。こういうことをしておかないと、人は無駄なこだわりに固執して道を踏み外してしまうという説もあります。


 まあこれも妙度さんの教えなんですが。


 私はパペットを外したまま、所長の椅子に体を預けました。


 そう、これはむかしむかしのお話です。





 目の前で幼児が泣きじゃくっていました。


 ここは児童養護施設というやつです。分かりやすい言い方をすれば孤児院と言ってしまってもいいでしょう。


 私は自分も育ったこの施設で、子守のアルバイトをしているのでした。


『ほら泣くな。くまさんが遊んでやる』

「くまさん!」


 幼児の頭にガブガブとパペットを噛みつかせると、彼は途端に機嫌を治しました。ちょろいです。


 私は今年18歳です。身寄りも頼るあてもない私は、結局誰にも引き取られることなく今に至ってしまいました。


 別にいいんですがね。そりが合わない義父母と一緒に暮らすよりは、比較的放任主義なここで、こうして細々とアルバイトをしている方がずっとマシです。


 ……いつかはここを出て、社会で生きていかなければならないんですがね。でもそれはまだ今ではありません。今はモラトリアムもどきを享受させてもらうとしましょう。


 ただし、そんな私にも悩みの種というものはあります。今まさに近づいてくる廊下にヒールが当たる音とか。


 ノックの一つもなく、勢いよくお遊戯室のドアが開きました。現れたのは、気が強そうな長身の美女です。


「やあ、カナリアちゃん。いるかい?」

『いません。外出中です』

「ははは、堂々とした居留守だね」


 笑いながらやってきたのは妙度都築さん。最近になってこの施設に出入りするようになった謎の人物です。


 風の噂によれば探偵だとか、傭兵だとか、はたまた殺し屋だとか。


「さあ行くよ、カナリアちゃん!」

『私にはここで子守をする任務があります』

「園長先生にはもう話は通してあるよ」


 ぐっ。この人、園長先生の弱みを握ってるみたいなんですよね。私を売るなんてひどいです。先生なんて箪笥の角で小指をぶつけてしまえばいいんです。


「君がいないと困る案件なんだよ。ね、危機察知能力に秀でた鉱山カナリアちゃん」


 そう、妙度さんは私を鉱山カナリアとして利用しているのです。つまり、危険かもしれないところに私を突っ込んで安全を確かめているという。


 人間の所業ではありません。この人でなし!


『私がいなくても、妙度さんは何でもできるでしょう』

「馬鹿だなカナリアちゃんは」


 やれやれと妙度さんは首を横に振りました。


「さすがに私も爆弾が仕掛けられた豪華客船に閉じ込められたりしたら死んでしまうよ」


 なんですかその限定された状況。


「リスクマネジメントというやつだよ。君も重視していくといい」


 なるほど。で、それをわざと危険地帯に突っ込ませる相手に言うのは皮肉か何かですか? 勘弁して欲しいんですが?


「もちろん報酬は払うとも」

『うっ……』


 彼女は金払いがいいのです。これから独立していく私にとってお金は大事です。一応少しずつこの施設に恩返しをしたいという気持ちはありますし。


 すなわち、私には最初から拒否する権利はないということです。


『それで、今回は何をさせるつもりなんですか』


 大きくため息をついた後、私は妙度さんに問いかけます。彼女は指を唇に当てて、首をかしげました。かわいこぶっています。


「ん。実は君にお見合いしてもらおうと思って?」

『は?』


 いつも突拍子もないことを言い出す彼女ですが、今日のは輪をかけて意味不明です。妙度さんはまるでおばちゃんのようにパタパタとこちらを手で扇ぎました。


「大丈夫大丈夫。相手はちゃんと地位のある警察官らしいから」

『え?』

「もののついでにハートを射抜いてきてもいいんだよ? 公務員は結婚相手として人気だしね!」

『え?』





「うぅ、どうしてこんなことに……」


 誰にも聞こえないような小声で嘆き、膝の上で握りしめた拳を見つめて歯を食いしばります。泣きそうです。


 現在の私の服装は和服でした。浴衣とかそういったレベルではありません。おしとやかな深窓の令嬢が着るようなアレです。


 顔にも分厚く化粧が施され、かろうじて結婚が可能な年齢に見えるようになっていました。妙度さん謹製です。こんなところで本気出さないでお願いですから!


 結局私は流されるままに、お見合い会場に連れてこられてしまっていました。


 妙度さんが何を思って私をここに連れてきたのかはわかりません。でもきっとロクでもないことに決まっています。


 パペットも取り上げられてしまいましたし、本当に最悪です。ひばな、お家帰りたい。ここで泣き始めたら、お見合い中止になりませんかね。さすがに無理ですかね。


「お待たせしました。お相手様がお見えです」


 静かに襖が開いて、仲居さん的な方がお相手様を案内してきました。私の内心は大荒れです。


 ウギャーッ! 来ないで! お見合い相手さんこっち来ないで!


 細かく震えながら手元を睨みつけ続けます。低い机を挟んだ向こう側に、お見合い相手さんが座る音がしました。


 うう、帰りたいです。でもせめて敵は確認しなきゃですよね。私は恐る恐る顔を上げ――


「……え」


 間抜けな声を上げて固まりました。


 そんな私の様子に気づいていないのか、お見合い相手はぺこりと頭を下げます。


「初めまして、僕は水無瀬片時」


 お行儀よくしているはずなのにどこかふらふらした印象を受けるその姿に、私は見覚えがありました。忘れたくても忘れられない強烈な印象が脳裏をよぎります。


 彼は首をかしげると、ふにゃっと笑いました。


「ええっと、本日はお日柄もよく?」

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