第31話 便利グッズ

 ある日、火事がありました。火を放ったのは姉でした。


 全て燃えてしまいました。私の家族も、居場所も、数少ない思い出も、すべて炎に飲み込まれてしまいました。


 最後の最後、姉が何を思ったのかはわかりません。娘であり妹でもある私への憎悪だったのか、それとも愛情だったのか。


 私だけを逃がそうと手を引いていた姉は、崩れてきた天井に押しつぶされて死んでしまいました。その時掴んでいた私の手に、くっきりと残る指の形をした火傷を残して。


 でも、これなら隠せば問題ないでしょう。手袋とか、方法はいくらでもあります。生きていく上で、何の支障もありません。


 私が学校にも通わずに閉じ込められていたのと同じように、そんなことは些末な問題なのです。


 それよりも火事のせいで、今の私は何かが変わってしまった気がします。


 何なのかはわかりませんでしたが、なんだかおかしいな、というのだけは理解していました。


 あの火事の直後から、どうにも全てにもやがかかっているみたいに、他人事のようなのです。


 お医者さんが私に声をかけてくれました。警察さんがずけずけと話を聞いてきました。何か返事をするべきなのでしょう。ひどいことを言う警察さんに怯えたり怒ったりするべきなのでしょう。


 実際、警察さんに変なことを聞かれたら嫌だなあという気分ではあるのです。


 怖いのは嫌です。痛いのは嫌です。きっと生きていたいし、死にたくないのです。


 でも、それだけでした。




「ショックで口がきけなくなって……」

「大丈夫よ、もう怖いものはないからね」

「君のお母さんのことだが……」

「刑事さん! そんなひどいこと、聞かないでください!」

「ですが……」

「ここは病院で、私は医者です。さあ、出ていってください!」




 何も、私を揺さぶることはありませんでした。


 もともとぼんやりした子だとは家族から言われていましたが、輪をかけてぼんやりしてしまったようです。


 私はしばらく、ぼんやりしているか、眠っているかのどちらかだけで過ごしていました。一日が始まって、終わって、また始まる。それの繰り返しです。


 そんな私の毎日を切り裂いたのは、バタバタと廊下を走る騒々しい足音でした。


「バンビちゃん、元気!?」


 病室の引き戸を勢いよく開けたのは、寝癖があちこちに跳ね回った水無瀬お兄さんでした。追いかけてきた女性が彼の後頭部を勢いよく叩きます。きっと水無瀬さんのお母さんです。


「あのね、片時。私たちはお見舞いに来たのよ?」

「うん!」

「遊びに来たんじゃないのよ?」

「えっ? バンビちゃんと遊ぶつもりで持ってきたのに……」


 水無瀬さんは紙袋を持っていました。水無瀬さんのお母さんは額を押さえた後、仕方なさそうな口調で言いました。


「わかったわ。ひばなちゃんと遊んであげて。でも泣かせたりしたらダメよ?」

「はーい!」


 元気なお返事です。本当にわかっているのでしょうか。


 お母さんは病室に入らずにどこかに行ってしまいました。解き放たれた水無瀬さんは、飛びつくような勢いで私がいるベッドに近づきました。


「あのね。僕、バンビちゃんと遊ぶの楽しみにしてたんだ! だって僕はお兄さんだからね!」


 どうやらおままごとの設定をまだ引きずっているようです。気に入ってくれたのでしょうか。私はまだぼんやりした気分で、ベッドに膝を乗せた水無瀬さんを見上げました。


 水無瀬さんは持ってきた紙袋をガサゴソとあさると、その中から不細工なくまさんのぬいぐるみを取り出しました。


「ほら、パペットだよ! 遊ぼう!」


 パペットに手を突っ込んで、私の前でぱくぱくと動かします。私はパペットと水無瀬さんを交互に見ました。


「ほら、がぶーっ! くまさんお兄さんだぞー!」


 そんなことを言いながら、水無瀬さんはパペットで私の頭にがぶがぶと噛み付いてきました。私はされるがままになっていましたが、何の反応も返せませんでした。


 私が動かないのを見て、やがて水無瀬さんは首をかしげました。


「なんで笑ってないの?」


 その言葉に責めるような感情はありませんでした。ただ、単純に疑問に思っているだけなのでしょう。それでも私が返事をしないと、そわそわと私を見回した後、しょんぼりと肩を落としました。


「言ってくれないと分からないよ……」


 泣いてしまいそうな、情けない声でした。今までのハイテンションからは考えられないほど、しおれた様子です。


 本当に彼は私と遊びたいだけだったのでしょう。私は自然と、自分の頭に噛み付いてくるパペットに手を伸ばしていました。


 もふっとした感触が手のひらに触れます。温かいです。とても。私は目を細めました。


「……みなせ、おにい、ちゃん」


 久々に声が出ました。驚きです。


 私の声に、水無瀬さんはパッと表情を明るくしました。


「うん、お兄さんだよ! そりゃーっ!」


 水無瀬さんは手にはめたパペットを、さらにぐるぐるぶんぶんと動かしました。それは不思議と嫌な気分じゃなくて、私はパペットの手を命綱のようにぎゅっと握っていました。


 やがてお母さんが迎えに来た時、水無瀬さんはパペットを私に押し付けてきました。


「そのパペット、あげるね」


 思わず受け取ります。本当に不細工なパペットです。


 水無瀬さんはにこっと私に笑いかけてきました。


「きっとパペットが君を笑顔にしてくれるよ! 前もそうだったし! きっと、多分ね!」





 目をさますと、真っ暗な空間でした。体を起こそうとしましたが、すぐに何かにぶつかってしまいました。どうやらとても狭い場所に閉じ込められているようです。下から聞こえてくるこれはエンジン音でしょうか。


 私は唐突に状況を把握しました。


 あっ、これ車のトランクに詰められてますね? 誘拐って奴ですね?


 大きなため息をひとつ吐きます。


 ……はぁ、きっとこれが妙度さんが予期していた展開なのでしょう。おびき出した犯人を私が臆病者センサーで探し出す、と。そういう算段だったのですね。きっと。


 でも、どうやら臆病者センサーが誤作動を起こしていたようです。身に迫る危機に全く気付きませんでした。動揺が影響するなんて、使えない能力です。


 何もできないまま私はどこかへと運ばれ、ちょっと眠くなってうとうとしてきたあたりで、車の振動は収まりました。


 おや、どうやらどこかについたようです。


 トランクから引きずり出された私は、逃げ出す隙も与えられず、手首にがしゃんと手錠をかけられました。でも歩きづらいので、後ろで拘束されなくて本当によかったです。


 前後を武装した男性に挟まれ、私はおとなしく彼らについていくことにしました。これは逃げられないという判断です。こんなところで冒険をする勇気はありません。


 私が連れてこられたのは、どこかの山奥にある山荘のようでした。ほとんど御殿のような造りです。


「いらっしゃいお嬢さん」


 山荘の奥で待っていたのは、強面の男性でした。筋骨隆々のスーツを着たおじさんです。どう見てもヤクザです。


「お嬢さん、君は人質だ。君と引き換えに、警察に拘束されている同志を解放するよう君の御父上に要求している」


 同志。同志ときましたか。


 うわー、なんか面倒なことに巻き込まれてしまった感じですねー。


「ちなみに要求が飲まれない場合、君の指を切り取って、一本ずつ彼らに送るつもりだ」


 え、いやだ……。ひばなもうおうち帰りたい。


 私がドン引きして黙っていると、リーダーらしきその男性は怪訝そうに眉をひそめました。


「怯えないのか。意外と肝がすわってるんだな」


 一瞬考えて、その言葉の意味を理解します。なるほど、この方々は私に怯えてほしかったんですね? 征服欲ってやつですか?


 でも残念ながらそういった趣向に乗ってあげる義理はありません。


「怯えろと言われましても、はあ、そうですか。としか」


 素直な一言に、周囲の暴漢たちはたじろいだようでした。何ですか。私、何も変なこと言ってませんよ。


「……死ぬのが怖くないのか」

「えっ? 死ぬのはいやですよ? 痛いのもいやです。でも、それだけじゃありませんか?」


 一気にその場の温度が下がった気がしました。


 しまった。余計なことを言ってしまったようです。


 リーダーは立ち上がると、私にむかってこぶしを振り上げました。


「このガキっ!」


 顔に当てられた衝撃で私は床に倒れました。何が起こったのか理解する前に、頬がじんわりと痛くなっていきます。


 な、殴られました。痛い……。


「どこまでその余裕が続くか見ものだな」


 リーダーは私を見下ろしてきました。目が怖いです。完全に怒っています。


「後で命乞いをする動画を撮るから覚悟しておくといい」


 そう言い捨てると、私を放置して彼らは全員外に出ていきました。部屋のドアは閉まり、がちゃんとカギが締まった音も聞こえます。


 えー、やだー……。


 うんざりした思いになりながら、私はとりあえず体を起こしました。


 大きく息を吐きます。


 まったくとんだ大ごとに巻き込まれたものです。


 まあ、妙度さんのせいで妙な事になるのはいつものことなので、今更動揺はしませんが。


 私は右手首をひねって左手のすそに差し入れました。隠されていたバンドに刺さっていた短い工具を取り出します。


 枝切ばさみのような形状です。通販番組で「力をかけなくても簡単に切れる!」とか呼ばれそうなやつです。


 私はそれを取り落とさないように慎重に動かすと、右手と左手をつないだ手錠の鎖につけて、持ち手を地面と足の間に置いて、グッと足に力を込めました。


 バチンと音を立てて、手錠の鎖は切断されます。


 ふう。まさか妙度さんの教えがこんなところで役に立つとは。自由になった手首をぶらぶらとさせた後、私は着物のあわせの内側から小型のイリジウム携帯を取り出しました。圏外がほとんどない便利な衛星電話です。


 念のために携帯が見えないように部屋の隅に行きます。番号をぽちぽちと打った後、コール音が数回。腹が立つほど明るい声が電話から聞こえてきました。


「やあ、カナリアちゃん。私だよ」

「妙度さん……」


 私が誘拐されたというのに、彼女には特に動揺した様子はありません。人の心ってものが欠落してますね、彼女。


「現在地はどこかな?」


 私の安否も聞かないまま、妙度さんは用件だけを尋ねてきました。私は部屋を一応見回しました。窓はありません。あったとしても場所を知る方法はありませんが。


「わかりません。どこかの山奥です」

「そう。まあ、GPSで把握はしているんだけど」


 だったら聞かなくてもいいじゃないですか。


「まあでも、君は君で逃げ道を探ってみなさい。私たちがたどり着くまでにケガとかしたくないだろ?」

「それはそうですけど……」


 もごもごと口ごもった後、私は肩を落とします。


「じゃあ電話はつなぎっぱなしで行動するといい。グッドラック!」

「……わかりました。やればいいんでしょ」


 通信機を胸元の詰め物に挟み、私は部屋に向き直りました。普段は倉庫に使われている部屋のようです。ドアは一つ。窓はなし。照明は頭上に一つついているだけでした。


 とりあえず誰かが来るまで待ちましょうか……いえ、少しだけ準備しておきましょう。


 私は動きづらい着物を脱ぎ捨てると、白い襦袢だけになって、裾も動きやすいようにたくし上げました。そして、ドアのすぐ隣にある照明のスイッチをパチンと切ります。部屋は真っ暗になりました。


 本当ならこのまま助けが来るまで誰もこの部屋に来なければいいのですが。


 お願い来ないで。私を放っておいて。


 しかしこういう願いはかなわないものです。がちゃりと音を立ててカギは開き、ドアもまた開きました。


「あ? なんだ、真っ暗じゃねえか」


 やってきたのは一人のようです。見張りでしょうか。それとも拷問係? いや、そんなことはどちらでもいいですね。とにかくこれはチャンスです。


 私を探して部屋の奥に進む男の背中に私は歩み寄りました。気づかれないようにそろそろと接近して、私の膝で彼の膝裏を一撃。膝カックンです。


「うおおっ!?」


 変な声を上げながら男は後ろに倒れこみます。すかさず私は前に回り込み、彼の股の間にあるものを勢いよく踏みつけました。


「ギャッ」


 小さく悲鳴が上がりました。でもまだ足りません。


 ガンッ、ガンッ、ガンッ。


 力強く三発。


 男はそのたびにびくびくと痙攣した後、動かなくなりました。


 緊張が解け、私は大きく息を吐きだします。


 妙度さん、見てますか! 私、やればできましたよ!


「おっ、見張りでも倒したのかい? やるねえ!」

「テレパシーでも使えるんですか、あなた」


 ぼそぼそと答えながら部屋の外へと向かいます。そーっと廊下をうかがいましたが、幸いにも誰もいませんでした。私はドアを閉めて廊下へと出ると、まず窓の外を伺いました。どうやらここは三階のようです。


 さすがにこの高さから落ちたら死んでしまいます。せめて二階に降りなければ。誰にも見つからないように角では必ず壁に張り付きながら、私は探索を続けます。


 コツンコツン、と足音が近づいてきて、ちょうどすぐそばにあった部屋のドアに私は駆け込みました。慌ててドアを閉め、息をひそめて隠れます。足音の主は私に気づかなかったようで、すぐに部屋の前を通り過ぎていきました。


 張りつめていた息を吐きだし、私はうんざりした気分でつぶやきます。


「妙度さん。これ、私への訓練ですね?」


 電話の向こうでククッと笑い声がしました。


「バレちゃったか」


 額に手を当てて大きく息を吐きます。


「勘弁してくださいよ……私はあなたみたいな超人になるつもりはないんですよ」

「ははは、いいじゃないか。私の教えを受けられるなんてこんな贅沢なことはないんだよ?」

「正直言って迷惑なのでやめてください」

「あはは」


 いや、あははじゃないんですが?


 まあでも妙度さんのおかげで今まで生き延びられている節もあるので、感謝はしているんです。一応は。面倒ごとに巻き込まれたくないという一心なだけで。


「ところでカナリアちゃん」

「何ですか」

「君とあの水無瀬って男、どういう関係?」


 一瞬、息が止まりました。震えてしまいそうになる声を整え、努めて冷静に答えます。


「ただの昔知り合った仲です」

「へぇ。昔ってことは、もしかして君の家族が火事にあったことに関係してたりする?」


 この人、デリカシーってもの知らないんですかね。


 今話す必要はありませんが、なんとなく気が向いたので、私はぼそぼそと答えました。


「どこにでもあるありふれた事情があっただけですよ」


 扉に歩み寄り、ドアノブをつかみました。


「ただ、母だと思っていた人が姉だったというだけの話です」


 そして、そんな家庭を壊す引き金を、知らずのうちに水無瀬さんが引いていたらしいということだけ。


 余計なことを言ったらしいのです。彼が、母と思っていた女性に何かを話してから様子がおかしくなったらしいのです。


「ふーん、そうなんだ」


 妙度さんはやる気がなさそうに答えました。


 特に興味がないのなら聞かないでもらえませんかね。


 私がまた大きくため息をつくと、ドアの向こうから男が叫ぶ音が聞こえてきました。


「ガキが逃げたぞ! 探せ!!」


 やっば。気づかれちゃいました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る