第35話 それで済んだ話だったんだよ

 僕は昔から、良い子で悪い子だった。

 良いことも悪いこともたくさんしてきた。周囲の大人も子供もそれに騙されて、いつのまにか誰もが僕を褒めるようになっていった。

 だけど、僕にはそれがどうしようもなく××だった。


「頂上くんは良い子ねえ」

「あんなに礼儀正しい良い子も珍しいわ」


 ねえ。


「アンタは最高の悪人だ」

「アンタのためなら俺たちは何でもする」


 だれか。


「あなたならきっと素晴らしい大人になれるわ」


 どうして僕を××くれないの。


「きっとみんな、お兄ちゃんのことが好きになるもの」


 ……だれか。



 *



 目を覚ますと、床に転がされていました。


 えっ? どうしてこうなったんでしたっけ。


 混乱する頭で記憶を手繰ると、事務所であった出来事に思い至ります。そうだ……。武装した人たちと頂上葉佩に、私はさらわれたのでした。


 体をよじると、足首が手錠で拘束されているのに気づきました。手は体の前で拘束されています。


 手錠でまとめられた両手を使って起き上がります。なんだか豪華なところです。パーティ会場……いえ、社交ダンスを踊るためのホールのような趣です。


 現在地をなんとなく理解したところで、ようやく私は自分のすぐ隣にパイプ椅子があることに気づきました。そこには足を組んでうつむいた男性――頂上葉佩が腰かけていました。


 え、うわ、イケメン。


 そんな感想が第一に来てしまうほど、様になる寝顔でした。寝落ちしたのでしょうか。この男にも、そういう隙がある瞬間があるのですね。


 私の行動に気づいたのか気づいていないのか、頂上さんはぴくりと指先を震わせて、ゆっくりと目を開きました。


「……寝てた」


 ぼんやりと頂上さんはつぶやきます。やはり寝落ちだったようです。


 頂上さんは何度か瞬きをした後、起き上がっている私へと目を向けました。


「あ、おはようバンビちゃん。いい夢見られた?」


 見られるわけないじゃないですかこのスットコドッコイ。


 抗議の意味を込めてにらみつけてやります。予想通り涼しい顔です。腹が立ちます。


「はい、パペット。大事なものみたいだったから持ってきてあげたよ」


 ぽいっとパペット5号が私のそばに投げ捨てられます。ギリギリ届かない距離です。くっ、この男わざとですね!?


 というか私に何の用なのでしょう。この男が執着しているのは水無瀬なのでは? 私を巻き込まないでほしいのですが?


 なんとか彼から距離を取ろうと身じろぎをする私に、頂上さんは首を傾けました。


「うーん、君に興味がわいてね?」


 持たないでくださいそんなもの! 私が何をしたって言うんですか! ちょっとこの前二人でおしゃべりしただけ――


「君いわく、僕はどこまでも人間らしいからね」


 ゲェッ! この人、あの時のこと根に持ってるんじゃないですかー!


 内心穏やかじゃない私から、頂上さんはふっと視線をそらして、パイプ椅子の背に体を預けました。


「君の言う通り、僕は人間なんだろう」


 ぎしっとパイプ椅子がきしみます。


「人の気を引きたかったのか、人の反応を見たかったのか、それとも人を思い通りにしたかったのか、もうよく分からない」


 頂上さんは遠い目をしました。何かを――記憶をなぞっているかのように、視線がうろうろとホールを眺めていきます。


「分かっているのは、僕が良い事も悪い事もしつくしてきたってことだけだ」


 唇をかすかに動かして、こぼれるように声を発します。


「どうすればよかったんだろうね、僕は」


 それは、途方に暮れた声色でした。葛藤ではなく、困惑でもなく、ただの混乱。


 唐突に私は理解しました。


 子供です。彼は、常識と悪意の皮をかぶった、ただの子供なのです。


 私は思わず口を開いていました。


「ぶん殴っておけばよかったんだ、あんな奴」


 頂上さんはゆっくり振り向きました。私はそんな彼から目をそらし、苦い気持ちになりながら吐き捨てます。


「あの時、ぶん殴ってしまえば、全部それで済んだ話だったんだよ、頂上葉佩」


 彼はちょっとだけ黙りました。


 何かを考えたのでしょう。私にはそれを知るすべはありませんが。きっと、彼にとって重大な思考をしたのでしょう。


 彼はやがて私に笑いかけました。


「それは今の君のように、ってことかな」


 今度は私が黙る番でした。もし、彼が私の位置にいたのなら、私が彼の位置にいたのなら。こんなことにはならなかったのでしょう。だけど――


「無理だね、僕には無理だ」


 頂上さんは拒絶の言葉を吐き、私から視線を外しました。


 私は、感じてしまった感想を素直に口にしました。


「可哀想な奴だな、お前は」

「人でなしに言われたくなんかないね」


 ふふっと頂上さんは笑いました。強がりです。私にもそれぐらいは分かります。


 それからは沈黙。ひたすらに沈黙でした。


 キンと耳鳴りのするほどの静寂の後、ズズンと何かが爆発するような音が響きます。一体どういう状況なのでしょう。ろくな状況ではないことだけは確かですが。


 さらに十数分後、ホールの扉はゆっくり開きました。



「いらっしゃい、水無瀬くん」



 頂上さんはゆっくりと立ち上がって、世間話でもするかのように彼に声をかけました。水無瀬は――いつも通りの笑みを浮かべています。不気味なほど、いつも通りです。


「意外と早かったね。どんな手を使ったの?」

「んーと、妙度さんが爪を剥いだ!」


 明るく水無瀬は返事をしました。くくっと、頂上さんは喉の奥で笑います。


「ひっどいことするなあ。拷問だなんて、人間のすることじゃないよ」


 頂上さんはカツンと床を踏みしめ、数歩だけ水無瀬に近寄って腕を広げました。


「さて、僕は彼女を誘拐し、君はそれを追いかけてきた。君は今、何を感じている?」


 水無瀬はぱちぱちと瞬きをしたあと、腕を組んで考え始めました。


「んー……」


 頂上さんは口元を笑みの形に固めたまま、水無瀬の返答を待っています。水無瀬はぐーっと体ごと傾いたあと、満面の笑みで答えました。


「わかんない!」


 頂上さんの口の端が引きつりました。


 ちょっ、水無瀬ェ! 多分それ今できる限り最悪の答えじゃないですか!?


 彼は表情をなくしながら両手をだらりと下げて、水無瀬を見ました。


「そう。じゃあ……」


 自然な動作で腰に差していた拳銃を引き抜き、彼はなんとか微笑んだようでした。


「これならどうかな?」


 銃声。


 何が起きているのか分からないままに、銃口から放たれた鋭い衝撃が、私の胸を貫きました。


 あれ? 私、死んだ?

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