小鹿ひばなは人でなしである

第7話 六条子羽

 事務所の所長机で、私は領収書を貼り貼りしていました。流石にこういう細かい作業の時はパペットをすることはできません。


 真っ白な手袋をはめた右手を駆使しながら、領収書の上半分にのりをつけて紙に貼っていきます。


 面倒ですがこの作業をしなければ、警察にもろもろの食費を経費で落としてもらえませんからね。


 そして、所長机の前にある来客用のソファに、例によって例のごとく水無瀬は腰掛けていました。


 その手に握られているのはホットの缶コーヒーです。色は真っ黒。砂糖もミルクも入っていないブラックのようです。


 私はパペット代理のダンシングフラワーごしに、奴に話しかけました。


『お前ブラック飲めたのか』

「フフ、今日はブラックの気分なんだ」


 無駄にかっこつけながら、水無瀬は缶を開けようとプルタブに爪を立てます。


 カリカリ、カリカリ……。


「バンビさん開かないよこれ!」

『諦めるな』

「開けてよー、僕には無理だって」


 仕方がない男ですね。事件を壊す以外本当に何もできない無能なんですから。


 私は手渡された温かい缶をカシュッとあっさり開けました。何故これが開かないのでしょう。手先が不器用にもほどがあるのでは?


『ほら』

「わーい、ありがとう」


 水無瀬は笑顔でそれを受け取ると、ソファに戻りながら缶に口をつけました。


「あちっ」


 すぐに缶を遠ざけ、水無瀬は舌を出しています。そういえば猫舌でしたねこの男。


 水無瀬はソファにちょこんと腰かけると、ふーふーっと何度も吸い口に息を吹きかけ、ようやくその中身を口に入れました。


 ごくりと飲み込み数秒。


「フゥー……」


 大きく息を吐いて水無瀬はリラックスしているようです。しかし数十秒後、奴は私に真剣な顔で振り向きました。


「バンビさん」


 領収書から顔を上げて彼を見ます。水無瀬は今にも泣きそうな表情で顔を歪めました。


「コーヒーが苦い……」

『当たり前だろ!』


 思わず大声で叫んでしまいました。馬鹿なのか。馬鹿なんでしょうねこの男。


「うえー、飲めないよこれ」

『言っておくが私は飲まないからな。私もブラックは飲めないんだ』

「えー、バンビさんのケチ!」

『ケチじゃない』


 相手にするだけ無駄でした。責任を持って飲みなさい、馬鹿水無瀬。


 水無瀬は缶コーヒーを掲げながらソファにだらんと寄りかかりました。


「あーあ。誰かブラックが飲める人が都合よく来ないかなあ」


 その姿勢はやめろ。こぼす未来が見えるでしょうが。


 文句を言おうと腰を浮かしかけたその時、パーテーションの向こう側で勢いよくドアが開く音がしました。


「お邪魔するよ。どうぞ。ありがとう」


 聞き覚えのある一人芝居とともに、頭に上品な帽子を乗せた彼は現れました。


「ゲェッ、六条子羽!」


 六十近い紳士の皮をかぶった化け物は、許可も案内もしていないのに堂々とソファに座りました。所長側のソファに。そこ私の席!


「ゲェッはないんじゃないかな? 一応お客さんなのだけどね」

「……さっきのはダンシングフラワーちゃんの声です」

「そうかそうか。ま、こっちに来て座りなさい」


 座りたくないなあ。っていうかそこ私の席なんだけどなあ。


「……お邪魔します」


 遅れて入ってきた男性に私はちょっとだけ目を見張ります。


 あれ。狸さんじゃないですか。苦虫をかみつぶしたような顔をしています。あー、まあ前回別れた時、険悪なムードで帰っていきましたからね。


「あ。鳥ちゃん、いらっしゃい。はい、粗茶ですが」


 お前の家みたいに言うんじゃない水無瀬ェ!


 あと、飲みかけの缶コーヒーをすすめるんじゃない!


「ははは。一応私、上司なんだけどなあ」

「でも鳥ちゃんは鳥ちゃんでしょ?」

「ブレないなあ君は」


 ああもう、楽しそうに談笑する輪に入りたくないです。なんですかこの狂人ども。


 でもこのままというわけにもいきません。早く用件を聞いて、さっさとお引き取り願わなければ。


 私はパペットを装備すると仕方なく水無瀬の隣に腰かけ、座るところがなくなった狸さんは困惑した目のまま六条さんの隣に立ちました。


 六条子羽。水無瀬の上司であり、警察の中でもかなり偉い人です。正確な階級は分かりませんが、水無瀬にやってくる厄介事の窓口になっているらしいということは知っています。


『何の用だ。領収書なら後で送るぞ』

「はは、小鹿ちゃんはせっかちだなあ。まずはコーヒーブレイクしてからでもいいだろう」


 ブレイクも何も来たばかりなんですが? そしてコーヒーはあなたの前にしかないんですが?


 六条さんはまだ温かい缶コーヒーをぐいっとあおり、半分ぐらい飲んだあたりでようやく切り出しました。


「君たちに終わらせてもらいたい案件がある」


 グエッ。やっぱりそれですか。『たち』って言わないでくださいますか。働くなら水無瀬だけでいいじゃないですか。


「そう嫌そうな顔をしないでくれ。今回の事件は単純明快だからね。安心してほしい」


 単純明快なら他の奴にやらせればいいじゃないですかー! ここに持ち込まれる時点で面倒な事件なのは確定してるって知ってますからね!?


「壊してほしいカルト教団がある」


 ほらー! 絶対面倒ですよねそれ!


「正確には、まだカルトだとは確認できていないのだけどね。表向きは子供の福祉補助関係の会社の形を取っている」

『……何故カルトだと言い切れる』


 私の疑問に六条さんはにこりと微笑みました。怖っ。


「その会社が運営する児童養護施設なんだが……そこにいる子供たちの親戚が、何人も行方不明になっているんだよ」

『子供の親戚?』


 六条さんはうなずいて、言葉を続けました。


「施設の上層部に探りを入れてみたところ、どうやら一定の思想が蔓延していることが分かったんだ。具体的には終末論的な宗教色が強い思想がね。我々は彼らが連続失踪事件に関与していると見ている」


 なるほどそれで相手がカルト集団であると。まあ納得しましたが、一個だけ気になったことがあります。


『その情報をどこでつかんだ』


 子供の親戚だなんて遠い情報を、児童養護施設と関連付けて考えるのは難しいはずです。そもそも疑念を抱いた理由は何なのでしょう。


 六条さんは肩をすくめました。


御堂筋藤一みどうすじとういちを追いかける過程でちょっとね」

『御堂筋藤一?』


 はて、聞いたことがあるような。ないような。


「覚えてないのかい? 元水無瀬くん係の刑事だよ。今は行方不明になっているけどね」


 ああ、そういえばそんな人もいましたねえ。背が低くて、猫背で……あれ? 最近この特徴聞いた気が?


『そいつがどうかしたのか』

「先日の事件に関する情報漏洩の疑惑がかけられている」


 情報……あっ、そういえば河野さんの息子の省吾くんが言っていた見た目と一致していますね。


『動機は分かっているのか』


 パペットをぱくぱくさせながら尋ねると、六条さんはわずかに顔をしかめたようでした。


「動機はおそらく、ない」

『ない?』


 どういうことでしょう。捜査情報を流すなんて、動機もなしにすることではないと思うのですが。


「……いや、正確にはあるんだろう。だが、それは信念や欲のためではない」

『だったら何のためだと言うんだ』


 六条さんは缶コーヒーを持ったままの指にぐっと力を込めました。


「『彼』のため、かな」

『彼?』


 私が尋ね返すと、六条さんは普段通りのほがらかな表情に戻ってしまいました。


「君たちには関係ないよ。忘れてくれ」


 むむ……どうやらこれ以上話すつもりはないようです。


 くっ、一応情報として知っておきたかったのですが、ごまかされてしまいました。


 私は頭痛をこらえながら大きくため息をつきます。


 言っても無駄でしょうが、一応尋ねておきますか。


『こういうものは公安あたりの仕事じゃないのか』

「ははは、どうやらこのカルト、警察のお偉いさんも関わってるみたいでねえ。公安が今から乗り出すより、君たちがやっちゃったほうが手っ取り早くて膿も逃がさないようにしやすいんだよ」


 うぐぐ。このおじさん、いつも先手先手を打ってきます。苦手です。


 六条さんは暇を持て余して爪をいじっていた水無瀬にも目を向けました。


「君も協力してくれるよね、水無瀬くん」


 水無瀬はきょとんと目を見開いた後、自分に話を振られていることに気づいて、ムッと唇を尖らせました。


「えー、めんどくさいー」


 お前は小学生か。成人男性がしていい表情じゃありませんよ。


「そう言わないでくれよ。ほら、お土産のカードだよ」


 六条さんが彼に手渡したのは、今流行りのキャラクターが印刷されたカードゲームのスターターセットでした。


「この事件が終わったらスターターデッキをもう一個あげよう。そしたら小鹿ちゃんとでもデュエルするといい」


 水無瀬の瞳に光が宿ったように見えました。


 いや、小学生か!? というか私を巻き込まないでください!


「やる!」

「それはよかった。ああ、ちなみに小鹿ちゃんへの報酬は家賃二か月分だよ。どうかな?」


 うぐぐぐぐ。お金のことを持ち出されると弱いのが私です。なんとか断るための言い訳を考えているうちに、六条さんは立ち上がって、場を静観していた狸さんの肩をぽんと叩きました。


「この田貫くんを貸すから自由に使って事件を終わらせてほしい」

「えっ?」


 話を聞かされていなかったのでしょう。可哀想な狸さん。彼を置き去りに、六条さんは帽子をかぶりなおしてドアに向かっていこうとします。


「ああ、それから」


 ぴたりと立ち止まり、顔だけを振り向かせて六条さんは言いました。


「君たちがこの前終わらせた事件の関係者――河野夫妻の息子がその施設に入っているらしいよ」


 私は口をぽかんと開けました。位置的に見えませんが、狸さんも同じ表情をしているはずです。


 六条さんは上品にニコッと微笑みました。


「うまく使うといい」


 コツコツと足音を立てて、六条さんはパーテーションの向こう側へと消えていきます。


 ――この人でなし。


 口の中で呟いた言葉は、立ち去っていく六条さんには届かないまま霧散していきました。

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