第8話 みじめな潜入

 なぜ私がこんな格好をしなければならないのでしょう。


 私は自分の服装を見下ろして、みじめな思いでいっぱいになっていました。


 妙な絵がついた薄ピンクのスウェット、丈の合っていないジーパン、靴はマジックテープつきのピンク色で、内側に履いている靴下もキャラクターものです。


 みじめです。ひどいです。これでは本当に小学生そのものではないですか。


 いやいや、論理的にはこの格好をする意味を分かっているのです。


 怪しい疑惑がある施設に正面から行って、はいそうですか、と中に招き入れてくれるはずがありません。だとすれば、誰かがスパイとして潜り込む必要があります。


 なんとかしてを河野省吾くんを丸め込んで、生贄――ごふんごふん、潜入捜査に協力させなければ。


「バンビさん、ポシェット似合ってるね! 幼稚園児みたいで可愛いよ!」


 パペットパンチ!


「うぐぅ!」


 余計なことを口走った水無瀬を一撃で沈め、私はパペットをぽんぽんと叩きました。


 ちなみに私は、過去のトラウマでパペットを使わないと喋れないという設定にしました。


 ――あながち間違いとも言い切れないのが腹立たしいですが。


 私は微妙な雰囲気をかもしだす狸さんと連れ立って、あらかじめアポを取っておいた児童養護施設に向かいました。水無瀬を連れていくと、ろくなことになりませんからね。


「子供の件で参りました田貫という者ですが」


 玄関近くにいた職員に話しかけると、私たちはすんなりと施設の中に入らせてもらえました。


「ようこそいらっしゃいました。院長の東湖です。ささ、おかけください」

「失礼します」


 私と田貫さんは二人ともソファに腰かけました。さりげなく応接室の中を見回しますが、怪しいものはありません。臆病者センサークリアです。


「今日は虐待についてのご相談ということでしたね」

「はい。……実はこの姪っ子のひばなが、両親から虐待を受けていまして」


 まだ若い狸さんの姪扱いなんて屈辱です。いえ、ポジティブに考えましょう。年が近い姪というのも世の中にはごろごろいるはずです。大丈夫ですよ、ひばな。私の尊厳は守られています。


「正確にはネグレクト、というやつなのですが、この子の両親は稼ぎも少なく、このままでは死んでしまうと考えてこちらに連れてきたのです」

「ああ、それはひどい話ですね。……では、一時預かりと里子候補のどちらがご希望ですか?」


 狸さんは黙り込みます。そうか、ここで素直に里子希望と言ってしまうのも不自然ですね。嫌ですがここは助け船を出すしかなさそうです。


『帰りたく、ない』


 パペットをぱくぱくさせながら私はしゃべります。


『新しい、親が、ほしい』


 院長は驚いた顔で私を見ていました。なんですか。私が喋ったのがそんなにおかしいですか。


「ああすみません。この子、色々あったせいでパペットごしでしか話せなくて……」


 なるほどそっちですか。ならば怒りの矛先をおさめましょう。


「分かりました。それでは里子候補としてこちらで引き取りますね」


 はやっ! 決断速すぎませんか!?


 狸さんもぽかんと口を開けていましたが、すぐに自分の任務を思い出して、こほんと一度咳をしました。


「ありがとうございます。それでは私はここで……じゃあね、ひばなちゃん。幸せになるんだよ」


 心底不安そうな眼差しで狸さんは去っていってしまいました。取り残された私はソファにちょこんと腰かけたまま、これからどうするか考えていました。


 まずは例の少年と接触をして、何とか言いくるめて協力者に仕立て上げなければなりません。


 水無瀬の仕事だというのに、私がここまで体を張ることになるなんて……。いえ、考えても仕方がありません。ものすごく怖いですが、私は私の任務をこなさなければ。だってひばな、早くおうちに帰りたい。


「じゃあ行こうか、ひばなちゃん」


 差し出された院長先生の手に、おずおずと私は手を重ねます。


 さて前哨戦です。どこまでうまくやれますかね。ひどい目にあいそうになったら速攻で逃げる算段ではありますが。


「まずは新しいお友達たちを紹介しようね」


 私の手を引いて歩く院長さんの後ろをおとなしくついていきます。ですが内心は穏やかではありません。


 うぎゃー! 気安く触らないでください! こちとら心に傷を負った(という設定)ですよ!? 無神経にもほどがあるのでは!?


「みんなー、新しいお姉ちゃんが入ったよ」


 連れてこられたお遊戯室のような場所には、年齢がばらばらな子供たちが各々で遊んでいました。下は五歳から上は十八歳ぐらいでしょうか。


 ここにいる全員が様々な形で家族を失った子たちだと思うと現代社会の闇を感じてしまいます。


 ああでも、現代になって福祉が充実してきたからこそこういった子供たちが可視化されるようになってきた、という話も聞いていますし、まあ、彼らは運がなかったということで。


 次に生まれてくる時は親を選べるといいですね。


「さあ、自己紹介をしてごらん」


 ゲェッ! なんで私がそんなことをしなきゃいけないんですか! 内気だからって免除してもらえませんかね?


 ちらりと院長さんに助けを求める目を向けますが、彼はにこにこと笑うばかりです。


 くっそぉ。やるしかないのか。


『小鹿ひばな、だ』


 ぱくぱくパペットを動かして、名前だけを言って終わりにしようとしましたが、院長先生はさらに続きを求める目をしていました。分かりました。分かりましたよ!


『年は十二歳。パペットはお友達だ』


 もういいでしょう! これ以上はやりませんよ!


 コミュ障を装ってうつむきます。院長先生はため息をついたようでした。


「みんな、ひばなちゃんと仲良くするんだよ」


 はーい、とまばらに声が響きます。歓迎されているのやらされていないのやら。


「じゃあしばらくここで遊んでいてね」


 院長先生は私を置き去りにどこかに行ってしまいました。置いていかないでください! 子供たちに混じって子供のふりをするのは無理です!


 あ、でも、これでやりやすくはなったんでした。忘れないで小鹿ひばな。あなたはここに潜入しているんですよ。


 どうにもこういう場所はやりにくいです。昔のことを思い出すからでしょうか。


 私は軽く息を吐いた後、ざわざわとこちらを伺う子供たちを見回しました。さてと、標的はどこですかね。


「あっ」


 声がして私は部屋の奥を見ます。そこにはこちらを凝視する少年がいました。くだんの犯人の息子、河野省吾くんです。


 私はそちらに向かってまっすぐに歩み寄ると、彼から少しだけ離れた場所に座りました。こういうのはこちらから話しかけてはいけないのです。私の経験上、ほぼ初対面の人間に話しかけられるのは耐えがたい苦痛でしたから。


 パペットをいじること数分。省吾くんはそろそろと私に近づいてきました。


 そうそう。近づくのではなく近づかせるのが良策なのです。


「あの」


 私は振り向いてパペットを構えます。省吾くんはそれにひるみながら、たどたどしく私に尋ねてきました。


「君、警察の人と一緒にいた子だよね……?」


 私はこくりとうなずきます。


「どうしてここにいるの?」


 省吾くんの目は困惑に満ちています。さて、どうやって言いくるめましょうか。見たところ九歳ほどですし、下手な嘘をついても見破られそうです。


『親はいない』

「えっ」

『捜査に協力していた』


 嘘は言っていません。省吾くんは怪訝そうに私を見た後、パペットをひっぱったりつついている私が嘘をついているわけではないと判断したようでした。


「そっか」


 省吾くんは納得すると、私に少しだけ近づいた場所に座りました。


「あの、ひばなさん」

『なんだ』

「……おしゃべりしない?」


 省吾くんはおびえているようでした。きっとここの子供たちにそう尋ねては断られつづけていたのでしょう。


 子供というのは閉鎖空間に入れられると妙な連帯感を持ってしまうのです。そして、よそ者が入ってくることに強い警戒を抱く。まあ、これは大人にも言えることですが。


 だから私は言ってやりました。


『馬鹿か』

「え?」

『おしゃべりは許可を取ってするものじゃない』


 まっとうな意見を述べると、省吾くんはぱあっと表情を明るくしました。


「あのね、ここに来る前にやってたアニメの続きが知りたいんだけど」


 省吾くんが話し始めたのは俗に言うニチアサのアニメのことでした。私には興味がないものでしたが、幸運にも事務所のテレビをニチアサで固定している馬鹿水無瀬のおかげで話を合わせることができました。


 よくやった水無瀬。たまには役に立つじゃないか。


「あと、毎日見せてもらってる番組なんだけどね。みんなあれを面白いって言うんだけど僕には分からなくて……」


 私はそこで違和感を抱きました。


 彼は子供向けアニメの続きを知らない。なのに番組を見ている? もしかして、意図的に情報のゾーニングが行われている?


『聞きたいことがある』

「ん、何?」

『お前たちが見ている番組というのはどういったものだ』


 内容によっては問題なものの可能性があります。私がそれを尋ねようとしたそのとき、ガランガランと鐘の音が鳴り響きました。


「あ、番組の時間だ」


 子供たちは喜々としてお遊戯室を出て行きます。いいでしょう、百聞は一見にしかず。その番組とやらを見せてもらいましょうか。

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