第9話 ダメ絶対!

 案内されたのは、施設の奥まった場所にある大部屋でした。


 映像室と書かれたその室内にはまるで映画館のようにふかふかの椅子が並んでいて――うおっ、本当にふかふかですね。背中を預けるともうそれだけで眠くなってしまいそうです。


 バタンと音を立ててドアが閉められます。アロマのようなほのかに甘い香りが流れ、リラックスした私はうとうととまぶたを下ろしかけました。


 ああ、すごく良い気分です。行ったことはありませんが、エステとかこういう雰囲気なのでしょうか。


 爆音とともに映像が始まったのはその時でした。


 古めかしいアニメ、過激な映画のワンシーン、飛び散る血、悲鳴。おおよそすすんで子供に見せるようなものではありません。


 それらに共通しているのは――虐げられた子供による復讐劇だということ。


 子供の親戚の失踪。復讐劇の映像。


 ははあ、なんとなく真相が見えてきましたよ。


 内心納得しながらぼんやりと私は映像を見ていました。スクリーンには凄惨な暴力の果てに父親に復讐をした男の子が映っています。


『親殺し、か』


 ぽつりと呟きます。

 わかるような、わからないような。本当はわかるべきなんでしょうね。


 子供たちは陰惨な復讐劇に一心不乱に見入っています。ここで義憤にかられない私のほうがおかしいのでしょう。多分、きっと。


 数時間にも感じる数十分を経て、私たちはようやくそこから解放されました。隣に座っていた省吾くんもふらふらしています。


 それはそうでしょうね。あんな過激なものを見せられたくもないのに連日見せられたら、疲弊するのも当たり前です。


 でもどうしてしょう。もう一回あの映像を見たいと思う自分もどこかにいるのです。無意識のうちに興味が惹かれてしまったのでしょうか。


「ひばなさん、なんだか今日の映像楽しかった気がする」


 隣の省吾くんがつぶやきます。私はそんな彼を見てぎょっと目を見開きました。


「これで僕もみんなの仲間になれるかな」


 にこにこと笑う彼の目はここではないどこかを見つめていたのです。そんなにあの映像が効いてしまったのでしょうか。でもそれにしてはこんなに急に――


「あ」


 間抜けな声を上げて立ち止まってしまいます。映像室から漂ってくる残り香をかぎます。

 あ、あのアロマ! あいつら変な草でも焚きましたね!?


「省吾くん」


 ぎゃーっ! 突然後ろを取らないでください!


 振り向くとそこにいたのは院長さんでした。にこにこ笑うその笑顔からは、今は害意しか感じられません。


「君を連れて行きたいところがあるのだけど、どうかな」

「え……?」


 ぼんやりとした表情で省吾くんは院長さんを見ます。


「君もそろそろここに慣れてきただろう? だからみんなと同じ場所に行って仲間になってほしいんだよ」


 あ、怪しいー! 秘密を共有することによって連帯感を高めるやつです! やっぱりここカルト養成所じゃないですかー!


 私は逡巡を始めました。


 ぐぐぐ、こんな場所からは早く帰りたい。早く帰るには危ない橋を渡る必要がある。


 私はうぐぐと考え込んだ後、歩いて行ってしまう三人を見ました。


 どうせ後でやっても危ない橋なのは変わりません。だったらさっさと済ませて愛しい我が家にゴートゥーホームです!


『あの!』


 三人は振り向きました。私はパペットを口の前に構え、嫌々ながらの内心を押し殺して、できるだけかわいらしく尋ねました。


『私も一緒に行っちゃだめか?』





 私はトイレに行くと偽って、ポシェットの中に潜ませていたスマホを取り出しました。


「狸、私が今から行く場所に覆面パトカーで何人か配備しろ」

「え?」

「いいから急げ。絶対に何かの容疑では引っ張れるからすぐに来い」


 困惑する狸さんに端的に指示を出し、再びスマホをポシェットにしまい込みます。怪しまれる前に戻らなければなりません。


 私と省吾くんはワンボックスカーに詰め込まれてどこかへとドナドナされていきました。窓には遮光シートが貼ってあって、どこに向かっているのか分からないようになっています。


 ああもう、どうしてこんなことになったんでしょう。そもそも水無瀬への依頼だから私が体を張る必要はなかったのでは? 私、もしかして馬鹿?


 念のためとポシェットに忍ばせた発信機を警察の皆さんは追いかけていてくれているはずです。追いかけてますよね? 頼みますよ?


「お待たせ。ここがみんな来ている秘密の場所だよ」


 車に揺られること数十分。私たちが連れてこられたのは、意外にも住宅街にある一件の大きな家でした。


 とはいっても周囲の家に比べてもかなりの広さです。小さな城と言ってもいいかもしれません。


 広くて整えられた庭をきょろきょろしながら私たちは歩いていきます。


 おやおや。臆病者センサーが働くと思ったら、一見美しいだけの庭園のあちらこちらに防犯装置がついているではありませんか。これはちょっとした牢獄のようです。


 美しい庭園を抜けると、これまたお城のような門が見えてきました。省吾くんは目に見えてテンションを上げているようです。私も「わぁーお城だー!」と盛り上がりたいところなんですがね、こんな状況でさえなければ。


 私たちを出迎えたのは、屈強な体つきの警備員たちでした。SPだと言っても信じます、この体は。


 そのまま豪奢な廊下を歩き、私たちは最奥の部屋へと通されました。


 大きくて重い扉がゆっくりと開きます。


 中には思ったよりも家具はありませんでした。必要最低限のものと、それから窓際にあるベッドだけ。


 天蓋つきの清潔なそのベッドに腰かけていたのは、真っ白な髪と真っ白な肌をした美少年でした。


 彼は私たちを振り返ると、儚い笑顔でにこりと笑いかけてきました。


「はじめまして。僕の名前はミカミ。神様なんだ」


 は?


 口に出しかけた言葉をすんでのところで飲み込みます。いけないいけない。ここでは常識を捨てなければ。


 ベッドのわきに立っていた男性が声をかけてきます。


「彼はね、生き神様なんだよ」


 うっさんくせぇー。ファンタジックぅー。


「僕は元々体が弱かったのだけど、ある時から神様になることができたんだ」


 省吾くんは目を輝かせています。まあ、こんなお城に住んでいる儚い美少年が神様だと言われたら、信じる人は信じてしまうかもしれません。


 特に、変な草の影響で自我がぐだぐだになっている子とかは。


「神様……?」

「うん。正しいことをすればみんな神様になれるんだよ」

「君にしてもらいたいのは神様になるための『正義の行為』なんだ」


 男性は省吾くんの肩に手を置いて彼に言い聞かせました。なんだかこの男、ミカミくんの面影がありますね。もしかして親子?


「君たちも、正しく生きて、幸せな神様になれるんだ」


 正義の行為、ねえ。

 ああ、なるほどね。何が起こるのかなんとなく予想はついてきました。


 嫌だなあ。今からでも逃げ出せませんかね。

 視線を巡らせるも、私たちの周囲は完全に大人たちに囲まれてしまっています。子供の腕力では逃れられないでしょう。いや、私大人ですが。


 父親っぽい男は省吾くんの肩を抱きました。


「さあおいで。君も正義の行為をしよう。ほら、案内してあげなさい」

「はい、教祖様」


 あ。お前が教祖ですか。


 省吾くんは信者の女性に連れていかれてしまいます。私もそれを追いかけていこうとしたのですが、教祖さんはそんな私の腕をつかみました。


「君はこっちだよ、小鹿ひばなさん」


 え?

 引きずられるようにして私は廊下へと出されます。いつの間にか私の周囲は警備員の方々に囲まれてしまっていました。


「彼が気づいてくれてよかったよ。君、警察関係者なんだって?」


 彼?

 警備員さんたちに紛れて立っている男に私は目をやりました。


『む、お前は……』


 にやにやとこちらを見ていたのは、背が低くて猫背の男性でした。私は首をかしげました。


『……誰だっけ?』


 男性は一気に顔を真っ赤にして、それから怒りを必死でこらえている様子で言いました。


「御堂筋だよ。ついこの間までお前たちの担当だったな」


 ああ、御堂筋さん。そういえばこんな顔をしていましたね。すっかり顔を忘れていました。


『そうか、久しぶりだな』


 納得して挨拶をすると、御堂筋さんはさらに顔を歪めました。怒っているようです。


「全部お前たちのせいだ。お前たちのせいで俺の出世コースは……」


 あっ、もしかして私たちのせいで出世ができなくなったと思っているんですか?


 ええ……水無瀬担当なんて、左遷の最たるものだと思うんですがねえ。水無瀬担当に配属された時点ですでに詰んでいたのでは?


「……だがそんなことはもうどうでもいい。俺は、本当の自分の居場所に戻れたんだからな」


 御堂筋さんは自力で落ち着いたようでした。気分があがったり下がったり忙しい人ですね。情緒不安定ですか? パペットでアニマルセラピーとかしておきます?


 パペットを構えて傾けると、強くにらみつけられました。結構好評なんですが、無念です。


「ふっ、だが俺は今幸せだよ。何しろT様が直々に言葉をかけてくださる立場だ。何年もあの方に貢献し続けてきた甲斐があったというものさ!」


 んー、つまり何年も捜査情報を外部に漏らし続けてきたのはその『T様』とやらのためだったと?


 怖いですねえ。悪の親玉か何かなのでしょうか。モリアーティ的な?


 現実逃避気味に色々と考えていると、私をつかむ警備員さんたちの力が強まり、私はいよいよ身動きが取れなくなりました。


「君の処遇はおいおい考えるとして、とりあえず君も我らの儀式を見ていくといい」


 教祖さんは悪い顔を隠しもせずにたりと笑いました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る