最終話 水無瀬片時は人間か

 目が覚めた時、私は集中治療室というやつにいました。


 おはようございます。あんまり爽やかな目覚めというわけではないですね。胸の傷は痛いですし。


 でも結構この部屋は常連です。昔も今も、厄介ごとには事欠かない生活を送ってきましたから。不本意ながら。


 やがて人工呼吸器も取れ、面会許可が出た私のところに最初にやってきたのは、意外にも狸さんでした。


「ぶっ、無事でよかっ……本当にっ……!」


 号泣です。こちらがドン引きするぐらい、大号泣です。


 そんなに泣くものですかねえ。だって顔見知りなだけのただの探偵ですよ?


 ……ああいえ、違いますか。狸さんは善良な『人間』でした。この反応が正しいのでしょう。


 やっとのことで落ち着いた狸さんはことのあらましをざっと説明してくれました。


 私が誘拐され、水無瀬が失踪したこと。


 水無瀬を追って、警察が客船に駆け付けたこと。


 爆弾によって客船は沈み――頂上葉佩はおそらく死亡したということ。


「救助者の中に頂上葉佩はいませんでした。船が沈没した後、海中を捜索しましたが彼の遺体は結局見つからずじまいです」


 淡々と述べた後、狸さんは一人の警察官としての顔を崩して、ぐったりとつぶやきました。


「結局、頂上葉佩は何がしたかったんでしょう。あんな騒ぎを起こして、人を大勢殺して、彼に何の動機があったんでしょう」


 狸さんの問いに、私は天井を見上げてつぶやきました。


「案外簡単な理由じゃないのか」

「え?」

「全部、頂上葉佩の壮大な自殺だった、とか」


 狸さんの顔がぐしゃりと歪みました。なんですか、犯罪者にすら同情するんですかあなたは。憐れまれてもきっとあの男は怒るだけですよ。


 話もそこそこに狸さんは病室から去っていきました。


 やがて私は一般病棟に移され、二週間後には退院しましたが――


 ――結局、水無瀬は私の病室に姿を見せることはありませんでした。





 かくして私には日常が戻ってきたわけです。


 入院していた間に、破壊された探偵事務所はきれいに修繕されていました。


 聞くところによると、赤いルージュの美女がすべてを取り仕切って直していったのだとか……。ありがたいことですが、今度会ったら何を要求されるのでしょう。妙度さんはそういう貸し借りはきっちりと清算する方なのです。


 すっかり元通りになった所長机で、私はパペットをいじっていました。


 殉職してしまったパペット5号に代わる、パペット6号です。今回はわんちゃんにしてみました。かわいいのを買うつもりだったのですが、自然と手に取っていたのは不細工さんでした。解せぬ。


 しばらくパペットをぱくぱくといじっていた私でしたが――ずっとかすかに反応している臆病者センサーに、だんだん耐えられなくなってきました。


 ええい、もう鬱陶しいですね。


 私はパーテーションを横切ると、入り口のドアを勢いよく開けました。


『いつまでそこにいるんだ。入ってきたらいいだろう』


 ドアの向こうではうつむいた水無瀬が立っていました。表情はうかがえません。何を考えているのかもわかりません。あ、何を考えているのかわからないのはいつものことでした。


 何も言わない水無瀬にしびれを切らし、私が再び口を開こうとしたその時――水無瀬は突然私に抱き着いてきました。


「……こわかった」


 硬直する私の肩口に顔をうずめ、水無瀬はつぶやきます。私はそんな水無瀬の頭を見ました。かすかに、震えているようにも見えます。


「すごく、こわかった」


 私を抱きしめる腕にぐっと力がこもります。


 何が、とは言いませんでした。……いえ、きっと自分でも何が怖かったのか理解していないのでしょう。


 そして私も、こんな時どうすればいいのかわからないのです。だって水無瀬がこんな風になるのなんて初めてなのですから。


 だから、私は言いました。


『遊ぶぞ水無瀬』


 肩をつかんで、水無瀬の体を押し返します。そして、手にはめていたわんちゃんで彼の頭にがぶがぶと噛みつきました。


『何がいい? ゲームか? カードか? 公園か遊園地に行くか?』


 水無瀬はされるがままになっていましたが、パペットが彼の髪の毛を好き放題にしたあたりで私の手をぎゅっと握りこんできました。


「おままごとがいい」


 顔を上げた水無瀬の表情は、泣きそうなほどぐしゃぐしゃで、情けない笑顔でした。


「バンビさんは妹ね。僕が兄をやるから!」



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人でなしたちは推理をしない ~人間殺しとパペット探偵~ 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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