第3話 小説家の疑惑

 あーもう、どうして毎回こうなっちゃうんでしょう。私はおっかないことには巻き込まれたくないのに。


 いえ、本当に。本当にです。お金のことがなければ、誰が好き好んでこんな案件に手を出すものですか。


「あれ。バンビさん、やっぱりお客さん?」


 来客用のソファは、相変わらず水無瀬によって占領されていました。


 こ、こいつ……客が来たって分かっているくせにこの態度ですか。許すまじ。


『お前の同僚だ。どけ』

「え? そうなの? でも初めて見る顔だよ?」

『数週間も職場に行っていなければ初対面の奴も出てくるだろう。どけ』

「えーっ」


 不満そうな顔をしている水無瀬を見下して、チッと大きい舌打ちを一つ。水無瀬はじっと私を観察すると、しぶしぶソファの隅に寄っていきました。


 そして、そこで手元の文庫本をぺらりとめくります。意地でも立つ気がないようですね、これは。


『狸。座れ』

「えっ、呼び捨て?」


 狸さんは戸惑いで私を二度見してきました。それにしても目の下のクマが似合いますね。


『うるさい。私はどんな相手でもいつもこれだ』


 内心では「さん」付けしているのでいいじゃないですか。水無瀬なんて心の中でも呼び捨てですよ。


「バンビさんって本当にコミュ障だよねえ」

『は?』

「万物に関わりたくないって感じ。駄目だよ、協調性って大事なんだって!」


 イラっとしました。一体誰の受け売りですか。親か? 上司か? 知人か?


 パペットパンチを繰り出しそうになるのをなんとか左手で押さえ込み、私は水無瀬を睨みつけました。


『言っておくがお前も関わりたくない換算してるからな、水無瀬』

「え? でも、僕には優しいよ?」

『会うたびになじられる仲を仲良しというのならそうなんだろうな』

「やった。僕、バンビさんと仲が良くて嬉しいよ!」


 ぐぬぬ、皮肉が通じません! これだから水無瀬は!


 私はすたすたと事務所の奥に向かうと、マグカップにティーバッグ(水無瀬が持ってきたもの)を突っ込んでお湯を入れ、お茶菓子(水無瀬が持ってきたもの)をパペットでひっつかんで戻ってきました。


『どうぞ』

「粗茶ですが」


 水無瀬ェ! お前が淹れた紅茶じゃないでしょうが! いや、あれは水無瀬が持ってきたティーバッグだからこれで合ってるのか? あれ?


「飲まないの? 美味しいよ?」

「はぁ、ではいただきます」

『我が城のようにふるまうな水無瀬。ここはお前の家じゃない』

「え?」


 『えっ』じゃないんですよ。『えっ』じゃ。この男、やっぱりウチの事務所のことを幼稚園か託児所かだと勘違いしてますね?


「あのぉ……」

『なんだ、狸』

「そろそろ事件の説明に入ってもいいですか……?」


 そういえばそうでした。狸さんの持ち込み案件を片付けないといけないんでしたね。


 さあ、さっさと終わらせてしまいましょう。ぱぱっと終わらせて今月の家賃と食費を手軽にもらいたいものです。


『どんな事件だ』


 向かいのソファに私はちょこんと腰かけます。ぱくぱくとくまさんのパペットを動かす私を前にして、狸さんは警察手帳を取り出しました。


「ええと、何から説明したらいいか分からないんですが」

『簡潔に言え』

「は、はいっ!」


 狸さんは、ぴしっと背筋を伸ばすと、警察手帳をぱらぱらとめくりはじめました。


「小説家、赤田十夜に対する疑惑です。ご存知かと思いますが、彼はベストセラー作家で、何冊ものミステリー小説を出版しています」


 赤田十夜。ああ、水無瀬が今読んでいる本の作者ですね。


 ちらりとソファの隅で読書をしている水無瀬に目をやります。本当に読んでいるのかどうかすら怪しい笑顔です。もしかして内容は理解していないとか?


『で、何が問題なんだ』

「それは――」

「実在の事件をモチーフにしてるから?」


 なに唐突に話に入ってきてるんですか水無瀬。話を聞くなら最初からちゃんとですね。


 いら立ちを籠めて水無瀬を見ましたが、彼は文庫本から顔を上げてすらいませんでした。何なんですか、まったく。


 しかし狸さんはそんな水無瀬に頷いてみせました。


「その通りなんです」

『は?』

「彼がモチーフとして書いているのは、数年来に起こった凶悪事件ばかりなんです」


 私はまるで別人を見るかのような目で水無瀬を見ました。


『水無瀬、お前本当に小説読めてるんだな……』

「読んでるよー。今、犯人の夏目が追い詰められたところ! 浮気相手に裏切られて投身自殺しようとしたところで、主人公にボコボコにされてる!」


 ちょっと考えてから私はパペットを構えました。


『コラッ! 堂々とネタバレをするな! しかも犯人!』


 推理小説のネタバレなんて、ここが往来なら過激派に刺されても文句は言えませんよ!?


 ぷんすこしている私をよそに、水無瀬は平然とページをめくりました。こ、こいつ……。


『はぁ……もういい。話を続けろ、狸』

「え、あ、はい!」


 水無瀬を構っていると、いつまでたっても話が先に進みません。私は水無瀬を軽く睨みつけてから、狸さんに向き直りました。


『で、何だ?』

「はい……実在の事件をモチーフにすることは、もちろん遺族感情を逆なでするということもあります。ですが今回の疑惑ではもう一つ重大な問題があるんです」

『もったいつけるな』

「すっ、すみません!」

『謝らなくていい』


 まったく。臆病者の私が言えたことではないですが、すぐに謝ってしまうのはよろしくないですよ?


 嘗められて怖い人に囲まれて変なお店に放り込まれても文句は言えません。


 よくてぼったくりバー一時間十万円。払えなければ東京湾。


 と、師匠がよく言っていました。怖いですねえ。くわばらくわばら。


「実は……一般には公表されていない捜査情報が、小説の中に使われているんです。しかも、複数回です」


 誰が聞き耳を立てているわけでもないのに、狸さんは小声で言いました。私は露骨に顔をしかめてしまいました。


『警察の中に捜査情報を漏らしている馬鹿がいると?』

「はい、そういうことです……」


 狸さんは肩を落としました。警察の汚点を口にするのはストレスでしょう。同情します。同情するだけですが。


 しかし、とんだ馬鹿もいたものです。バレたらクビになるだけでは済まされないでしょうに、何が目的なのでしょう。


『こんなことが公になれば一大スキャンダルだ。そうなる前になんとかしたい、ということか』

「はい、その通りです……」

『で、私たちは何をすればいいんだ』

「ええと、上司からの伝言は一言だけです。『終わらせておいで』と」


 うーわ。それ絶対あの食えないおじさんからの指示じゃないですか。今度あったらおじいちゃんって呼んでみましょうかね。多少はダメージが通るでしょうか。


 ともあれ、大きなため息を一つ。


 ちょっと面倒そうな事件ではありますが、ただ『終わらせる』だけならば、なんとかなりそうですね。


 私は手元で何度かパペットをもみもみした後、狸さんにそれを突き出しました。


『容疑者のところに連れていけ。水無瀬を放牧すれば大体なんとかなる』

「えっ、僕行くの?」

『当たり前だ』

「えーっ」

『えーじゃない』


 いまだに文庫本を手放そうとしない水無瀬を無視して、私はぴょんっと立ち上がります。狸さんはそんな私と水無瀬を見比べながら、おずおずと腰を上げました。


『ああ、そうだ狸』

「は、はい」

『私たちがするのは事件を『終わらせる』ことだけだ。……後味が悪い思いをすることを今から覚悟しておくことだな』


 狸さんはいまいち理解できていないようでした。案の定です。でも、あらかじめ言っておけば責任逃れはできますし、保険というやつですね。

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