第二十一話 宣戦布告


 傷の治療のために自宅近くの医院に行くのに最寄り駅まで戻ると言う遠藤さんを署の玄関で見送った。警部は先に駐車場へ行っている。

「――では、また連絡します。お大事になさってください」

 ありがとうございます、と遠藤さんは頭を下げた。

「今日はお仕事はお休みされるんですよね」

「はい……あの二宮さん、私――」

「あ、大丈夫です。むしろボクの方が不甲斐なくて申し訳ありません」

「でも――」

「これで良かったんだと思いますよ。上司に咎められたから言うわけじゃありませんが」

「……そうですね。私の浅はかな考えに二宮さんを引きずり込んでしまって――申し訳ありませんでした」

「あの上司の言ったことなら、気にしないでください。彼女はいつもああなんで」

 遠藤さんは頭を振った。「……すいません。あの方にもご迷惑をお掛けして」

「もう謝らなくていいですよ。あなたは被害者なんだから」

 はい、と遠藤さんは困ったように笑うと、最後に深々とお辞儀をして帰って行った。


 ――ふう。やれやれ。面倒なことになったな。でも、偶然の結果とはいえ本当はこうするべきだったんだろうな。

 

 気を取り直して駐車場へ向かった。警部にお説教されると思うと気が重い。


 駐車場に着くと、警部が助手席に乗っている車がアイドリングをして停まっていた。近付いていって乗り込み、シートベルトを引っ張りながら言った。

「すいませんでした」

 警部はふんと鼻を鳴らした。「とにかく出して。予定外の時間を使ったわ」

「はい」

 駐車場から車を出し、一方通行の通りを南下してすぐに右折して、庁舎を右手に見ながら大通りへと向かった。事前にアポを取ってある被害者に会って再度詳しく話を聞くと言う昨日の続きの仕事。どこまでも地味だ。

 やがて警部が言った。

「呆れる点は山ほどあるけど、いいんじゃない」

「でも、軽率でした」

「どうして?」

「警察官としての対処を怠り、彼女の願いを無条件に受け入れたからです」

「そこはどうしようもなく馬鹿ね」

「はい。大馬鹿です」

「でも、私はあなたのそういうところがいいと思ってる」

「えっ?」警部に振り返った。

「前を見なさい。ぶつかるわよ」

「あ、はい」

 スタジアム前の交差点で信号待ちに引っかかった。パーキングブレーキをかけてハンドルから手を離し、警部に訊いた。

「どういうところですか」

「警察官らしくないところ。むしろ一般人の感覚を堅持しようとしてるようにすら見えるわ。だからまず偉ぶらないし、その分押しに弱くて相手の無理をきいてしまうけど、だからこそ弱者に寄り添ってあげられる。優しきヒーローじゃない?」

「やめてください。そんなカッコいいもんじゃないです」

「気づいてないだけよ。自分がマイノリティのオタクだから」

「オタクはマイノリティじゃありませんよ。もはや」

「そうね。ごめんなさい」

「それに、マイノリティは悪いことじゃない」

「もちろん。ほら、そういうところよ」警部は微笑んだ。「むしろマジョリティに対する反骨心すら感じるわ」

「……人間、徒党を組むと、ロクなことないですからね」

「それはわたしも今、実感してる」

 やがて青信号に変わったのでブレーキを解き、アクセルを踏んだ。

 警部が言った。「今日はリハビリの予約を入れてるの?」

「はい」

「中川は出勤してくる?」

「ええ。ボクの担当ですから」

「そうだったわね。だったら、それまでに裏取りね」警部は腕を組んだ。「言い逃れのできない証拠エビデンスを突き付けて、そのクズの元カレに引導を渡してやるのよ」

「え、警部もしかして、ボクのリハビリについて来るつもりですか」

「いけない?」

「やめてください、さすがにそれは」

「なぜ?」警部はあっけらかんと訊いてきた。

「だって――職務として行くわけじゃないんでしょ」

「そのつもりで行ってもいいわよ。きちんと証拠が上がったら」

「いや、ボク一人で大丈夫です。ちゃんとやります」

「……ホントに?」

「本当に。正義のヒーローやってきます」

 なによそれ、と警部は笑った。「じゃ、頑張りなさい」

「はい」

 しばらく走ると、窓の外を眺めながら警部がぽつりと言った。

「……二宮くんも、隅に置けないわね」

「はい?」

「――彼女、綺麗な女性ひとだった」警部は振り返った。「舞い上がったでしょ。チョコ貰ったとき」

「べっ別に」

「あんな美人に頼られるなんて、やるじゃーん」警部はにやにやしている。

「ボクが警察官だからですよ」

「でも、彼女はあなたに警察官としての対応を求めたわけじゃないでしょ」

「じゃあ、ボクが中川の担当だったからだ」

 そう言ってため息をついた。「とにかく、たまたま都合のいい相手だったってだけですよ」

「謙遜しなくていいわ。あなた今、モテキなのよ」警部は目を細めてこちらを指差し、くるくると回した。「マロンちゃんのことだってあるしぃ」 

「あーもう、からかわないでくださいっ」

 あはは、と警部は笑った。「――ほら、前の車動いたわよ。行って」


 どやされるかと思ったら、逆に褒められた。皮肉っぽくはあったけど。

 やっぱり、よく分からない人だ。精神衛生上まるでよろしくない。

 ところがそれが、今やとても心地よかった。

 ――俺ってドM??? 今さらか?



 リハビリのあいだはいつも通りおとなしく指導に従った。中川もいつも通りで、明朗で的確なアドバイスをくれた。つくづく惜しい。これだけ有能でありながら、その素顔は逆玉狙いで交際相手を棄てたくせに、今になって未練タラタラのストーカー野郎とは。ま、確かに調子が良くて相手をナメきってるように見えなくもない態度は気に食わないけど、そんなヤツは世の中にいくらでもいる。だからと言って、医療費という「料金」を払ってそれに応じた「サービス」を受けている「客」に過ぎないこちらが特に文句を言うほどのことでもない(言う人間もいるだろうが)。ましてや、そいつのプライベートに何があったって、本来知ったことではないのだ。

 だが、昨夜遠藤さんの身に起こったことを知らされた今では、そうも言ってられない。立場上、そしてまたにも。

 そういえば例のブログの件だが、中川が年明け以降にUPした記事に訪れた場所について心当たりがないか、今朝、好タイミングでやって来た遠藤さんに訊いてみた。彼女もブログの内容の変化には気付いていたようで、彼女の他に何人かの同僚も不思議に思っていると言う。ただ場所についてはあまり思い当たる節がないということだった。


 リハビリが終わると、この前、遠藤さんと接触を図ったときと同じく、施設の向かいのスターバックスで中川の勤務が終わるのを待った。

 パストラミビーフとローストポテトのサンドイッチにドリップコーヒーのトールを注文し、この前と同じ窓際の席に着いた。途中、警部とマロンちゃんからメッセージが入り、それぞれ別の観点から少々心が乱されたが、何とかやり過ごして張り込みを続けた。

 ちなみに警部からのメッセージは、

《――首尾はどう? くれぐれも隙を見せず、かつ冷静にね。あなたのことだから突っ走ることはないと思うけど、今のところは状況証拠だけなんだから、必要以上に相手を刺激しないように》

 というもので、どの口が言ってんだろって感じだった。

 マロンちゃんからは、

《――今日一日過ごして、昨夜お店を出た後のことを少しづつ鮮明に思い出して、泣きそうになってます。やっぱり私、ちゃんと謝らなきゃ。二宮さんは大丈夫だよって言ってくれたけど、ホントはもう嫌かもしれないけど、また会ってくれますか?》

 と、これまたちょっともうお腹いっぱいですと思ってしまった。

 モテキか。本当にそうなんだろうか。そもそもモテるってどういう感じなんだろう。経験が無いから分からない。今までごく少ないけれど彼女がいたことがあるにはあった。だけどモテたからじゃなくて、それはもう、自分でも涙ぐましいと思える努力の上にまたとない幸運が重なった結果、やっと付き合えることなった、というのが実際のところで、しかもあんまり長続きしなかった。

 芹沢巡査部長はずーっとモテキなんだろうな。いや、そうなったらモテキとは言わないのか。生まれながらのモテ人生か。くそっ。


 コーヒーのお代わりを二杯分飲んだところで、中川が施設を出てきた。遠藤さんから彼は車通勤だと聞いていたから、施設から百メートルほど離れた専用駐車場に向かうのは分かっていたし、店を出てその後を追った。


 駐車場の敷地に入り、中川が自分の車の手前で立ち止まったところで声を掛けた。

「中川さん」

「えっ、は?」

 中川は驚いて振り返った。こちらを認識すると少し安心したのか、笑顔を見せたもののすぐに怪訝そうな表情に変わった。

「二宮さん。どうされたんですか?」

「端的に言います。遠藤清香さんへのストーカー行為をやめてください」

「……は?」

 中川の表情が歪んだ。「……あなたは、彼女のなに?」

 何のことですか、とか、何を言ってるんですか、とかではなく、いきなり「おまえは彼女の何だ」ときたか。こいつ、なかなかヤバいとこまで行ってるな。

「何でもありません。そして、です」

 そう言って一歩近付いた。「いいですか。今ならギリギリ、穏便に済ませてもいい。れっきとした器物破損と傷害だけど、あなたが彼女に謝罪し、もう二度とつきまといや職場でのパワハラ行為をしないと約束するなら、今回だけは目をつぶります。ただし――」

「清香があんたに言いつけたのか」

 中川の瞳は憤りに揺れていた。そうだとは言えない。

「遠藤さんは怪我を負って、仕事も休まれていますよね。あなたが彼女の部屋の窓ガラスに石を投げつけたから。昨夜午後十一時半頃のことです。彼女の居宅近くの防犯カメラのいくつかに、その約三十分前からあなたが付近を行ったり来たりしている姿が映っています」

 中川はくっ、と歯を食いしばった。「清香は――何て言ってるんだ」

「遠藤さんはあなたが犯罪者になってしまうことは望んでいらっしゃいません。今思い直してくれるなら、それでいいと考えておられる。だいいち、あなたにも家庭があるでしょう。素敵な家庭と――立派な仕事も」

 その最後の言葉が、どうやらヤツの地雷を踏んでしまったらしい。中川の形相が一瞬で変わった。憤りを越えて、怒りが最高潮に達しようとしているのが分かった。

「おまえに、なにが分かる……?」

 マズったかな、と思ったが、もはや引き下がるわけにはいかない。

「分かりませんよ。でもね、あなたのやってることは犯罪で、こっちは警察官だ」

 淡々と、だが強い意志をこめて言った。「だけど今回だけは被害者の意向を尊重して大目に見ようと言ってるんだ。やめないのなら、それ相応の対処をする」

 中川がこちらに向かってきた。数センチのところまで顔を近付けると、大きく肩を上下させた。鼻息がもろに顔にかかった。

 そのまま何も言わない中川に、視線を据えたまま静かに言った。

「――たった今から、びっちり見張ってっからな。妙な気起こすなよ。崖っぷちだぜ」

 そう言うとちょっと笑って、そしてしっかりと睨みつけてやった。

 中川は黙ってゆっくりと離れ、車に乗り込むと猛スピードで駐車場から走り去った。


 うまくやれた、のか――?

 歩き始めてすぐ、ぶるっと震えがきた。背中にぐっしょりと汗をかいており、冷たくなっていた。


 早く帰ろう。風邪をひくとマズい。

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