第二十三話 アキバには近づくな


 秋葉原署に着くと、強行犯担当の係長という人物が応対に出てきて、広めの会議室に通された。

「お忙しいところをお時間取っていただき、ありがとうござます」

 警部が言って丁寧に頭を下げた。当然こちらも倣う。

「いえ、こちらこそご報告ありがとうございます」

 三十代半ばくらいの係長も軽く頭を下げた。鍛え上げた精悍な体つきに日焼けした彫りの深い顔がよく似合う、なかなかのイケメンだ。先ほど渡された名刺には警部補との肩書があった。

「――それで、被疑者に関するマル害の証言についてなのですが」警部が言った。

「ええ。少しは話しています」

「凶器が、赤い鉄パイプのようなものだったとか」

「鉄パイプかどうかははっきりしません。ただ怪我の具合から鑑みるに、そう言った類いのものではないかと」

「赤い、と言うのは――」

「おそらく、赤い布が巻かれていたのではないかと見ています。滑り止めでしょうか」

 滑り止めは分かるが、なんで赤なのだろう。目立ってしまうのに。

「被疑者は男でしたか?」警部が訊いた。

「はい。二十代から三十代――もっと上かも知れません。そこは曖昧で。黒いトレーニングウェアの上下を着て、フードを被っていたそうです」

 うちの事件ヤマの犯人と同じだ。しかしその程度の共通点などはほとんど参考にならない。

「それで、マル害の女性は、やはり犯人に勝負を挑まれたのですか?」

「は?」と係長は目を見開いた。「勝負? 何ですかそれ」

「我々の事件の犯人は、相手に勝負を挑んでくるのです。わざわざ鉄パイプをもう一本用意して、相手にも持たせるんです」

「何のために?」

「分かりません。さっぱり」

「それで勝って喜んでるんですか?」

「それが――今のところ二勝三敗で」

 警部が頬を緩めながら言うと、係長も表情を崩して椅子の背もたれに身体を倒した。

「……アホですか、そいつは」

「そう思っていいでしょうね。何か理由があるのかもしれないけれど」警部は苦笑した。「ただ――」

「はい?」

「我々の事件の被害者は、いずれも男性です。しかもどなたも軽傷で済んでます」

「なるほど。犯行にゲーム性が強いわけですね。ストリートファイトだ」

「ええ。それに対して昨夜のこちらの事件は、どちらかと言えば強い殺意と言うか――殺意とまではいかなくても、かなりの悪意があるのは間違いなさそうですね。相手を確実にやろうとでも言いますか」

「若い女性を狙ってますからね」係長は頷いた。「同一犯としても、何か事情が変わってきてるようだ」

「マル害のアルバイト先は――」

「ええっと、確か飲食業だったな――」係長は資料をめくった。「――ああ、これだ。です」

 思わず警部と顔を見合わせた。しかしアキバではメジャーだ。

「あの、何という店ですか?」

 ここで初めて自分が訊いた。それに驚いたのか、係長は眉を上げてこちらを見た。

「ええっと――『ラブドリーム2号店』です」

「……違うわね」と警部は小声で言った。

「違いますけど――」

 すごく嫌な感じだった。もしもこの犯人と我々の事件の犯人が同じだったとして、今までは横浜のウチの管内を中心として、男性相手に極めてふざけた腕試し的な要素の強い犯行を続けていたに過ぎなかったのが――もちろんそれもじゅうぶんタチが悪いが――ここへ来て突然志向を変え、かなりの凶行に出たのには何か理由があるに違いない。それがこのアキバで働く若い女性をターゲットにすることだとしたら――

 次の犯行でが狙われないという保障などどこにもない。

「その店の従業員の方々には話を聞けているのですか」

 警部が訊いた。どうやら警部も、犯人がこの被害者を無作為に選んだとは思っていないらしい。そのあたりの事情を調べようということなのだろう。

「いえ、事件が起きたのは昨夜遅かったですからね。これから召集です」

「できれば、そこに我々も同席したいのですが」

「……どうでしょう。上司うえに訊いてみないと」係長は首を捻った。「合同捜査本部でも置かれれば話は別ですが。しかしまだそこまでの状況とは言えない」

「では、たまたま我々が居合わせるとかでは?」

「どういうことです?」

「関係者をここに集めるのではなく、どこか喫茶店にでも一人ずつ呼び出して事情聴取をして……」

「一条警部。そんな悠長なことをやっていたら上司うえに怒られます」係長は笑って言った。

「やっぱり?」と警部は肩をすくめた。「では、今回はそちらにお任せします。ただしその結果は必ず報告していただくということで」

「分かりました。お約束します」


 ――えっちょっと待ってよ。そんな簡単に引き下がるってどういうことだよ。話を上に通すのが面倒なのか? そんなのまるで警部らしくないぞ。


 腑に落ちないまま話が終わり、会議室を出たところで警部が係長に言った。

「――では、よろしくお願いします」

「承知しました」

「ところで、こちらの副署長は神崎かんざきわたるさんでしたっけ?」

 警部は唐突に言った。

「は? あ、はい。そうですが――」

「お元気でいらっしゃいますか?」

「ええ、まあ、たぶん」

「良かった。よろしくお伝えください」

「……はい」

「では、失礼します。お時間いただきありがとうございました」

 何とも言えない表情の係長に満面の笑顔を見せると、警部は廊下を歩き出した。


 警察署を出たところで、警部に言った。

「――『ラブドリーム2号店』の従業員リスト、ボクが入手します」

「その必要はないわ」警部は前を見たまま言った。「あなたのやり方ではダメだって、何度も言ってるでしょ」

「待ってればいずれ手に入るリストです。あるいは今から横浜に帰って地裁に行けば令状が出るかもしれない。けどそんな時間を掛けられないから手っ取り早く入手しようってだけです。早いか遅いかの違いだけで、不都合が出るとは思えません」

「それでもダメ。公務員服務規程違反云々じゃないわよ。目的が何であれ――いいえ、目的があろうと無かろうと、あなたのはやることそのものがただの違法行為。考えるまでもないわ」

 警部は言い捨てて歩き出した。負けずに追いかける。

「だったらどうするんです。まさか本当に連中からの報告を待つつもりですか」

「まさか。ちゃんと手は打つ――厳密に言うともう打ってある。実は、ここへ来たのは一応の筋を通しておくため」

 そう言うと警部はこちらを振り返ってふんと笑った。「ごめんくださいお邪魔します、と挨拶しに行ったのよ。黙って土足で踏み散らかすようなことはしませんってこと」

「……どういうことです?」

「あの係長に言ったでしょ。って」

「ええ」

「秋葉原署の副署長の神崎渉はね。東大で三年先輩だった人物」

 ――なるほど。そういうことか。

「キャリアですか」

「二十九歳で副署長なんだから、そういうことね。決して早いわけでもないわよ」

「その人物に根回し済みってことですか」

 ええ、と警部はにこっと笑った。「それでも一応、現場の人間に話を通してくれって、神崎に言われたのよ。だから仕方なくね」

「ということは――」

「そう。今から『ラブドリーム2号店』に行くわよ。店長かオーナーか、責任者に従業員全員のリストを出させる。今頃は、神崎自身かあるいは神崎の指示を受けたあの係長が、店に連絡を取ってるはずよ」

「それで素直に応じますかね」

「応じるでしょ。そもそも被害者側なんだし、何も不都合はないはずよ」警部は言った。「仮に何かやましいことを抱えてるんだとしたら、そこをつつかれるのが嫌だから出さざるを得ないでしょ」

「まあそうですけど」

 そう言ってコートのポケットに両手を突っ込むと、ため息交じりで呟いた。「……なんだ。結局同期に協力を仰いでるんだ」

「同期じゃないわよ。三年先輩」

「同じようなもんです」

「神崎はね、ちょっと違う」

「どう違うんですか」

「……もう。しょうがないなぁ」

 警部は肩で大きく息を吐くと、わざとらしく顔をしかめて言った。「元カレ」

「あっ……そうですか」

「ええ。あんまり長続きしなかったけどね」警部は口元を歪めた。「あっという間にフラれたような気がする。よく覚えてないけど」

「何があったんですかねぇー」大袈裟に首を捻った。

「……ま、そういうことだから二宮くん。あまり人のプライバシーをつつかないでくれる? しかも傷心エピソードを」

「……どの口が言ってんだか」

「いいから。『ラブドリーム2号店』の場所を調べて」

 スマホを取り出し、検索アプリで調べた。店のホームページから2号店の地図を開いて拡大すると――

「えっ――」

「どうかしたの?」

「……同じビルだ。の店と」

「『百花繚乱』?」

「……はい」 

 ぼんやりと言って、鼓動が早くなるのを感じた。もしもこの犯人が、この被害者個人を襲う具体的理由などなく、たまたま見かけたとか、たまたまその店の前を通ったとか、ごく場当たり的な理由で犯行を犯したのだとしたら。


 ――だったら、彼女だって被害に遭う危険性がじゅうぶんにあったかも――


「……警部、すいません。電話を一本掛けさせてもらえませんか」

 こちらの緊張が伝わったのかもしれない。警部も神妙な声で言った。「マロンちゃんね」

「はい」

「いいわ。しばらくバイトは休むように言いなさい。念のためよ」

「ありがとうございます」


 電話を掛けると、マロンちゃんはすぐに出た。

《――二宮さん?》

「おはよう。今、どこ?」

《え? うち。さっき起きたところです》

「……そう。良かった」

《あ、あの二宮さん、私このあいだ――》

「ああ、この前のことだったら本当にもう気にしなくていいよ。それより、急な話なんだけど、今日はバイト入ってる?」

《え、バイト? ううん、今日は入れてない》

「そう。ちょっとしばらくバイトを休めないかな」

《どうして?》

「いや、実はまだ、言えることと言えないことの整理がついてなくて。詳しくはまたあとで話すよ。とにかく、何も聞かずにしばらく休んでほしいんだ。お金のことがあるから、無理を言ってるのは分かってるんだけど」

《お金はしばらくなら何とかなるけど――》

「あとそれと、出来ればアキバに遊びに来るのもちょっと控えて。理由も告げずにいろいろ言ってゴメン」

《……ううん、あ、はい。分かりました》

 マロンちゃんは何かを察したのか、最後ははっきりと答えてくれた。

「無理をきいてくれてありがとう。また連絡するよ。今夜は夜勤だから、その前にでも」

《うん、ありがとう。奈那も電話もらって嬉しかった。お仕事頑張ってくださいね》

 またね、と言って電話を切ると、ひどい悪寒がしてぶるっと震えた。まずい、いよいよ風邪をひいたかな。

 顔を上げると、警部がにやにやしながらこっちを見ていた。

 ――あ、そうか。悪寒の原因はこれだったか。

「……ごちそうさま」

 警部は言うと、つまらなさそうに空を仰いだ。


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