【承】の章
第八話 手強きマロンちゃん
三日前に会ったときの印象とはかなり違っていた。
秋葉原駅から徒歩数分の家電量販店の八階にある、フレンチトーストが人気のカフェ。マロンちゃんこと
捜査はあれからほとんど進展しないまま、今日の非番を迎えた。十時に起きてシャワーを浴び、適当なブランチを済ませるといつもより念入りに服を選んで、予約を入れていた美容院にカットに行った。襟足がすっきりしたせいで首元が寒かったが、これで外見の武装は完璧だ。電車を乗継いで秋葉原に着くと、いろいろと紛らわしい『百花繚乱』に向かった。
マロンちゃんはこちらを認めると嬉しそうに頷き、席に案内するとメニューを見せながら「あと一時間ちょっとであがるんで、どこかで待っててください」と囁いた。三日前のチョコレートが勧誘だったのか違ったのか、はっきりしないままとりあえず1ドリンク注文し、運んできた彼女に「駅前のヨドバシで」と告げて三十分ほどで切り上げた。
ヨドバシの一階で展示品のタブレット端末を触っていると、やがて彼女が現れた。黒のロングニットベストにざっくりとしたベージュ色のシャツ、ボトムはグレー地に緑のチェックのパンツ。さきほどのメイド服からは想像しにくい(まぁ当然か)、マニッシュなトラッドファッションが爽やかで、とても似合っていた。
お腹が空いているというので、上階のレストランフロアにあるこのカフェに来た。壁際のテーブル席に着き、注文を済ませると、マロンちゃんはまじまじとこちらの顔を見て「嬉しいです。来てくれて」と微笑んだ。
思わずデレっとにやけそうになったのを、奥歯をぐっと噛んで持ち堪えた。
注文したメニューが来るあいだ、マロンちゃんは簡単な自己紹介をした。栗原奈那、東京都
注文した『フルーツガーデン・フロマージュ』が運ばれてきて、マロンちゃんはワクワクした表情でバッグからスマホを取り出し、何枚も写真を撮った。スマホの画面をこちらに向け、「見て。上手く撮れたでしょ」と笑ってパチリと片目を閉じた。そして手慣れた指運びで画面を操作し、SNSに上げていた。
満足気に食べるマロンちゃんをしばらく眺めたあと、本題に入ることにした。
「――あの、この前のチョコレートのことだけど」
「あ、はい」
マロンちゃんはすっと神妙な面持ちになり、ナイフとフォークを丁寧に皿に置くと、居住まいを正して見つめ返してきた。――え、なんだこの妙にあらたまった空気は。第一志望の会社の最終面接か。
「あ、いや、そんな」造り笑顔で手を振った。「たいした疑問じゃないんだけど」
「疑問?」マロンちゃんは少し眉をひそめた。「疑問って、何ですか?」
「え、だからその――あのチョコは、勧誘、だったのかな、って」
「勧誘? 何の?」
真っ直ぐに投げかけられる視線を受け止めきれなくて思わず俯いた。落ち着け。相手は五つも歳下だぞ。
「だから――また店に来て欲しいっていう。バレンタインの告白に倣ったキャンペーンとかなんじゃないのって」
「違いますよっ」
マロンちゃんはブン、とポニーテールを揺らした。「そんなんじゃないです。あのチョコは私の気持ちです。他の誰にも渡してません」
「で、でも――」
「そりゃ、唐突だったとは思いますけど。でも私、二宮さんのこと――初めてご来店いただいたときに、一目惚れし――」
最後まで聞かないうちにコーヒーをブッ、と吹き出した。
「ごっ、ごめんなさい」慌てて紙ナプキンでテーブルを拭き、ハンカチで口元を押さえてマロンちゃんを見た。「嘘だろ?」
「嘘じゃないです!」
マロンちゃんの眉がますます歪んだ。「どうしてそんなこと言うんですか?」
いや普通そう思うだろ。あーそうはいはい、一目惚れねー、とか思うか? まずは疑うだろ。よっぽどのイケメンじゃない限り。
「申し訳ないけど、にわかに信じ難いって言うか」
「どうして?」
「だって、ボクはそんなイケメンじゃないし。全然モテないし、さえないし」自分で言ってて情けなかった。
「関係ないです」マロンちゃんはぷっと頬を膨らませた。「私、そんなミーハーじゃありません」
知らないよ。てかそれってどう言う意味だ? 喜んでいいのか? ちょっと違うっぽいな。
「だいいちその――メイドさんがお客とプライベートで会うっていうのはダメなんじゃないの」
「ええ、禁止されてます。けど実は私、来月いっぱいで辞めるつもりなんです。もし二宮さんが私と付き合ってくれるなら、今すぐに辞めてもいいと思ってます」
「いやそれはちょっと」
「……ダメですか?」
「ダメとかいいとか、それ以前に、ボクはあなたのことをほとんど知らないし」
「知ってください。なんでも答えます」
はぁ。グイグイ来るなぁ。でもまぁ、好きっていうのはこういうことなんだろうな。どうやらそこそこ本気らしい。
とりあえずは、もう少し詳しく彼女のことを知りたいと思った。
「どうしてメイドカフェ辞めるの? さっき楽しいって言ってたのに」
「四月から学校が忙しくなるから。大学院に進むんです」
「あ、そうなんだ」
「研究室に通う頻度が今まで以上に増えるでしょ。そうなるとさすがに秋葉原までバイトに通うのは厳しいので」
「何の研究してるの?」
「知能情報学です」
そういうとマロンちゃんはちょっと意味深ににっこりと笑った。「確か二宮さんも大学は情報系学部でしょ?」
「え、ああ、うん」
「最初にお店に来ていただいたとき、そっち系の雑誌持ってらして。私が興味あるんですかって訊いたら、ちらっとそんなお話してくれましたよね」
「そうだっけ」
全然憶えてない。雑誌なんてあんまり持ち歩かないけどな。そもそもいつのことだ? ――と、記憶を巡らせる暇も無く――
「二宮さんも院卒ですか?」
「え? あ、うん」
「どんな研究なさってたんですか?」
「データベースシステム」
「へえ。修論のテーマは何ですか?」
「ちょっと待ってよ。今はボクがキミのことを訊く時間なんでしょ?」
「あっそうだった」
マロンちゃんは肩をすくめてペロッと舌を出した。古典的な仕草なのに、彼女がやるとポップに見える。
「何でボクがあの駅を利用してるって分かったの?」
「それですね」
マロンちゃんは一つ大きく頷くと、落ち着いた口調で話し出した。
「去年――十一月頃だったかな――お見かけしたんです。電車の中で。お昼前でした。二宮さん、座席でリュックを抱えながらウトウトされてました。私、よほど声を掛けようかと思ったんですけど、疲れていらっしゃる様子だったし、悪いかなと思ってやめました。きっと私のことも憶えてらっしゃらないと思ったし。そしたらあの駅で降りて行かれて。でもそのときはたまたまだったのかも知れないし、だから私、それからしばらく、朝の通勤時間帯に駅で二宮さんのこと探しました。一週間くらいした頃かな。この前のあの時間に見つけたんです。スーツ着て、お仕事に行かれる感じでしたから、やっぱりここが最寄り駅なんだわって」
驚きを隠せないでいると、彼女はちょっと困ったように首を傾げて笑った。
「ストーカーみたいで怖いって思ってます?」
図星だったが、ここは一応否定した。「いや」
「実は私、
「へえ」
塾講師か。生徒に人気ありそうだな。頭の回転も良さそうだし――
「えっ」
「はい?」
「ってことは、
「あ、はい」
「そうなんだ」妙に納得してしまった。「頭いいんだね」
「普通です。一浪ですし」
そう言うとマロンちゃんは最後のひと切れを口に運び、紅茶のカップに手を伸ばした。「二宮さんは、お仕事は?」
「あ――公務員」
「えっ、どうしてちょっと間が空くんですか」マロンちゃんはにっこり笑った。
「いや、別に――」
「と言うことは、消防士さん――ではないですよね。マッチョって感じじゃないし。パッと見だけど」
カップを両手で持ったまま、マロンちゃんはこちらを見た。「警察官?」
「え、あ、あの――」
否定するのもおかしいし、かと言って素直に肯定するのもちょっと抵抗がある。と思っていると――
「そうなんですね」マロンちゃんはふふん、と頷いた。「ちょっと意外」
「でも、どうして分かったの?」
「電車でお見かけしたとき、平日のお昼前だったんですよね。スーツ着てらして。そのときはお仕事中かなと思ってたんですけど、あとであの駅は二宮さんの家の最寄り駅だと分かったわけだから、だったらあのときはお仕事帰りだったんだわって。夜勤明けか何かで。それで、今日も平日。平日に休みがあって、夜勤もある公務員っていうと、まず思い浮かぶのは消防士か警察官かなって。もちろん他にもあるでしょうけど」
さほど複雑な推理ではないが、短いあいだに少ないヒントから明解な結論を導き出してしかもそれが正解という事実。
マロンちゃんは、なかなか手強かった。
「――二宮さん?」
「あ、え、はい」
顔を上げると、彼女がきっといつもメイドカフェで振りまいているであろう満面の笑顔で見つめ返された。
「それで――今日くらいは付き合ってもらえるんですか?」
そしてマロンちゃんは、やっぱり可愛かった。
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