第七話 コンプライアンスの押しつけ合い
「――なによその、わざとらしく『眠れぬ夜を過ごしました』って顔」
今日もまた、聞き込みの合間に遅めの昼食を摂った。すっかり警部とのバディが既成事実として成立してしまっている。
「何がですか」
不満気な一条警部に、スマホから視線を上げることなくあえて平然と答えた。
「またまた。スカしちゃって」
警部は肩をすくめてふふっ、と笑った。「マロンちゃんのこと、ずーっと考えてたんでしょ」
「は? 別に」
興味のないフリを保って、ヒレカツの最後のひと切れを頬張るとこれまた興味のないネット記事を機械的に閲覧し続けた。
「じゃあどういう結論に達したの」
「だから、結論なんて出してませんよ」
「どうして?」
「て言うか、もう報告義務ありませんよね」スマホから視線だけを上げた。「部下のプライベートを必要以上に詮索するのって、コンプライアンス的にどうなんですかね」
「今さらそう来る?」警部は口角を上げた。「あなたの口からそういう言葉を聞くとは思わなかったわ」
くそ、やぶへびか。痛いトコ突かれたな。何とか反撃しないと。
「警部は? 芹沢さんと仲直りしました?」
「……わたしのことはいいの」
案の定、警部はたちまち顔を曇らせた。いいぞ、さらに食い下がってやろう。
「芹沢さん、チョコいくつもらったって?」
「知らない。訊いてないもの」
「またまた。スカしちゃって」にやりと笑ってやった。「気になってるくせに」
「……別に」警部はふんと鼻を鳴らした。
「きっと数え切れないほどもらってますよ」
「ええ、そうでしょうね。だからもう気にしないことに決めたの」
警部はぷっと頬を膨らませながら一度だけ首を振って、手にしたナイフをハンバーグにゴシゴシと当てた。そして切り分けたピースにフォークをぶっ刺し、ポイポイと口に運ぶ。分かりやすい痩せ我慢だ。
「仲直りはしたんですか?」
「だから、喧嘩なんてしてないから」
「なら良かった。じゃあもうお互い詮索し合うのは――」
「喧嘩はしてないけど」
「え、もう、なに」
めんどくせーな。どっちなんだよ。どっちでもいいんだけど。
「……ちょっとモメてはいる」
はあ。やれやれ。少し大袈裟にため息をつき、食べ終えた食事の皿を脇に寄せると、スマホをテーブルに置いて警部を見た。
「その話、掘り下げて聞いた方がいいんですか?」
「……いいえ、結構よ」
「聞きますから。話してください」
「いいってば。ごめんなさい、余計なこと言って。忘れて」
そう言われると深追いする気も半減だ。肩をすくめてスマホを手に取り、スクロールしながら言った。
「……意外と恋愛体質なんですね。警部って」
「え、わたし?」警部は目を丸くした。「どうして?」
「彼氏ともめてるの、仕事中も引きずってるじゃないですか」
「引きずってなんかいないわ」
「引きずってますって。ボクの話を聞きたがるのも、本当は自分のことを聞いてほしいからでしょ」
どうしてよ、警部は笑った。「男性のあなたと恋バナしようなんて思ってないし、そういう女友達はちゃんといるわ。さっきちょっとモメてるって言ったのも、あなたが訊いてきたから答えただけ」
「ならいいですよ。もうこの話はやめましょう」
「そうね。わたしの話はおしまい。あなたの話に戻しましょう」
「なんでですかっ」
もう、何だよこの人。お嬢様気質もいいとこだな。
「いい加減にしてもらえませんか。さっきも言いましたけど、これって明らかにセクハラ? パワハラ? どっちにしたってコンプラ違反でしょ」
「分かってるわよ。だからこそ、ひとこと言っておきたいだけ」
警部は言うと、食べ終えた皿にフォークとナイフをきれいに並べ、両手を合わせてごちそうさまと目を閉じて顔を上げた。
「あなたの主張は重々分かってるわ。部下のプライベート、しかもデリケートな恋愛事情を面白がって詮索するのは明らかにセクハラ行為だし、重大なコンプライアンス違反よ。だからもう訊かない」
警部は大真面目だった。そこまで改まって言われるとちょっと恐縮する。
「……お気遣いいただきありがとうございます」
「だから、あなたもやめるのよ」
「は?」
「マロンちゃんの件を、あなたのいつものやり方で調査するのを」
――ああ。そのことか。
「……分かってます」
「本当に?」警部は訝しげに目を細めた。「もう既にやっちゃってるんじゃないの? ネットで繋がってるお仲間に、彼女の素性を調べてもらってない?」
黙って頭を振った。実のところ、そうしようかどうか迷っていた。昨夜は布団に入ってからもずっとそのことを思い巡らせて、警部の言う通りなかなか寝付けなかったのだ。相変わらず、目敏い上司だ。
「――だったらいいけど」警部はまだ納得してはいないようだった。「やりようによっては、コンプライアンス云々を通り越して、はっきり言って犯罪だからね」
「……よく言いますね。二ヶ月ほど前はさんざんそのやり方を利用しておきながら」
「……あら」警部は肩をすくめた。「あれはあれ、これはこれよ」
「なんですかその母親のセリフみたいなの」
ふんと笑ってグラスの水を飲んだ。「とにかく、警部にご心配いただかなくても結構ですから」
「分かったわよ」
警部は言うとそばを通ったスタッフを呼び止め、ホットラテを注文して「あなたは?」と振り返った。
「あ、すいません。ブレンドのホットで」
いちいち謝らないでよ、と警部は苦笑した。そしてハイブランドのビジネスバッグから捜査状況を書き記したA5サイズのシステム手帳を取り出して広げた。
「――それにしてもこの犯人、何が面白いのかしら」
警部は右手で拳を作って顎に当てた。「ただの通り魔とは明らかに違うわよね。鉄パイプを振り回して脅かすだけ脅かして、その相手にも持参した同じ凶器を渡して立ち合いを要求するなんて」
「腕試しですかね」
「何の」
「だからほら、あるじゃないですか。フェンシングとかスポーツチャンバラとか――剣道、とか」
「ストリートファイトってこと? その結果、今のところ二勝三敗。バカなんじゃないの」
そこへコーヒーが運ばれてきて、スタッフが去るまで会話を中断した。
「――確か三件目の相手に怪我させられてますよね」
「ええ。むこう脛を思いきり強打されてる。反撃されて逃げて行くとき、足を引きずってたって」警部は手帳を見ながら言った。「でもひと月近く前だから、もう治ってるんじゃない」
「それでまた犯行を繰り返して、依然負け越してるって現状」
「やっぱりバカね」
「ははは」
いつもの切って捨てる言い方に、思わず笑ってしまった。
「笑ってられないわよ。なかなか勝てないストレスが溜まりに溜まって、そのうち大爆発するかも」
「大爆発?」
「ええ。とにかく勝率を上げるために、女性や子供を片っ端から狙うとか」
「つーか、最初からそうすりゃいいんですよ。ちょっと不謹慎ですけど」
「大いに不謹慎よ」警部はパタンと手帳を閉じた。「本当にそうならないうちに、さっさと逮捕しないと。女性や子供たちはもちろん、男性だって安心して街を歩けないわ」
「確かに。毎日怯えながら過ごすことに――」
そこまで言って、昨日遠藤という理学療法士からもらったチョコレートのメッセージを思い出した。
――助けてください。お願いです。あなたしか頼る人がいないのです――
「どうかした?」
ホットラテのカップを両手に抱えながら、警部が訊いてきた。
「あ、いや……」
「何か気になることでも?」
「いえ、違うんです」
ひょっとして、彼女は何らかのトラブルを抱えていて、そのことで何かに怯えているのではないか。唐突過ぎて、自分をからかうつもりの罠だと思い込んでいたが、まったくの見当違いだったかも知れない。
「――あの、警部」
なに? と警部は聡明な眼差しで見つめ返してきた。だめだ。この人に言うとすぐに事が動き出す。まさに超特急。たちまち走り出して、停まることは許されない。
「いえ……あ、何でもないです。すいません」
「何なのよ。はっきり言いなさい」
「大丈夫です。そろそろ行きましょうか」
腑に落ちない様子の警部を見ないようにして、伝票を持って立ち上がった。
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